ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

かつてITエンジニアの端くれが夢見た幻想郷「MF電脳部」

 この記事は「#しがないラジオ Advent Calendar 2019 - Adventar」の9日目です。「しがないラジオ」のアドベントカレンダーとして相応しい内容かどうかは自信がありませんが、少し思うところがあってそれを書いてみたいと思います。


 2017年7月からだいたい月1回のペースで土曜午後に「MF電脳部」という活動をやっていました。
 「MF電脳部」という名前は、参加メンバーの多くがかつて所属していた会社の名前の頭文字をとりました。なので活動への参加条件は

  1. 現社員・協力社員
  2. OB・OG
  3. 上記1or2の知人・友人

いづれかに該当することとし、オープンな参加募集は行いませんでした。

 会場もその会社が持つコワーキングスペースのような場所を使わせてもらいました。20名くらいのワークショップくらいなら全然出来ちゃうようなスペースと、四谷という東京のど真ん中な立地という、贅沢な環境です。ただ、割と使用できるタイミングが限られるので、他の場所も色々試してみたんですが、使い勝手が悪くて、結局この場所に戻ってきちゃう感じでした。


 キャッチフレーズは「ひとりでやったり、みんなでやったり。」ユルく、無理せず、気ままに、気楽に、楽しく、ITエンジニアリングとそれに関わることで遊べたらいいなと思ってやっています。みんな仕事やプライベートが忙しいので、無理して参加したりもしないし、参加を強要したりもしないです。会場が確保できない時も無理に開催したりしません。とりあえず会場が確保できて、2人以上集まるなら開催、みたいな感じです。なので、各回の参加人数は、多くて10名程度、少ない時には本当にたった2名でした。



 MF電脳部を企画したきっかけですが、だいぶ前の話なんで記憶があいまいなものの、確かこれだった気がします。
takigawa401.hatenablog.com
 友人たちと電子工作を体験しよう、という遊びだったんですが、世間のIoT需要についていけてない身の上でもあったので、「こういうのを定期的にやれる場所が欲しいね」って話を元上司兼現飲み友達の@twissyorgとしてたんです。ちょうどそんなタイミングで、我々の古巣の会社でいつのまにかコワーキングスペースを作った、しかもその管理責任者が、我々と酒飲み仲間だった元同僚だという話を聞きつけまして。空いている時でいいからコッソリ場所を貸してくれとお願いして快諾してもらい、かくしてMF電脳部が開催されることになりました。……え、経緯が薄っぺらいって? こういうのは勢いですよ、言い出して動いたモン勝ち。
 結果的に管理責任者だった彼がちゃんと社長に報告してたので、会社からも黙認してもらえてたみたいです。元社員だから赤の他人にも等しいのに、こういうところは懐が広いなぁ、と思いました。




 主な活動は「もくもく会」です。テーマはありません。参加者が自分でその都度テーマを設定し、自分のペースで勝手に取り組みます。
 PythonやGo言語書いてるヤツもいるし、プレゼン作ってるヤツもいるし、ハンダ付けしてるヤツもいるし、ノートPCの初期設定してるヤツもいるし、ブログ書いたりとかしてるヤツもいました。
 もちろん、せっかく集まっているので協業もあります。突発的にAlexaのモブプロが始まったこともあったし、計画的に大きめのプロダクトを数人がかりで作る人もいました。


 また、外部から講師役の人を呼んでワークショップや座談会をやったりもしました。ワークショップの前提は「素振り」であること。ちゃんとした場でワークショップの講師を担当する人には、少なからず「事前に試しておきたい・反応を確認しておきたい」という思いがあります。大規模の人数を向けたワークショップ、しかもそれが有料だったりすると、やっぱり事前にある程度用意したワークショップを検証・確認しておきたくなります。そういったときに「電脳部」を活用してもらい、メンバーから希望者を募って受講者として参加してもらって、ワークショップの素振りをしてもらうことがありました。
 登壇者からすれば、事前にワークショップの出来を確認できるし、メンバーからは本来有料のワークショップに無料で参加できる、本来関わりの薄い世界に触れられて見識を広げることができる、というWin-Winが成り立っています。電脳部のメンバーは基本的に好奇心の強く何事も面白がれる奴らばかりなので、ワークショップの参加は任意にしてあるにも関わらず、ほぼ全員が参加してます。最後にきっちり感想まであげて、改善のお手伝いもしたりするので、講師役の人にもそれなりに好評だったりします。


 終わった後の打ち上げも参加したい人が自分のペースで勝手に飲んでもらうようにしてました。時間無制限セルフサービスで飲み放題ってすげー楽チン(時間無制限は土曜日だけのサービスです)。
tabelog.com





 2019年12月07日の活動をもって、MF電脳部は全ての活動を休止しました。理由はいくつかあります。会場として使用させてもらっていたコワーキングスペースが使えなくなること、直近で参加者数が低迷していたこと、言い出しっぺの片割れであるオレがこの年末年始で東京を離れること。続ける理由も方法もありましたが、ダラダラと惰性で続けるよりはここで区切りをつけようと決めました。


 本当にいろんなことをやりました。
 みんなでモブプロやったり

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VRで遊んでみたり

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ボードゲームの試遊会をやったり

takigawa401.hatenablog.com


RSGT2019で実施する予定のワークショップの素振りに使ってもらったりもしました。

confengine.com


 飲みにもいっぱい行きました。話もいっぱいしました。直近自分たちが関わっている技術の話、ビジネスの話、興味分野の話、会社の話、プライベートの話、ロクでもない話、それこそ色々です。

