オレ的10大ニュース 2016年版 - ミッションたぶんPossible
はじめに
毎年のことではありますが、2016年を振り返るにあたり、(世間的なトピックではなく)タキガワの個人的なトピックで振り返ってみたいと思います。2016年という年を一年振り返って、次の年に繋げられれば良いのですが。
ちなみに、過去の年末振り返りエントリはこちら。
1.御府内 & 四国お遍路 無事結願!
2016年の大きなチャレンジとして、四国八十八ヶ所参りと、それの東京版である御府内八十八ヶ所参りを敢行、無事結願(八十八ヶ所全てをお参りすること)を果たしました。どちらも自転車での移動をメインとし、御府内お遍路はゴールデンウィークから土日祝日のみを使って、四国お遍路は12月丸々一ヶ月使って回りきりました。御府内お遍路は余暇の趣味と言った感じでしたが、四国お遍路は本当に大変で、それだけに色んなことを考えたり自分と向き合ったりする機会が多かったです。その辺は別途書いていますので、ここでは省略します。
2.退職 & 引継
2015年12月に自社が再び事業売却、同じ会社にいながら4度目の所属変更となりました。その度に事業の一部を親会社となった企業に切り取られ、技術者は辞めていく。さすがにもうこれ以上ここでまともな開発をするのは無理だなと判断して、自身の将来と現担当案件への責任を秤にかけた結果として、2016年の仕事始めで上司に退職を宣言し、1年間引継期間を設けてある程度問題ない状態で引継を行った上で退職しよう、と考えました。
あれから1年たった今、引継については、不十分ながらも残るメンバーの頑張りもあって、ある程度業務を回すのに支障ないレベルで引継ができたと思います。
3.転職活動
上記2の退職に向けた準備と並行し、転職活動も行っていました。7月くらいから本格的に活動を行い、社外勉強会コミュニティで出来た知り合いをツテに、いくつかの企業に応募させていただき、結果2017年1月からエンジニアとしてSIerで働くことになりました。なぜか入社後に従事する案件も決まっていて、数週間の研修を経てすぐ顧客企業に常駐になることになりそうです。案件が相当忙しいらしいので、しばらくは新しい仕事に没頭することになると思いますが、できるだけ早く新しい案件に馴染み、自分の力を発揮して新しい能力を身につけ、前に進んだ手応えを得られるようにしたいと思います。
4.邦画超当たり年!「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅で」
オレは滅多に映画を見に行かない……それこそ数年に1度くらいしか行かなかったんですが、2016年は8回も映画館に足を運びました。……まぁ、見た作品数は4つだけなんですけどね。
そのうちの3作品が「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅で」でした。「この世界の片隅で」では「聖地」とも言える広島:呉市でも観てくることができました。まぁそんなこと言ったら「君の名は。」だって新宿TOHOシネマズで観たんで、聖地っちゃあ聖地なんですが。いやぁ、2016年は邦画の当たり年でしたねぇ。
多分オレはこのブログで「シン・ゴジラ」についてだけは言及してないんですが、この映画についてのオレの捉え方は「SFコメディ」です。テイストはずいぶん違いますが、基本的にはゴーストバスターズやエボリューションと同じジャンルだと思っています。カルト的に盛り上がれるネタがふんだんに盛り込まれており、大爆笑ではなくクスッと笑えるシーンがいくつもある。人間ドラマに全く触れてない分、本質に要素が凝縮していて、その中で目頭が熱くなる場面もある。面白いの一言で片付けるのがとても難しい、非常に心揺さぶられた作品でした。
この3作品は、たぶんBlu-ray買っちゃうんだろうなぁ。また金が……。
5.松本山雅J1昇格ならず
