読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

オレの孤独な社内戦争の終局 — 退職の報告に代えて —

はじめに

 今日で今勤めている会社を退職します。最終出社日は先週末の納会でした。オレは2003年4月に入社したから、10年9ヶ月、実質11年働いたことになりますね。いやぁ、長いなぁ、転職活動中にも面接官の方から散々「一社でのお勤めが非常に長いですねぇ」って言われましたよ。オレだってもっと早く動くつもりだったわい。


 11年も働いていると、それなりに思うこともあるし、伝えたかったこと、伝えきれなかったこと、いろいろあります。そんなわけで、ちょっとだけ振り返ってみたいと思います。


ちょっと昔の話

 オレは、前職は市営プールのライフガードでした。その辺の話はこちらに寄稿したので割愛します。


 オレ、実は昔はゲームクリエイターになりたかったんですよね。小1の時に初めてファミコンスーパーマリオをプレイして、瞬間のめり込み、こんな面白いものを仕事にしたいと、自然に考えるようになりました。


 だから、地元で一番の進学校に進学したにもかかわらず、「ゲームクリエイターになるなら最短の道は大学じゃないだろ!」と専門学校を選択。今ならまた別の結論を出したと思うんですが、当時は本気でそう考えていました。


 当時はFF7が爆発的ヒットになったばかりで、オレのようにゲームクリエイターになりたい学生がいっぱいいたんですよね。だから専門学校側も「この中で本当にゲームで飯が食えるのはほんの一握りだ。だからさっさと諦めろ。」ってな風潮でして。それは確かに正しかったんですが、それを言っちゃう学校側もどーよ?ただまぁ、事実、オレの同期は100人近くいたはずですが、ちゃんとゲーム会社に就職できたという話は1人2人しか聞きません。


 この専門学校、3年制だったんですが、最初の3年間は共通コースでした。このタイミングでオレは交通事故で1ヶ月ほど入院する羽目になったんですが、周りがアホばっかりだったんでしょうねぇ、半分も学校通ってなかったのに、テストでクラス1位だったんですよ。VBのプログラミング実習とかもあったんですけど、それもやっぱり1位で。じゃあプログラミングは自習できるから、もっと色々出来る方がいいかな、と1年後半からCGコースを選択しました。


 CGコースは2D、3Dとまんべんなくコンピュータグラフィックを学んだんですが、ここでどうもオレには絵心ってのがないことを思い知ります。それまで殆ど絵なんて描いてこなかったんだから、当然ですよね。ツールの使い方はそこそこ覚えましたが、目的の「ゲーム会社に就職できる」レベルには程遠く、そもそもあんまり面白くなかった。
反面、この頃流行り始めたインターネットに興味を持ち、「これからの時代はこっちを狙った方が食えそうだな」と、HP作成を仕事にしようと思うようになります。


 卒業後、HP作成会社にアルバイトで入ったり、その会社が倒産したり、またライフガードに舞い戻ったり。紆余曲折を経てオレは11年前に今の会社に入りました。志望した理由は単純で「プログラミングやってればまたゲームクリエイターの道も見えてくるかな」という安直なもの。あと、今の会社は「完全未経験でもOK、2年で一人前のSEになれる」という売り文句で求人広告を打っていたのも大きかったです。当時はフロムAで正社員募集してたんだからとんでもないっすわ。


 その後11年でこうなりました。HP作成の知識が事前にあったからWeb系開発には抵抗が無く、PhotoshopIllustratorも使える程度にツールに習熟していたから他の人より綺麗な図入りドキュメントが書けました。スティーブ・ジョブズの「後から点と点を繋いで人生を紡いできた」という有名なスピーチがありますが、まさにそんな人生だと思います。


それよりさらに昔の話

 オレは田舎から上京する時に、たったひとつだけ決意したことがあります。


故郷の土になること


オレは長野県の下伊那郡にある農村で育ちました。駅はひとつもないし、国道なんか通ってないし、信号は村にひとつだけ。目をやれば、伊那谷の山々と、天竜川と、見渡す限りの田園と果樹園。なんもなくて、東京と比べると非常にゆっくりと時間が流れます。