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 オレ達はかつて同じn次請のSIerに所属していました。SIerとは名ばかりの実質派遣業で、全員客先常駐で自社には事務方以外誰もいなくて。
 だからこそ、半ば上からの押し付けではあったものの、土曜に自社に戻ってきてみんなで勉強する文化が根付いていました。土曜だから関係もフラットで、先輩後輩関係なく仲良くなって、そのまま遊びに行ったり飲みに行ったりして。なぜか個性の強い面々がたくさん揃う不思議な会社で(当時の採用担当の頭か方針がおかしかったんだと思う)、仕事や環境は決して良いとは言えないながらも、なんのかんのと面白おかしくやれてました。


 MF電脳部はその文化を踏襲していました。会社に所属していた当時は、我々の関係は上司・部下であり、先輩・後輩でした。MF電脳部ではそういった肩書きは既になく、互いが尊敬すべき一エンジニアでした。だからこそ、細々とながらも2年以上続けることができたのだと思います。
 メンバーの殆どは既に件の会社には所属していません。MF電脳部の活動中に転職した人、フリーランスになった人、主たる仕事のやり方を大きく変えた人、様々です。そういった中で会社に所属していた頃と変わらずITエンジニアリングで学び遊べていたのは、本当に楽しかったです。



 MF電脳部という形での関係は、今回一旦終わりを迎えました。でもオレたちの関係はこれからもきっと変わらないんだと思います。いつまでも、どこにいても、互いにITエンジニアとして刺激し合える、そんな関係が続いていくんじゃないでしょうか。



 改めて、みんなありがとう。またいつか一緒に楽しく遊びましょう!








 なんとなく関係ありそうな過去記事。

takigawa401.hatenablog.com

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「初恋ゾンビ」が「初恋」という淡い感情の比喩表現にチャレンジした作品だからみんなに読んでほしい。

 この記事は「オススメ本 Advent Calendar 2019 - Adventar」の8日目です。


 オレのオススメ本は「初恋ゾンビ」です。週刊少年サンデーでの連載を割と最近終え、現在は全17巻のコミックスが販売されています。サンデーうぇぶりでも過去話を一部無料で試読できるようになっています。

初恋ゾンビ(1) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(1) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(17) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(17) (少年サンデーコミックス)

www.sunday-webry.com

何事にも情熱を燃やさぬ平熱”省エネ”高校生・タロウくんの前に、超どストライクな空飛ぶ美少女・イヴが現れた!彼女の正体は、タロウの欲望&妄想&願望を凝縮した脳内彼女的存在=”初恋ゾンビ”だった!!タロウの平穏な日々は、かくして一変し──!?少年サンデーが放つ次世代ラブコメ、ここに開幕!!

(初恋ゾンビ - サンデーうぇぶりより抜粋)


 主人公の久留米タロウは、NARUTOでいう血継限界によって「男性の初恋を可視化」できる能力を持ちます。とは言え、その能力は幼少時のとある事件で失われていました。高校一年生のある日、幼馴染の打ったホームランボールの直撃を頭部に受け、そのまま気絶。目が覚めた時には目の前に自分の理想を形にしたような可愛い女の子が宙に浮いていたのです。

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(初恋ゾンビ 1|峰浪りょう|小学館 )

 彼女の正体はタロウの初恋そのもの。幼少期の初恋の女の子「イブ」が自分の理想通りに成長した姿で具現化されたものでした。頭部への衝撃をきっかけにタロウは「男性の初恋を可視化」できる能力に再び目覚めます。

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(初恋ゾンビ 1|峰浪りょう|小学館 )

 タロウはその初恋が具現化したものを「初恋ゾンビ」と名付けます。初恋ゾンビは初恋が何らかの形で成就すると成仏(?)します。

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(初恋ゾンビ 1|峰浪りょう|小学館 )

 つまりイブを消すためにはタロウ自身の初恋を成就させる必要があるのですが、転校という形で10数年ぶりにタロウの前に現れた初恋の相手は、何と男……指宿凛々澄でした。

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(初恋ゾンビ 1|峰浪りょう|小学館 )

 実は幼少時にタロウが能力を失った時も、指宿と頭を激しくぶつけており(要するに頭突き)、それのショックで能力が失われていたのです。一方で指宿はその際にタロウから「男性の初恋を可視化」できる能力が感染させられており、10年以上たった独りでその能力に振りまわされ続けていました。
 そう言った理由から指宿はタロウを激しく憎んでいます(という体裁を取っている)が、能力を消すヒントを探すために、タロウと指宿は初恋ゾンビたちと深く関わって行くようになります。


 とまぁだいたいこんなあらすじです。ここまではサンデーうぇぶりでだいたい読めるのでぜひ読んでみてください。


 この作品で個人的にオレが興味を強く持ったのは、「初恋」という感情の表現の可視化にトライしているところです。
 例えば、失恋すると初恋ゾンビは「失恋ゾンビ」に変化し、創造主(=初恋をした男)を攻撃する存在になります。

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(初恋ゾンビ 1|峰浪りょう|小学館 )