J1から降格した最初のシーズンである今年、反町康治監督率いる松本山雅FCは、2016シーズン序盤から、これまで走力をフル活用した堅守速攻スタイルに、ボールをキープしてつなぐパスサッカーの要素を追加する新たなスタイルにチャレンジ。新しいスタイルにチャレンジすると、どうしてもそのスタイルが馴染むまでに失速するものですが、それは松本山雅も同じ、序盤なかなか勝ち点を積み重ねることができず、ずいぶん苦労しました。
それでも徐々に調子を上げていき、シーズン終盤ではJ2優勝も狙える順位まで駆け上がったんですが、最後の最後でゼルビア町田に痛い痛い黒星をつけられてしまい、松本山雅以上の追い込みで駆け上がってきたオリジナル10:清水エスパルスにまくられてJ2:3位でシーズン終了。その後のJ1昇格プレーオフでもファジアーノ岡山に敗れ、1年でのJ1昇格を成し遂げることができませんでした。
2017シーズンは既に始まっています。反町康治監督の続投が発表されたのは非常に喜ばしいニュースですが、一方でエルシオフィジカルコーチや田坂コーチ、喜山選手や白井選手などこれまで松本山雅を支えた選手らがチームを離れることが発表されています。特に喜山選手は、元々攻撃寄りのポジションだったのにチームの求めに応じてポジションを徐々に下げ、最終的に最終ラインをシーズン通して任されるなど、非常に柔軟で臨機応変な姿勢が個人的に好きな選手でした。喜山選手はファジアーノ岡山への移籍が発表されていますので、新天地でもぜひレギュラーで活躍してほしいと、心から願っております。
2017年の目標は当然J1昇格!きっと成し遂げてくれると信じ、来年も応援していきたい所存です。
6.XP祭り & プロダクトオーナー祭りで登壇!
今年はなんだかギャグみたいなきっかけで2度ほど、ポンデ先生こと伊藤英明さんとUX界の荒ぶる有袋類ことフジタジュンコさんと一緒に、UXとUXデザインに関するパネルディスカッション形式の発表を公募登壇してきました。
2人ともとても優秀なUXデザイナー・インフォメーションアーキテクトで、元々お二人ともコミュニティでも活躍されています。たぶん昔オレがフロント周りの技術を担当してたこともあって、UXデザインや人間中心設計なんかに興味を持ってた頃にDevLOVEかなんかでお会いしたのが、オレが2人と知り合ったきっかけだったような気がします、昔過ぎてあんまり思い出せないけど。
今は基本単なる飲み友達なんですが、ふとしたきっかけでこういう風に2人に新たな切り口で辣腕を振り回せる機会が作れたのは、個人的には良かったんじゃないかな、と思います。
オレ自身はコミュニティ周りではファシリテーターっぽい役割をやることが多くて、それゆえに自分自身が他人に壇上からお伝えできるような特別秀でた能力を持ってはいないんですが、だからこそ友人たちの「メンドくさい」を肩代わりし、やる気を引き出して、何か面白いことをどんどんやっていけたらなぁ、と思っています。たぶん今後オレのIT業界の社外勉強会コミュニティでの立ち回りは、そんな動き方がメインになっていくんじゃないかな。
オレの友人で、なんか面白いことやりたいと思っている方、いらっしゃればお気軽にお声がけください。とはいえ、オレの周りの人、自分でガンガン動いちゃうバイタリティのある人が多いから、あんま必要ないかもしれませんけどね。
7.鹿島アントラーズ クラブW杯準優勝
今回のクラブW杯は、四国お遍路の合間に、ホテルのテレビで見ることになりましたが、いやぁ、まさか偶然でも誤審でも、世界最高峰の舞台でJリーグチームが準優勝できるとは思っていなかったので、本当にビックリしました。
鹿島のクラブW杯出場権は、今季のJリーグが2ステージ制だったからこそ鹿島が手に入れたもので、本来は2016シーズン年間勝点1位の浦和レッズがあの舞台に立つべきだったと思います。サッカーが上手いのも強いのも浦和レッズだと思いますし、多くの人がそう考えているでしょう。でも年間勝ち点で15も差がありながら、チャンピオンシップという大舞台で浦和レッズを一瞬凌駕して2016シーズン王者の地位をもぎ取り、さらには南米王者を下してレアルマドリードをあと一歩のところまで追い込んだ。