 最終的にこの土地に戻ってきたいと考えています。長男であり、継ぐべき家がある、というのも理由ですが、なによりオレ自身が故郷が好きなんです。
 一方で、自分の夢も捨てるつもりもなかった。だから何とか自分の好きな仕事をしながら故郷に戻ってくることを目指せないかと思っていました。


 ただ、わがままを言う以上、できれば故郷に何らかの恩返しが出来ないといけない。自分が吸収したものを故郷に返したい、出来れば自分が起因で雇用が生まれるようにしたい。ちょうど動物が死んでそれが土壌を育むように。ただ「故郷で死にたい」なんて意味無い、死ぬことなんか誰にでもいつでも出来る。別に「伊那谷を日本のシリコンバレーにしたい」なんて大それたことは考えていません。自分がやってきたことを何らかの形で残したい、それがオレがやったという形はなくとも。

 上京当時は、なにかそれが実現できる心当たりがあったわけじゃありません。ただ、それなりに「上」に行けたら今とは違うものが見えるんじゃないか、漠然とそう考えただけです。それはゲームクリエイター→HP作成→SEと変遷を経ても基本的に考え方は変わっていません。


そして今の話

 上京してから16年、状況は大きく変わりました。インターネットが普及し、Skypeなどを使えば遠隔地の人とも仕事が出来るようになりました。社会システムも震災がきっかけでBCPなどが一般化したこともあって、個人に重きを置くようになり、在宅勤務も徐々にですが増えつつあります。たぶん、オレ1人が故郷からリモートでSEを続けることは、収入の大小はあれどそう難しくないでしょう。


 ただ、それで帰って何か意味があるのか?オレはまだ成し遂げてないし、何も手に入れていない。今帰っても「故郷の土になる」ことなんて出来ない。


 自分が席を置く受託開発業界も大きく変わり始めました。クラウドやユーザーライクなツールの台頭、内製回帰、システム開発の現場の環境悪化、リーマンショックソーシャルメディアの普及。オレの所属会社は、仕事の数自体は待機用員が出るほど減少しておらず、むしろ数だけは以前より多いようですが、単価はリーマンショックで大幅に下がったまま戻る気配を見せません。オレ自身、個人単価は最盛期から大幅に下がったまま戻る気配をみせず、下の人間を何人か連れていないと採算が取れない状況が続きました。


 ビジネスが、会社が続く以上、受託開発そのもののニーズは存在し続けると思います。でも確実にシュリンクしていく。先日シャープが経営状況の大幅悪化を発表したように、今SIゼネコンの土台を築いている大企業が今後同じようにならないとは限らない。その前にSIビジネスのシュリンクの影響は、オレの所属会社のような二次請以降の下請け企業に如実に現れるでしょう。今のようなゼネコン構造は維持できなくなるはずです。


 そういう意味では、「今のSIビジネスは終わる」んだと思います。

転職の経緯

 オレの今回転職に至った経緯は、確かに上記の様な状況に危機感を覚えたというのもあります。崩壊する前に逃げ出した方がいい、それは何年も前から感じていましたし、実際にそれを決断しないといけない時が来るとも思っていました。ただ、まだその時期までには5年ほどあるんじゃないかな、というのが、中から見ていたオレの実感です。単価は安くなっていても、仕事自体は無くなっていない。形だけならあと5年は維持出来ると思っています。


 今回のオレの場合、「今の会社で学ぶべきことがなくなった」「緩やかにしか成長出来なくなった」という理由が最も大きいです。二次請以降の会社にしては、オレの関わった案件は比較的ユーザーに近いところのものばかりでした。ただ、今後も同じように来るとは限らない。意に反した仕事を引き受けなくてはいけないこともあるでしょう。それは会社の立ち位置(ビジネスモデル)を考えると、止むを得ないと言わざるを得ません。