 こちらは初恋を認めたくない、拒絶したい、初恋自体をなかったことにしたい(殺したい)状態の初恋ゾンビ

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(初恋ゾンビ 2|峰浪りょう|小学館


 こちらは初恋が見えていない(自覚していない)状態。
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初恋ゾンビ 3|峰浪りょう|小学館


 自分の初恋の思い出を守りたくていばら姫状態な初恋ゾンビ
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初恋ゾンビ 4|峰浪りょう|小学館


 初恋を忘れたくて氷漬けにしている状態。
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初恋ゾンビ 6|峰浪りょう|小学館


 こんな感じで様々な「初恋の形」が作品中には登場します。なかなか上手い表現だな、と思う初恋ゾンビも多いので、初恋のどの状態をどのように表現したか、に注目していっても面白いと思います。


 一見よくあるお色気系の作品にも見えるんですが、終盤に近づくにつれ、タロウと指宿の初恋を巡ってどんどんヘビーな展開になっていきます。ラストはあまりにも切ない……。彼らの「初恋」がどうなって行くのか、ぜひ見届けてください。


 作品としては、同じ週刊少年サンデーで連載し、アニメ化もした「神のみぞ知るセカイ」が比較的近い印象があります。あの作品が楽しめた人は、おそらくは「初恋ゾンビ」も楽しめるのではないでしょうか。


 以上、オレのオススメ本でした。それでは。


神のみぞ知るセカイ(1) (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ(1) (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ(26) (少年サンデーコミックス)

神のみぞ知るセカイ(26) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(1) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(1) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(17) (少年サンデーコミックス)

初恋ゾンビ(17) (少年サンデーコミックス)

「美少女とは何か?」を再定義する

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 この記事は「美少女 Advent Calendar 2019 - Adventar」の7日目です。


 みなさん、美少女は好きですか? もちろんオレは好きです。意外にも女性でも美少女が好きな人はいるらしいですね、オレは美少年は好きじゃないけどな。
 しかし、美少女が好きだと言う割には、オレは「美少女とは何か?」をはっきり述べることができません。美少女ゲームなんていうものもあるんで、いかがわしさもどこかにあるかな、とも考えたんですが、どうにもイメージと違う気がするんですよね。アイドルとか女優さんとかも可愛いとは思うけど、美少女?う〜ん、まぁそうかもしれんけど、なんか自分が美少女だと思ったもの同士の共通項が見出せないなぁ、と。


 突然話は変わるんですが、先月こんなイベントを開催しまして。


takigawa401.hatenablog.com


 その時に元部下が自分の子供を連れてきてくれたんです。上記記事の写真に写る女の子の、片方の子。その子がね、可愛いんですよ。サラサラの髪をロングに伸ばして清潔感が漂ういでだち、幼い女の子らしい清楚で親のセンスが感じられる服装、幼い子にありがちのバタバタ走り回って大騒ぎすることのない、しかし子供らしく遊ぶ佇まい、何より知らないおっさん(=オレのこと)から突然話しかけられても、物怖じせずにちゃんと自分で受け答えできて、敬語が使えて、きちんと自分でお礼や挨拶が言える。非常に躾が行き届いていると感じました。こんな子がこの世に存在するんだな!って感心しきりでした。

 元部下自身は、数年彼の上役をやってたオレからすると、なんというか、「ちゃらんぽらん」という単語を習字で100回くらい書き初めした紙の束を、アメリカの量販店かなんかで売ってる健康に悪そうな色しためっちゃケミカルなジュースに溶かしてドロドロにして、それを人体錬成するときに間違って材料にしちゃったみたいな、そんなTHEちゃらんぽらんなヤツなんですよ。だからオレは、彼が娘を連れてくると言ってきた時に「どーせ小汚いガキを連れて来るんだろうな」とか勝手に思ってました。娘だと聞いてたはずなのに、なぜか昭和の漫画に出てきそうな10円ハゲのある丸刈りで鼻水たらしたガキがオレの脳裏にイメージとして浮かんだし。そんなんだったから、実際に彼の娘を見て本当にビックリしたんです。で、思いました。


「あ、美少女っていうのは、こういう子のことを言うのか。」と。



 その時感じた印象というか、衝撃というかを今ここで改めて思い出して、「美少女」という言葉をオレの中で再定義してみました。




「美少女とは、一輪挿しの花瓶に生けられた花である」


 たんぽぽ、ひまわり、水蓮、カーネーション、薔薇、百合、牡丹、様々な花が存在するように、美少女にもいろんなタイプが存在するんだと思います。ただ、「美少女」は1人で存在感を出し、魅了する存在なんじゃないかなぁと思います。
 桜のように木いっぱいに満開の花もいいでしょうが、可愛い女の子がいっぱいいても、オレはあんまり「美少女」とは呼ばないかなぁと思いました。女の子って集団でいるとかしましいですしね。


 あと、個人的な話で恐縮ですが、オレにとって花は非常に縁遠い存在です。自分で花を買ったことはないし、育てたこともない。「美少女」もそれと同じで、自分が縁遠い・触れない・近くにいることがない存在でこそ「美少女」なのかな、と思いました。仮に「美少女」との関係が近くなった場合、可愛い・美しいという価値は変わらないのだけれど、じゃあその人を「美少女」と思うかというとそうではなくて、友達だったり職場仲間だったりと呼び方というか自分の中のタグ付けが変わってくるんじゃないかと思います。「美少女」が「美少女」のままであるには、ある程度の距離感が必要なんじゃないかと考えました。