オレは鹿島アントラーズのサッカーは好きになれませんし、正直に言ってしまえば嫌いです。ですが、あの土壇場の勝負強さ、負けないための姿勢は、Jリーグ王者たるにふさわしいとも思います。あの姿勢はどのチームも参考にすべきでしょうね。鹿島には次はちゃんとACLを勝ち上がってクラブW杯にチャレンジしてほしいと思います(なんで毎回あんなに早々に敗退するん?)。
8.禁酒
前述の通り5月と12月にそれぞれお遍路をやってたんですが、その間はまがりなりにも仏門の修行ということで、基本的にお酒は飲まないようにしていました。1ヶ月近く禁酒するのは、おそらく就職してから初めてじゃないですかね。2回という少ない経験から言うと、だいたい最初の一週間がけっこうしんどくて、そこを過ぎると酒を飲みたいという欲求はほぼ無くなりますね。なんで、周囲との付き合いがない状態で、ストレスがなければ、基本的にいつまででも酒を飲まずにいられると思います。実際、知り合いからの誘いや仕事のストレスがなかった四国お遍路よりは、東京にいながら仕事しながら回った御府内お遍路の方が、禁酒はしんどかったです。
禁酒の敵はストレスと知り合い。辞めたい人は周囲の人の協力を得つつ、ストレスを極力軽減する方向で、また別のストレス発散方法を見つけて継続していくことが必要なんじゃないでしょうか。
9.ダイエット
禁酒したらあっという間に5kg痩せました。お遍路で自転車で走り回ってたのも良かったみたいです。オレがビールや日本酒・ワインといったカロリーの高い醸造酒が好きなのも、酒で太る原因なんでしょうが、酒の機会は普段より食べてしまったり、飲み終わった後にラーメン食べちゃったりするのが更に良くないんでしょうね。
……オレ、11月の健康診断の結果と現体重がだいぶ違うんですが、この健康診断の結果をそのまま新しい会社に提出して大丈夫なんでしょうか? ちょっと聞いてみます。
10.TOCfE Bootcamp アンビシャスターゲットツリー回講師担当
思考プロセスツール「TOCfE」を初心者向けに伝えるコミュニティ「TOCfE Bootcamp」が2/20(土)に開催したワークショップで講師をしてきました。
通常このコミュニティでワークショップを開催する際、
- サービスオーナー:1人+講師:3人の体制
- 公式認定プログラムのワークショップ・カリキュラムをベースにワークショップを構築・提供
するのですが、オレが講師する時だけは(オレのわがままで)
- サービスオーナーを冥土長固定+講師:オレ1人の体制
- 過去の「TOCfE Bootcamp」のワークショップを参考
- 完全オリジナルのワークと内容に刷新
- ワーク全体を通して特定のジャンルに絞ってテイストを統一
- 初心者がツールの使い方を覚えることに徹底的に特化する
- エンターテイメント性を強く、参加者に楽しんでもらえる内容にする
- 考える・悩むを体験してもらうのは二の次
と、完全に他の開催とは色合いを変えてワークショップを準備しています。なんでオレだけかというと、単にこんなメンドくさいことをやるのがオレだけ、っていうのもありますし、やることが多いのでオレのように裏方の中でも登壇慣れしている人間以外では準備が当日までに間に合わない、という理由でオレともうお一方以外に許可されていない、というのもあります。
その分、コミュニティとしてチャレンジ要素がとても多くなり、課題や問題点をあぶり出して次に繋げることを目的としています。まぁ他の講師が開催するワークショップの方が無難で確実ではあるのですが、この回もふくめ、過去開催分に関しては参加者の方々には好評でした。
来年も2月未定に講師を担当して「ロジックブランチ」の使い方を初心者の方に覚えてもらうワークショップを開催予定です。近々日程を確定して告知しますので、ご都合のよろしい方は是非参加検討頂ければと思います。
また、広告用の記事も内容を刷新し、同人誌を作成して大きなイベントで頒布したいと考えております。こちらも完成しましたら告知しますので、ご購入を検討頂ければと思います。
おわりに