 今の会社で成長出来ない訳じゃないんですが、もっとエキサイティングで、自身の成長を実感しながら、ユーザーに適切なものを提供できる仕事をしたい。それが今の会社に居続けるという選択よりは、新しい場所でチャレンジするという選択を取ることを選ばせました。
 自身の年齢のこともあります。「プログラマ35歳定年説」に影響される訳じゃないですが、34という年齢は転職を決断するにはラストチャンスだと思っています。
 タイミング良く、時代は「ソーシャルゲーム」が爆発的ヒットで沸いています。オレにとって、Web系の技術で殆どを開発するソーシャルゲームの台頭は、「一度諦めたゲームクリエイターの夢が向こうから寄ってきてくれた」ように見えました。結果的にオレの次の仕事はソーシャルゲームにはなりませんでしたが、ソーシャルゲームのヒットが転職に向かわせた部分も大いにあります。


今の会社に思うこと

 新しい会社に移籍する際、最初は仮採用という事もあって、収入は月給ベースではちょっとだけダウンとなりました。これは新会社の提示金額が安かったからでは決してなく、そもそも今の会社にそれなりに高い給料をもらっていたからです。それだけ今の会社に過分な評価を頂いていたんだと思います。決して扱い易い社員ではなかったはず、好き放題やるし好き放題書くし、執行部批判も日常茶飯事。そんなオレに好きなようにやらしてくれ、相応以上の評価をしてくれたことに、本当に感謝しています。



 DevLOVE2012の公募セッション「HangarFlight」でも発表させて頂きましたが、オレは今の会社で本当に色んな事にチャレンジしてきました。
 オレが退社すると公言してから、多くの同僚に「残念だ」「貴重な人材だったのに」と言って貰うことが度々ありました。「滝川のやってることは絶対に会社に必要だったのに」と声をかけてくれる人もいました。それ自体は率直に嬉しく思います。でも


 だったらなんでオレが取り組んでいる時に助けてくれなかった!良い活動だと思ってるんだったら、なんで参加してくれなかった!手伝ってくれなかった!それが出来なければせめて賛同の声くらい掛けてくれれば良かったのに!!


 

ちょっと前の話

 数年前の話。オレは当時飯田橋にあった某企業に出向していました。ある日のこと、以前その会社で働いていた、という人が、その日限りでその会社にやってきました。障害対応だかその人でしか分からない特殊な技術分野に関する相談か、詳しい事は分かりません。たまたまその人が、作業場所として、オレの座席の正面の席を与えられます。


 その人が作業をしているところへ、以前から在籍する社員が声を掛けてきました。


 「よう、久しぶり
 「久しぶり
 「最近どう?
 「あー、最近はjQuery MobileとNode.jsが熱いかな


 この何気ない会話に、オレはとてつもない衝撃を覚えました。オレの会社ではそんな会話、絶対に有り得なかったのです。会社でたまに顔を合わせれば稼働の話ばかり。何百時間働いた、残業時間が何時間超えた、普段帰れるのは何時くらい、そんな話ばかり。普通に世間話やたわいない話をするならともかく、技術の話が自然に、しかも第一声で出てくる事なんて、とてもじゃないけど起こり得ないことでした。でもその会社ではそれが当たり前で、自分の環境と、本当のエンジニアが在籍する会社との落差に、心底落胆しました。
 
 

今の会社に思うこと、再

 納会で取締役の何人かと話をしました。「滝川は教育や技術を頑張ってくれて有難かった」「勉強会やフットサルを活発にやってくれてよかった」「内輪で楽しそうにやっていた」そんな言葉を掛けられました。


 違う!オレがやりたかったのはそんなことじゃない!勉強会もLT大会もフットサルも数々のアホなメールも、それ自体が目的なんかじゃない、ただの手段に過ぎない。
 オレは会社を変えたかった。日常会話で稼働の話じゃなくて、技術やビジネスの話が当たり前に話せる会社に、互いに切磋琢磨できる環境に。オレが見たあの会社みたいな空気をこの会社にも作りたかったんだ!