 以上、「美少女とは何か?」を改めて考えてみました。そのまま「美女」にも当てはまりそうな気がするけど、そういえば「美少女」と「美女」の違いって何かな? 色気とかの有無だろうか? 考えてみても面白いかもしれないですけど、それはまた今度にしておきます。




オンナノコになりたい! (一迅社ブックスDF)

オンナノコになりたい! (一迅社ブックスDF)

オンナノコになりたい!: 2 コスプレ編 (一迅社ブックスDF)

オンナノコになりたい!: 2 コスプレ編 (一迅社ブックスDF)

高野山に行って満願成就してきた

 この記事は「今年行ったところ Advent Calendar 2019 - Adventar」の6日目です。



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 今年の8月に高野山に行きました。大阪に別件があり、そのついでという形を取ったのですが、目的は満願成就を果たすことでした。満願成就ってなんのこっちゃ?と思われる方もいるかと思います。言葉自体はいろんな使われ方をするとは思いますが、ここでは四国八十八箇所参りを果たし、弘法大使が開山した高野山を最後に御礼・お参りすることを指します。
 2016年12月の1ヶ月(正確には15日程度)で、オレは四国八十八箇所参りを自転車で行いました。(ちょっと寄り道をして松山→呉→尾道しまなみ海道今治も走りましたが)。それから2年半という月日が経ってしまいましたが、遅ればせながらその最後の締めとしてお参りしたいと思った次第です。


 以下はその四国八十八箇所参りをした際の写真の、ほんの一部です。


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 関東住まいの人間だと、大阪と高野山って割と近いんじゃね、とか雑に思ってたんですけど、高野山って和歌山なんですね。朝から電車乗り継いで丸一日の行程でした。その日はそのまま故郷の信州まで帰郷する予定だったんですが、残念ながらたどり着けず、途中の名古屋に無駄に一泊する羽目になったあたりに無計画さが窺い知れます。


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 もうだいぶ前のことなんで、当時の楽しさ・辛さ・苦しさ・寒さ、様々な感情を忘れかけていたのですが、久々に御朱印帳を持ち出して眺めてみると、やはり色々思い出せるものですね。他の観光客が何事もなく淡々と御朱印を貰っている様子に対して、御朱印帳の係の方にオレが御朱印帳を差し出した時に「満願成就ですね。おめでとうございます。」と言われた時は、その声が事務的なものであったとしてもやっぱり嬉しかったです。


 オレは四国八十八箇所参りという行為自体に興味があり、お参りする過程の旅そのものが願いでもあったのですが、本来四十八箇所参りとは修行だったり願いを叶えるためにお参りするものらしいですね。結果結願を果たした時に、実は特にお願いすることがなかったので、亡くなった祖父母の供養のために行った、という立て付けにあとでして、現在は御朱印帳は実家の仏壇にお供えしてあります。


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 高野山はそれ自体が大きな宗教都市で、なかなか観光しがいがありそうでしたが、御朱印を貰うことと奥之院と金剛峯寺にお参りすることしか目的にしてなかったので、全然観光している余裕がありませんでした。今度は事前にちゃんと下調べして、一泊してゆっくり観光してきたいなぁ。

バーでビールを

 この記事は「Beer Advent Calendar 2019 - Adventar」の5日目です。特に語るべき何かは持ち合わせていないので、とりあえず昨晩飲んできたビールをまとめて紹介します。

BrewDog Indie

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ANCHOR BREWING OLD FOGHORN ALE

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BROOKLYN SORACHI ACE

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KONA BEER FIRE ROCK Pale Ale

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Kasteelbier Kasteel Donker

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 季節はクリスマス、本当はクリスマスビールでも紹介できれば良かったかな、と思いましたけど、ちょっと気が早すぎたみたいでまだお店に入っていませんでした。バーってウィスキーを飲むもんだ、とかシェイカー振ってもらってカクテル飲むのがオシャレだよね、とかちょっと形式張った思い込みをされるかたもいますけど、ちゃんとビールを用意しているお店もいっぱいありますんで、ビール党も気兼ねなく行ってもらえればな、と思います。


 ちなみに上のビールをご馳走になったのはこちら。お店が暇ならバックギャモンとかの相手もしてもらえますよ。
www.bar-bluemoon.com




OSTで悩み事を持ち込まれた時にまとめ役の立場で気をつけていること

はじめに

 この記事は「ファシリテーター Advent Calendar 2019 - Adventar」の4日目になります。


 突然ですが、OST(オープン・スペース・テクノロジー)をご存知でしょうか? OSTに関する説明はWikipediaに任せますが、オレがちょいちょい顔を出す「アジャイル・ディスカッション!!」というアジャイル開発に関わるお悩みなんでも相談室的なコミュニティでは、このOSTで現場の悩みを持ち込んでもらい、みんなで解決する、という取り組みをしています。OSTではテーマを出した人がその話題の中心となり対話を回していくことになりますが、悩み事があってその相談のためにテーマ立てをしているので、往往にして対話の取りまとめよりは問題自体に考えることに重きを置くことが多く、そういった場合にオレのような第三者ファシリテーターっぽい立ち位置でヒアリングしたり対話を取りまとめたりすることがままあります。
 この記事では、そんなOSTファシリテーターっぽい立ち位置に立った時に、コツというかオレが気をつけていることを簡単に書いてみたいと思います。

ja.wikipedia.org

agile-discussion.doorkeeper.jp



ひたすら穴・行間を埋める

 問題を抱えている人は、当人が気にしていること・気づいていることから話を始めることが多いのですが、問題の原因がどこに埋まっているかは案外当人でも分からないものです。当然事情を知らない対話参加者はもっと分からないので、まずは冷静に全貌が見えるようにする必要があります。とにかく問題を抱えてる人にひたすら状況を聞き、全貌が見えるようにしていきます。聞き出した内容は全て書き出し、参加者から見て取れるようにします。