今年はオレにとって、ほぼ「お遍路」一色な一年でした。それに比べれば転職・退職といった人生の一大イベントも霞んでしまうから不思議ですね。特に四国八十八ヶ所参りで得た経験は、今後オレにとって大きな影響を与えると思います。これについてはまた機会があれば改めてお伝えできることもあるかと思いますので、気軽に飲みにでも誘ってもらえると嬉しいです。
来年もお遍路のように大きなチャレンジができるように心がけていきたいです。
2016年の20枚
下手の横好きながら、2016年も一眼レフを持ち歩き、色んなものを撮ってきました。Flickrにupしたもので4,700枚強。上げてない(削除した)ものも含めると10万枚は撮ったんじゃないかと思います。2016年は御府内・四国のお遍路に行ったこともあって風景を撮影する機会がとても増えました。
そんなこんなで、オレが2016年に撮影したものの中から特に気に入ったものを20枚チョイスしてみたいと思います。
この中から特に気に入ったものを一枚だけ選ぶとすると、先頭の一枚、四国お遍路を回っている最中に太龍寺ロープウェイから見た夕焼けの写真になりました。麓に降りる最終便のロープウェイの中から、すれ違いで空のロープウェイがシルエットだけ浮かび上がっているのがお気に入りな理由です。題して「ロープウェイで夕餉まで」。
2017年も良い写真が撮れるといいなぁ。
以前のものはこちら。
会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之十:真夜中ダウンヒル
四十一番札所:龍光寺
6時起床。東京でのオレの生活を振り返ると、信じられないほど早起きだが、早起きというよりは、早寝なのだ。疲れ切っているからあまり遅くまで起きていることができない。昨晩も早々に意識を失っていた。早く寝るから早く起きる。睡眠時間は旅の最中、5〜6時間くらいとあまり変動は無かった。ちょっと足らないくらいだと思うが、日中眠気が襲ってこないのは、退屈している暇が無いからだろう。
この日最初の目的地:龍光寺までは宿泊したホテルから10km程度。まだ暗いうちから自転車を走らせると、ちょうと日の出頃に龍光寺を打つことができた。
四十二番札所:佛木寺
次の仏木寺までは5km程度。特にアップダウンもなく、平坦な道なので、30分程度でたどり着いた。境内ではお遍路ツアーの老人たちが般若心経をコーラスしていた。
お遍路で各札所を打つ時にはマナー、というか手順がある。
- 山門(仁王門)で合掌・一礼
- 手水場で手を洗い、口をすすぐ
- 鐘楼堂で鐘をつく(寺によっては鐘がつけないので、その場合は省略可)
- 本堂でお詣り
- 大師堂でお詣り
- 納経所で御朱印をいただく
- 山門(仁王門)で合掌・一礼
これだけの手順が本当はある。あるのだが、時間的制約もあるのでそんなのやってられないし、納め札はともかくとして、ろうそくや線香のような壊れやすいものを自転車で積んで回るのはそもそも難しい。なので、最低限のマナーとして、本堂と大師堂で般若心経だけは唱えて、御朱印を頂くようにしている。本当はキチッとやった方がいいだろうが、本堂で手しか合わせない人もいるので、それに比べれば納経もしているわけだし、ナンボかマシだろう。
打ち終えて自転車まで戻ると、ちょうど仏木寺に着いたばかりの歩きお遍路の女性(40代後半?)に声をかけられる。「自転車で回るのは大変でしょう?」いやいや、歩き遍路の方に比べれば全然ですよ、と思ったとおりのことを返したら、思い切り笑っていた。なんとなく思うところがあったのだろうが、オレにはよくわからない。
四十三番札所:明石寺
距離は15km程度と短いが、またもや峠越え。しかも車なら通れる無料の高速道路が、自転車は通れない。大きく迂回し、2つほど峠を超える羽目になった。これから超える峠を見上げたとき、「本当にこれを登るのか?」「他に迂回路はないのか?」散々迷ったし、回避策を散々探したが、無かった。結局のところ、前に進みたければ困難からは逃げられないらしい。