 同時に思い知ったのは、オレが「教育を頑張っている」と思われていた事。「興味を持った何人かで楽しむ為に活動している」と思われていた事。「勉強会やフットサルが、それ自体が目的だ」と思われていた事。オレの本当に考えていた狙いや思いは伝わっていなかった、いや、そもそも伝えていないんだから、伝わるわけがなかった。行動だけしていて思いを伝えるということをやってこなかった。良い活動をしていれば、背中で思いを察してくれるんじゃないか、そんな勝手な思い込みをしていた。やり方が間違っていたんだから、会社を変える事なんて出来るワケがなかった、ということでした。残酷で愚か過ぎる事実です。何も最後の最後で気付かなくたってな…。




 オレの孤軍奮闘してきた日々は、今日終わりを迎えました。

 もしこのエントリを読んで、自身も自分の会社を変えたいと思っている方がいらっしゃったら、具体的な行動を起こす事と同じくらい、周囲に、上司に、会社の偉い人に、言葉で思いを伝えるのを決して怠らないで下さい。簡単には理解してもらえないかもしれない。最初は無下にされるかもしれない。それでも、言葉で語ることに力を尽くしてほしいのです。
 行動だけではなにも思いは伝わらない。でも、言葉を尽くすと同時に行動がついてくれば、言葉はいつか説得力を持つと思うのです。思いを伝える事と、行動を起こす事との両輪で、自分の会社を変える推進力にして下さい。どうかオレと同じ失敗はしないで欲しいです。


一握の砂金

 以前にも書きましたが、そんな中でもオレに共感してくれる仲間が何人か出来ました。時にはバカなこともやったし、時には先輩後輩の関係で叱ったり指導したりといった関係でしたが、「ITエンジニア」として高みを目指すことに協調して色々と協力してくれました。オレは一生かけてもなかなか手に入れる事の出来ない、素晴らしい財産を手に入れたと思っています。
 最後の納会で、彼らにも一人一人声を掛けて回ったんですが、あんまり「これで最後」っていう気がしなかったんですよね。だから別れの言葉は伝えませんでした。どうせ近いうちにまた会うだろう、と。たぶん彼らとは、どちらかがITエンジニアを止めるまで、ずっとどこかで影響し合うんじゃないかと思います。彼らもそう思っていてくれたなら嬉しいです。


 同様に、社内で色々行うにあたって、ずっと刺激を受けたり、アイディアを貰ったり、折れそうになった心を支えてもらったのは、社外のIT技術者のコミュニティでした。そこで知り合った人々はみんな一ITエンジニアとして尊敬出来る人ばかりで、自分もいつかそこに追いつきたいと必死に食らいついて、ここまで来たと思っています。


謝辞

 本当は個別にお礼をすべきなんでしょうが、1人1人ここで書いているといつまでたっても終わらないので、まとめてお礼を言わせて下さいw。「3月のライオン」という漫画の最新8巻に、こんな台詞が出てきます。

1人ずつ欠けて行く事も解ってる。将棋からも人生からも。でもな、俺は覚えている。好きなヤツも、嫌いなヤツも、山程いたが、間違いねえ。今の俺は、その、全部のカケラでできている。


 まさに今のオレがその「みんなのカケラで出来ている」状態だと思います。色んな人に支えられて、色んなものを受け取って、ここまで来ました。何が欠けてもここまで色んなことに取り組めなかったし、ここまで辿り着けなかった。本当に感謝しています。ありがとう。


 最後に、今の会社での師匠からの言葉を再び紹介します。

恩はね、確かに返したかもしれないけど、でも無くなった訳じゃないんですよ。


 ここで一区切りつきますが、オレが受けた恩は無くなるわけじゃありません。これからも返し続ける事になります。今までオレが恩を受けてきた人全てに、恥ずかしくないように、いつか胸が張れるように、まずは今決めた道に精一杯取り組みたいと思います。


 改めまして、本当に有難うございました。



上田さん、写真お借りしました。許可も取らずにすみません。


 2012年も大変お世話になりました。所属は変わりますが、2013年も滝川陽一をどうぞ宜しくお願い申し上げます。