 対話で出てきた情報のどこに穴があるかを察するのは、ある程度聞き役側に指標になるものが必要です。一般的なプロジェクト開発のスタイルだったり、5W2Hだったり、TOCCLRだったり、なんでもいいんですが、「その人が話した内容は、状況の全貌を説明するに足りているか」を判断できるものがないと、どこに穴があるかは判断がつきづらいと思います。作業過程としては、出てきた情報を俯瞰して、なんとなく欠けている・抜けている、という気持ち悪さで察知して、そこを聞き出して埋めていくイメージですかね。この辺はちょっと感覚的なものになってしまうので、イメージが伝わりづらかったら申し訳ないです。



発想の連鎖を狙う・情報のトリアージを行う

 ある程度状況を説明できるだけの情報が出揃ったら、そこから問題の解決方法を見出していきます。オレの経験上、情報さえ出揃ってしまえば9割がた問題の解決方法が既に見えていることが多いです。


 もし情報が出揃ってもまだ解決方法が見えていない場合、ここからがOSTの本領発揮です。出揃った情報ひとつひとつを切り口にして解決策を出していきます。ひとつひとつやっていったら時間が足りないことの方が多いので、ある程度優先順位づけはした方がいいですね、より問題のコアであろうものを先に扱った方が良いです。


 ひとつ発言が出たら、OSTのような状況で複数人で話し合っていれば、自然にそこから次の発想が生まれるはずです。行き詰まってしまったら、既に出ているアイディアを、別の情報に付け替えて考えるようなことをやってもいいかもしれません。



パワーワードを作る

 これは理想で絵空事に近いですが、もし可能であれば「そのディスカッションの内容を一言で言いあらわせるパワーワード」を作り出せるのが望ましいとオレは考えており、常に取り組んでいます。


 ディスカッションの内容は、板書があれば写真で共有することもできますが、意外に写真まで撮った板書を見返すことってないよなぁってのがオレの実感でして。それよりは、その場にいた人たちがその一言を聞いただけで話の概要をうっすらとでも思い出せるような強力なキーワードが何かあれば、わざわざスマホを取り出して写真を見なくても知識として再利用できるんじゃないか、と考えています。
 例えば、「七つの傷」といえば「北斗の拳」、「ドライブシュート」といえば「キャプテン翼」、「48の殺人技」といえば「キン肉マン」といったような。ここまで短い単語である必要はないのですが、それなりに思い出しやすく口に出しやすい程度の短さの文章になっていた方が都合がいいです。


 ちなみに、オレ自身このパワーワードを作り出すことができたのは、数え切れないほどファシリテーターを務めていても、せいぜい片手で数えられる程度だと思います。パワーワードが出てくるのはほぼ運なので、できたらいいな、くらいに考えておいた方がいいです。



終わりに

 他の方に参考になる内容だったかどうかは怪しいですが、とりあえずオレはこんなこと気にしながらファシリテーターやってますよ、という話でした。


 参考にならないまんまだとあんまりなんで、最後に、その名もズバリ「dialogue(対話)」という曲を紹介して終わりたいと思います。歌詞がとっても良いのでぜひ聞いてみてください。


 それではみなさん、良い対話を。


www.youtube.com

dialogue(初回限定盤)

dialogue(初回限定盤)

自分の半生をただひたすらにダラダラ書いてみる

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はじめに

 この記事は自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 - Adventarの3日目です。


 オレの職業はシステムエンジニアという職業に就いています。システムエンジニアプログラマという職業は、一般的にはシステムとプログラムを相手にして、人とは滅多に関わらない仕事だと思われがちですが、実際には意外にも他者との対話が多い仕事なんです。大きなシステムは一人じゃ作れないし、自分の知らないことは他人(客・事業部門の人間)から聞かなくちゃわからない。部下を持てば当然評価面談も行わなくちゃいけないし、採用を行えば面談で対象者からそれまでのキャリアと身につけた技術を聞き出さなきゃならない。そんなこんなで対話の機会も多く、中にはその人から半生記めいたものをインタビューして聞き出すこともありました。
 ただ、そうしたことをこれまで自分自身にやったことは無かったなぁ、と思いまして、今回このアドベントカレンダーに便乗して、自分自身の人生の棚卸し的な何かをやってみようかなと思います。


 この記事を書く上での基本方針は2つです。

  • 人生の特定の期間ごとに区切り、その期間に何があったかを数行にまとめる
  • そこで得た学びを1〜2挙げる

 オレは長くダラダラと書く傾向にあるんですが、今回は極力コンパクトにまとめるように頑張ってみたいと思います。たぶん無理だけど。


幼少期(3歳くらい)

 最初の記憶は長野県塩尻市の葡萄畑で遊んでいる光景です。ご近所さんがいたことはうっすら覚えていますので、おそらくそのご近所さんが葡萄畑の持ち主なのでしょう。自分の家族とそのご近所さんの家族以外は記憶にないので、まぁ狭い世界を生きていたんでしょう。
 学び?ンなものあるか。