かなり必死に登らればならなかったことと、木々が鬱蒼としていて景色があまり良く無かったこともあり、この道では写真をあまり撮っていない。上の写真は峠に差し掛かる前のものだ。
明石寺に着くと団体客が境内に溢れかえっていた。彼らはバスで、オレの行けなかったあの高速道路を通ってきたのだろう。心底羨ましい。お遍路をやれば精神修行になるというが、本当のところはどうなんだろうか? オレは訳のわからないところで勝手に理不尽な目にあい、訳のわからないことで勝手に他人を恨んでいる気がする。解脱には程遠い。
四十四番札所:大寶寺
次の大寶寺(大宝寺とも)までは約80kmのロングライド。またもや峠越え。愛媛県はオレに優しくない。
途中の道の駅で食べた芋煮うどん。気温はかなり低いが、汗対策のため薄着をしているオレにとって、こういう温かい料理はありがたい。
これを食べ終わって駐車場に出ると、若い女性が自転車のところで待っていた。彼女は愛媛新聞の記者で、県外の人から「愛媛の魅力」についてインタビューをしているらしい。オレの自転車の荷物に目をつけ、旅行者だとあたりをつけて声をかけたそうだ。さすが新聞記者、良い読みをしている。
とはいえ、オレも愛媛入りしたのは前日だ。愛媛のことなんて、正直何もわからない。飯だってコンビニでしか食ってない。今食べたばかりのうどんの感想でも言えばいいのだろうか。すると彼女がオレのカメラに注目して「写真を撮られるんですか?」と聞いてきた。そうだ、確かに愛媛県に入ってからはよく写真を撮っている。高知同様に海と山が近く、天候に恵まれたこともあって、休憩がてら何度か足を止めてシャッターを切っていた。そのことを伝えると、「ではそれで!写真も撮らせてください。」と頼まれ、フリップを渡された。オレはそれにデカデカと「絶景」と書き、自転車と一緒に彼女の向けるNikonに笑顔を向けた。
写真と記事は1/02の愛媛新聞の特集として掲載されるらしい。オレがこれを見ることはおそらくあるまい。が、良い記事になることは願っている。
四十五番札所:岩屋寺
次の岩屋寺もやはり峠越え。しかも、岩屋寺を打ったあとは松山市に移動しなくてはならず、そのためには同じ峠を越えて戻らなくてはならない。こういうのが精神的に一番堪える。必死の思いで登って下りて、もう二度とあんな思いをしたくないと思った矢先に、もう一度その登って下りてを反対からやらなくてはならない。自分で掘った穴をまた埋め戻す作業をさせられているようだ。
とはいえ、峠自体はなんとか1時間弱で超えることができた。できたが、岩屋寺に着いてからさらに難関が。岩屋寺はその名の通り岩崖に建っており、本堂にたどり着くのに20分以上、急な階段を登らなくてはならないのだ。なんたる罠、なんたる拷問。
岩屋寺を打って下りてくる頃には、17時にさしかかろうとしていた。本日のタイムリミット。
岩屋寺の帰り道でみつけた看板。売り文句にインパクトがありすぎる。時間が遅く既に閉店した後だったが、もし購入可能だったら試してみたいところだった。
この後が大変だった。
前述の通り、まずは岩屋寺に向かうために超えてきた峠を超えた。この時点で18時。
そこでまずは松山市内のホテルを予約し、確保できたところで国道33号線を通り松山市を目指す。この松山市への道が困難を極めた。
基本的に宇和島から松山に抜けるには、高速道路を使うしかない。が、自転車は当然通れない。自転車が松山市に行くためには、国道33号線を通り峠越えをする必要がある。しかしこの峠道がきつい。最初10kmぐらいはひたすら上り坂。しかも、街灯が全く無い。車通りも全く無い。闇夜の山奥で、オレはたった一人。自分の荒い息遣いだけが周囲に響く。真っ暗な中、自分の自転車のライトが照らす灯りだけを頼りに必死で登る。
と、今度は突然の下り坂。それも登ってきたよりはるかに長い。感覚的には20kmくらいはあったと思うが、実際にはわからない。日が暮れて急激に下がった気温、汗でびしょ濡れの体、時速50kmはあろうスピードで下る自転車。大声で「寒い!」を連呼しながら、真っ暗闇を独り自転車でダウンヒル。