保育園期(4〜6歳)

 父親が銀行員で転勤族だったので、3年おきに転勤があったはずです。この頃は長野県松本市でした。なぜかは知らないけど、カトリック系の保育園に入れられてキリスト教式の教育を受けた覚えがあります。一方で弟が生まれたり自分らが七五三だったりで神事があり、曽祖母や叔父が亡くなって仏事があり、と宗教的にはかなり多彩でした。子供心ながらに「神様ってのはたくさんいるんだな」と学んだのがおそらくこの頃です。クリスマスプレゼントにジャスコの値札が貼りっぱなしなのに目ざとく気づいて、サンタクロースの存在は両親であることに気づいたのもこの頃でした。ヤなガキですねー。



小学生期(7〜12歳)

 やっぱり父親の転勤で、父の生家のある長野県豊丘村に住まいを移しました。物心着いてから初めての転居であり、お友達とのお別れがあったのですごく悲しかった記憶があります。
 オレが通った小学校は各学年1クラスしかなく、そのクラスメイトも20人いないようなクラスでした。それが功を制したのか、クラスは男女関係なく仲が良かったですね。3-5年の担任がアクが強く、あからさまな左翼派でしたので、オレもその影響をだいぶ受けたと思います。結果として天皇制(特に昭和天皇)や保守派である自民党、戦争を思わせるものに対してはかなり強い嫌悪感を抱くようになり、それは現在も続いています。とはいえ、天皇制というか今の天皇家に対しては、現上皇陛下の功績を通して割と考えを改めています。
 なんでか知らんけど勉強はできた方で、勉強で苦労した記憶はありません。一方で運動は苦手でかなりネガティブな感情を持っていました。にも関わらず、母親に「田舎で暮らすには必須だから」と少年野球に、「泳げないと溺れて死ぬから」とスイミングスクールに強制的に入れられました。当時は嫌で嫌で仕方なかったけれど、野球は観戦を楽しめるようになり、水泳はその後様々なシーンで役立ったので、結果的に母には感謝しています。中日ドラゴンズのファンになったのも少年野球と母がきっかけでした。



中学生期(13-15歳)

 中学は村内にひとつしかなかったので、それまで別の小学校だった連中とも一緒になりました。まぁこの世代の通例に御多分に漏れず、学校はちゃんと荒れてまして。オレみたいに喧嘩が弱い人間は随分と苦労しました。運動部しかなく、かつ部活が必須で、仕方なくバスケ部に入ったんですが、ここがまたヤンキー崩ればかりで、本当に彼らと一緒に部活するのが嫌だったんですよねぇ。部活の時間に色々理由つけては外周走ってたら、いつの間にか長距離走るのが早くなってて、卒業間際には駅伝の学校代表候補に選ばれてました。幸いにして候補止まりで助かりましたが。水泳とかマラソンとか、単純で速筋が必要でないスポーツなら実は割と得意なんだな、と気づき始めたのがこの頃。一方で腰に椎間板ヘルニアの爆弾を抱えたのもこの頃でした。
 勉強はやっぱり苦労することがなかったんですが、期末テストではなぜか100点を取ることはありませんでした。最高99点だったかな? この時勉強で苦労してれば、その後の人生はまた違ったものになったかもしれないなぁ、と思ったのは後述します。



高校生期(16-18歳)

 地元でいちばんの進学校である飯田高校に進学しました。進学校の割には自由な校風で、しかし過去(当時は割と直近)に校内で生徒同士の殺人事件があったことから、それを戒めとして治安にはかなり力を入れた学校でした。
 入学直後、オレは幼馴染に頼まれて水泳班(この学校は部活ではなく班活と呼んでいた)に付き添ったら、なし崩し的にそのまま水泳班に入班してました。自由な校風の中でも特に頭のネジが飛んでいたのがラグビー・剣道・水泳の3班で、結果オレは3年間割と自他共に認めるアホの人だったと思います。この時の経験から、多少ブッとんでると見られていた方が周囲の目は生温かい感じになって色々やりやすいことを学びました。ちなみに水泳の成績は大したことありませんでした。水泳はスイミングスクールとかの育成選手じゃないと勝てない世界だったんですよねぇ。
 高校に入ると途端に勉強で苦労するようになりました。県下でも有数の進学校に入って、周囲に頭のいいやつしかいなくなったのだから当然です。加えて、オレはこれまで勉強するという習慣を身につけておらず、また授業を聞いただけでは理解できないという経験も、授業でメモを取るという経験もしてきませんでした。そりゃ勉強できなくなるわ。努力は習慣化していかないと身につかないと気づいたのは、受験が終わった頃でした。もう少し早く気づけよオレ。



専門学生期(18-21歳)