頭によぎったのは「頭文字D」だ。あいつら車でこんな急勾配を猛スピードで下ってくなんて、頭がどうかしてる。そういえば最後まで読んでない。東京に戻ったら漫画喫茶で一気読みでもしてみるか。猛スピードへの恐怖に打ち勝つために、そんな下らないことを考えていた。
坂を下りきったらもうそこは松山市。そこから10kmほどさらに走って、松山駅近くのホテルにチェックインできたのは21時頃だった。
この日の走行距離
- 157.7km(+徒歩:5.8km)
会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之九:愛媛へ
三十八番札所:金剛福寺
6時起床。寒い。ジョン万次郎像が朝日を浴びている。テントをさっさと片付けると、ほぼ目の前にある金剛福寺にお詣りする。朝霧立ち込める中お寺を参拝するのは幻想的で気持ち良いが、正直に言えばスッゲー寒い。
せっかく足摺岬にきたので、ちょっとタイムロスにはなるが、足摺灯台も見ていく。ここから見る朝日は本当に素晴らしかった。
ふと目を下にやると、小島に人がいるのが見える。どうやら釣り人らしい。あの根性、見習いたい。
三十九番札所:延光寺
この旅で初めて「善根宿」を見つけた。お遍路さんなら無料で泊まれる、非常に簡易的な施設だ。有料宿泊施設とは異なり、トイレや水道が無かったりすることも珍しく無いらしい。とはいえ、野宿を経験した人間からすると、雨が防げるだけで十分ありがたい。四国には善根宿や休憩所などお遍路さん向けのちょっと施設が道のいたるところにある。四国にお遍路が定着している証だろう。
昨日も見かけた、落石防止壁の苔を利用した交通標語……の作りかけなのだろうか。あるいは途中で諦めてしまったか。
次の延光寺までは約60km。また峠越えですよコンチクショーめ。途中、山あり谷ありダムあり。景色が素晴らしいのは、苦労して登った証です。
延光寺には赤いスカーフをほっかぶりにしたご婦人の集団がいた。どうやら炊き出しをしているようだが、お遍路とは関係無いっぽい。何をやってるのだろう?
四十番札所:観自在寺
観自在寺に向かうトンネルの手前に愛媛県との県境があった。ここからは伊予国、土佐とはお別れだ。
観自在の納経所で、御朱印を授けてくれた、おそらく50〜60歳くらいだろう男性から声をかけられる。「兄ちゃん歩き遍路か?」自転車だと答えると「そんなペラッペラな格好で寒そうやな」と言われた。確かにオレはその時、ウインドブレーカーがわりのペラッペラのトレーニングパーカーの下に、ユニクロのヒートテックの長袖シャツを着ているだけだった。正直寒い。が、上り坂でどうせ汗をかくので、これ以上着るとかえって汗の始末が面倒になってしまう。寒さを我慢して、坂を登ることを重視した結果、真冬には異常な薄着をせざるをえなかった。
そのことを説明すると、納得したのかしないのか、続けて「今日はどこで泊まるん?」と聞いてきた。次の龍光寺にはさすがに間に合わないが、できれば宇和島まで出て、龍光寺の付近で宿を取れたら、と目論見を伝えると、親切に宇和島市内の宿泊施設を教えてくれた。宇和島市内の宿泊施設のリストをくれ、ここは安い、ここは龍光寺に近い、ここは遠いからダメ、ここは高い、などなどメモ書きを入れてくれる。丁寧に教えてくれたことに感謝を伝え、観自在寺を後にする。心遣いが本当に嬉しい。嬉しいが、実は既に宇和島駅前のホテルを予約済みだとは言えなかった。
いくつめかの峠を超えている最中、トンネルの手前、上り坂の途中の交差点で銀色の自家用車が止まっていた。邪魔だなぁと思って迂回しようとすると、車の中から声がかかり、呼び止められる。自転車を止めると、車から60歳くらいの女性が降りてきた。「これあとで食べてなさい。頑張ってね。」そう言ってクッキーの入った袋とみかんをいくつかくれた。わざわざこれを渡すために坂の上で待っていてくれたのだ。嬉しさで感謝の言葉がうまく出てこない。なんとかお礼の言葉を絞り出すと、走り出した銀色の車が見えなくなるまで見送った。