 子供の頃からTVゲームが好きで、将来ゲームクリエイターになりたいと思っていたオレは、最終的にゲームクリエイターを養成する専門学校に進学しました。ちなみに同級生400人の中で現役・浪人関わらず大学進学を選択しなかったのはオレともう一人らしいです。
 専門学校ってのはバカばっかりなので、勉強では基本的に苦労しませんでした。が、入学3ヶ月後に椎間板ヘルニアで手術と2ヶ月の入院をし、いきなりつまづきます。腰の治療が終わった頃、生活費の足しにと市民プールの監視員のバイトを始めたのですが、学生の身分でバイトに夢中になってしまうという本末転倒をやらかし、結果あまり学校に行かない始末。専門学校は最初から最後まで出席日数に苦労させられました。
 プールの仕事は利用者の命を預かる仕事なので、一般的なイメージと異なり非常に厳しかったです。時給は決して高くなかったんですが、まだ社会人経験のないオレにとって本当の意味での初めての「働く」という経験でした。練習も高校の部活動並みに厳しかったですし、資格もいくつか必要でした。結果として、心肺蘇生法含む応急救護法と、それを用いる心構えを得られたのはオレの人生において大きなプラスでした。この仕事を辞めて普通のオフィスワークに就職した時に、「そうかこの職場では人は死なないのか」と安堵したのを今でも覚えています。



フリーター期(22-23歳)

 結局専門学校を卒業しても就職するあてはなく、そのままフリーターになりました。最初は光通信系のホームページ作成会社でアルバイトをしていたのですが、顧客から預かった写真等の素材の管理があまりにいい加減過ぎたので自主的に整理していたら、いつの間にか素材管理係にされてました。環境は極めて劣悪で、営業の怒号と電話のベル、受話器を叩きつける音が鳴り止まない、それはひどい環境でした。我々はアルバイトでしたが、バイトも正社員がどんどん辞めていくという環境はあまりにも衝撃的でした。ある意味では社会人経験の序盤で本物のブラック企業を見ることができて、かつダメージがない状態で抜け出すことができたのは良かったのかもしれません。光通信系の会社に所属していた事は、後々にもネタにできましたしね。
 そのあと1年くらいは、学生時代に続けていたプールの監視員のバイトに戻りました。たまたま代理とはいえ施設の責任者も体験でき、数々の事故を乗り越え、無事就職に成功してプール監視員を卒業しました。生体で人工呼吸を経験した人はそういないはず(しかも結果的に助けることができた)なので、本当に貴重な体験だったと今振り返っても思います。



1社目期(24-34歳)

 この頃はゲームクリエイターにはなりたいとまでは思っておらず、さりとてコンピュータに関わりたいとはざっくり考えていて、なんかプログラム初心者でも入れる会社を条件に探していたら、フロムエー(今だったら信じられない!)で「未経験OK!二年後には一人前のSEに!」という怪しい触れ込みの求人広告を見つけ、さほど疑いも持たず応募してあっさり受かりました。n次請のSIer(システムインテグレーター)がオレのシステムエンジニアとしてのキャリアのスタートでした。ブラック……というよりは会社自体が未熟で、評価制度とかも雑だったし残業代とかなかったし(途中でできたけど、そのタイミングで管理職に就いたので結局もらえなかった)、今だったら総叩きに遭いそうな会社でしたが、なぜか極めて個性的な社員が多く、その中で好き勝手やらせてもらったという印象があります。定時後に会社をゲーセン化したりとか、キャバクラとか風俗行ったりとか、まぁ色々やりました。悪い遊びはだいたいこの会社で覚えた感あります。法に触れるものはやってませんよ、念の為。この頃の同僚とはいまだに交流があり、折をみては飲み行ったりとかしていますね。
 入社した時の教育係的な先輩が強烈な浦和レッズサポで、その人の英才教育もあって一瞬レッズサポになり、ブッフバルトに監督が交代したタイミングでなんかつまらなくなって、FC東京に鞍替えしました。以降16年間FC東京サポです。シーズンチケット購入も15年を突破しました。今年はまだほんのわずかだけ優勝のチャンスがあるんですが、さてはてどうなることやら。
 非常に良い会社だとは思うんですが、ただ一つ、エンジニアとしての未来だけがなかったです。11年働いて、見切りをつけて退職しました。オレ自身色々活動してみましたが、結局のところ社長の考えを変えるまでには至りませんでした。主張を金に変えてみせないと経営者には響かない、と学んだのはこの悪戦苦闘の日々のおかげでした。



2社目(34-38歳)

 この頃世間はソーシャルゲームブームの真っ只中でした。怪盗ロワイアル、探検ドリランドといったガラケー向けのポチポチゲーが主ですね。これらのゲームは1社目でオレが身につけたWebシステム開発のノウハウで作られているものが多く、忘れかけていたゲームクリエイターの夢がもしかしたらこのタイミングなら叶うかも、とソーシャルゲーム関連会社を中心に転職活動をしました。
 結果、インデックスというインターネット配信サービスの会社に入社することができたのです。オレの役割は複数のインターネット配信サービスのお守りでしたが、インデックスは自社内にソシャゲ部門を持っていたほか、子会社にペルソナ・世界樹の迷宮といったタイトルを持つアトラスというゲーム会社を持っていたので、あわよくばそちらに転籍したい、という思いがありました。


 なんてことを思っていたら、入社半年で会長と社長が粉飾決算で逮捕、間も無く会社は倒産。社員はほとんど辞め、業務委託さんからは次々に契約を切られ、あっという間に自分の周りには誰もいなくなりました。一方オレは、転職したばかりだったのと、倒産会社の顛末に対する物見遊山的な精神があり、会社に残ることにしたのです。給料が保証されていたのも大きかったのですが、これがまずかったですねぇ、さっさと逃げておけばよかったものを。
 この後に起こったのはさらなる地獄です。
 人がいなくなって残されたサービスのほとんどのお守りを押し付けられたオレは、十分な引き継ぎも行われなかったので、何か対応するたびにトラブルを起こしました。そしてありとあらゆる責任がオレに押し付けられる形となったのです。担当した20以上のサービスは最終的に片手で数えられるまでに減り、サービスクローズの手順だけが熟練化していきました。
 やがてインターネット配信サービスの担当を外され、受託案件に配属されましたが、こちらでもサーバ移行に失敗して1週間連続で徹夜したり、長年関わっていた業務委託の開発者がクーデターを起こして訴訟寸前まで発展したり、とまぁ普通に開発案件やってるだけじゃ絶対出会わないようなことのオンパレードでした。
 会社としては、倒産後にアトラス狙いのセガに買収され、そのセガを切り離された残りカスみたいな部門がさらに別の会社に買収され、社名も変えて現在もかろうじて生き残っています。たまに今も在籍しているメンバーと飲むこともありますが、あまり旗色の良い話は聞けません。


 最後の会社の買収があったタイミングで個人的に会社に見切りをつけ、転職活動をはじめました。転職からちょうど4年経っていました。最後の有休消化で自転車担いで四国に行き、お遍路(四国八十八箇所巡り)をやりましたが、あれはしんどかったけど楽しかったですねぇ。ああいうので儲ける方法ってないのかしら?



3社目期(39-40歳)

 3社目に選んだのは1社目と同じSIerでした。ただしこちらは顧客から直で仕事を請ける会社で、会社も東証に上場していました。そこの総務部長がとある居酒屋経由の飲み友達で、うちの会社に来ないかと言われたのがきっかけです。直属の上司となる営業上がりのマネージャを窓口に採用面接を行い、結果この会社に入社しました。ITエンジニアが転職するならITエンジニアじゃない人間の言葉には絶対に耳を貸すな、という教訓を得られたのはこのタイミングだったなぁ、と今振り返って思い出します。
 なんていうか、入社時の約束を何一つ守らない会社で上司でしたねぇ。仕事の内容も嘘、給料も入社時の約束した金額に全然足らない、本当に何から何まで嘘だらけでした。顧客企業に2年間常駐してたこともあって、自社の印象は見栄っ張りの薄っぺらい会社だなぁくらいしかありません。株式上場してたので経費がデタラメにかかるし、見栄を維持するために設備投資も身の丈に見合わないほど多かったような印象を受けました。上場しているSIerは経営者のキャリア装飾の道具に過ぎない、という学びはこの会社に所属していた時に得たものです。


 それでも2年半も所属していたのだから、我ながら我慢強いなぁと感心しています。



フリーランス期(41歳-現在)

 そんなこんなで今年の7月にフリーランスになりました。現在は自分がこれまでITコミュニティで培った人脈を通じて仕事をいただいて生活をしています。フリーランス生活については最初の納税が終わってから詳しく書きたいと思うので、ここでは控えます。会社員の頃より、人の善意にも悪意にもダイレクトに触れる機会が多く、結果として会社員の頃より色々な影響を受けるな、というのがここ半年の実感です。やはりトラブルはそれなりにありますが、12/03(火)現在においては概ね楽しく仕事できているんじゃないかと思います。



これから

 オレが18で上京する時に、ひとつだけ決意したことがあります。


「故郷の土になる、そのために必ず帰ってくる」


 信州のあの土地が好きでしたし、長男としての責任もありました。上京以降ずっと、システムエンジニアとしてなんとか生計を立てた上で故郷に帰れないか、故郷のために働くことはできないか、と考え続けていました。昨今はリモートワーク(テレワーク)が発達し、遠隔地でも都会と変わりなく仕事ができるようになったことで、その念願が叶う準備が整ったと判断しました。半年前にフリーランスに転身したのはそのためです。
 また、2020年4月から始まるプログラミング教育の小学校での義務化も帰郷を決意するきっかけになりました。都会と違いITエンジニアの少ない田舎では、どうしてもIT知識に明るくない先生たちをサポートできる人が少ないのです。なんとか自分がお手伝いできたら、と考えています。
 幸いにして弟が略式にでも実家を継ぐ宣言をしてくれたらしいのですが、一方で今年の初めに母方の祖父が亡くなり、母の実家が空き家になってしまったので、そちらに住もうかと思っています。オレは現時点で独身なので、残念ながら末代を数十年遅らせる程度にしかならないかもしれませんが、自分なりにやれることはやっておきたいと思います。


 この年末年始を帰郷のタイミングをし、今はその準備を進めているところです。



最後に

 やっぱりダラダラと長くなってしまいました。人生の半分以上を東京で過ごしたわけですが、そこから去り帰郷するというタイミングで、簡単にでも自分の半生を棚卸できたのは良かったんじゃないかと思います。


 「未来を先読みして点と点を結ぶことはできません。後から振り返って初めて結ぶことができるのです。従って貴方達は将来点と点がどこかで繋がると信じなくてはいけないのです。」


 故スティーブ・ジョブズの有名な演説の一説です。改めて自分の半生を振り返った時に、まさに点と点を後から結ぶような人生だな、と思いましたし、えてして人はそういう風にしか生きられないのかもしれません。多分今後もオレはきっとそうやって生きるんでしょう。その瞬間瞬間に思うこと・感じること・やるべきことを全力でこなし、後で何か意味付けできる人生にできたらいいのかな、なんてこの記事を書き終わった今はそう考えています。