オレにとって見知らぬ土地:四国に来て、オレは確実に人と話す機会が減った。しかし、孤独を感じることは全くなかった。むしろ、東京にいる時より、人との縁を強く感じる。四国にはお遍路さんを大切にする文化が根付いている、とは以前から知っていた。が、知ってるのと自分で体験するのとは訳が違う。人と接し、人の親切を目の当たりにすると、その有り難みをひしひしと感じる。
お遍路に来る前、東京で見た映画「君の名は。」の、とあるシーンを思い出す。ヒロインの祖母:一葉の言葉「結び」。人との「結び」、土地との「結び」、弘法大師との「結び」、誰かがずっと紡ぎ続けた組紐をたどって、オレは今ここにいる。たぶんオレ自身もその組紐を紡いでいるのだろう。オレが受けた恩を誰かに繋いでいくことはあるのだろうか? あればいいな、と素直に思う。見えない組紐が誰かにつながっていることを思い浮かべて、また坂の上に自転車を向けて走り出す。
宇和島市内の予約したホテルにチェックインした頃にはすっかり日が暮れていた。宇和島は鯛飯が有名らしく、できれば食べたかったが、荷物の整理やら色々やっていたら駅前の店は全て閉店してしまっていた。せっかく駅前のホテルなのに、晩飯はコンビニ弁当。鯛飯が食えなかったのは残念だったが、まぁそのうち別の街でなにか美味いものも食えるだろうて。
先ほど接待で頂いたクッキーとみかんもこのとき食べた。この「結び」を糧に、明日も朝から走り出す。
この日の走行距離
- 125.8km(+徒歩:3.3km)
会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之八:足摺岬へ
三十七番札所:岩本寺
6時起床。相変わらず風の音で細切れでしか寝られなかったが、コンディションは悪く無い。一回目の野宿の教訓が活かされている。
この日最初の目的地である岩本寺までは60km。相変わらずの峠越え。とりわけ七子峠という峠が大きく、乗り越えるのにずいぶん苦労した。10kmも上り坂が続くと、正直心が折れる。何度「もうここでやめちゃおうかな」と思ったか分からない。
自転車で旅することは坂との戦いでもある。ここまで走り続けていると、さすがにアップダウンの続く道の走り方をだんだん心得てきた。上り坂と下り坂は基本的にワンセットだ。上り坂があれば下り坂がある。下り坂があれば上り坂がある。上り坂だからといって悲観してはいけないし、下り坂だからといって楽観してはいけない。心をフラットに保って、長く走ることを見据ええる。でも先を見過ぎないで、目の前に注力して走る。なんだか人生みたいだ。
そういえば、七子峠の頂上のトイレで、初めて携帯シャワートイレを使った。東急ハンズに売っていた1,000程度のもので、水道水を入れてソフトな本体を押すと先端のノズルから水が噴き出す、というシンプルな構造。使ってみた感想としては、その機能自体は悪く無い、2〜3回練習すれば、通常の備え付けのウォシュレットと変わらない感覚で使えるだろう。
唯一失敗だったのは、このトイレの水道水を使ったこと。この日は特別寒く、峠の頂上ともなれば気温は一桁前半しかなかった。そんなところで入れた水道水を直接肛門に当てた日には……。ケツの穴が凍りつくかと思った。
なんとか岩本寺を打つと、次の金剛福寺までは約90km。時刻はまだ10時だが、おそらく17時までに金剛福寺にたどり着くことは不可能だろう。とはいえ、目指さないわけにも行かない。
これだけの距離があると、当然いくつも峠越えをすることになる。自動車が峠越えを行うための道路には、大抵「スカイライン」とか「サンロード」とか、カタカナの名前がついている。こういうろくでもない名前のついた道路があったら要注意!ということを学んだのも、金剛福寺に至る道のりでだ。坂なんか大嫌いだ。
浜で奇妙な装置を見かけた。ビル数階分の高さの建物(?)に網が張り巡らされ、上から水が流されている。おそらくは「塩」を作っているのだろう、水は海水で、それを蒸発・濃縮して塩を取り出そうとしているのでは無いかと思われる。オレは山奥の育ちなので、こういう装置を見るのは初めてだった。
途中の道の駅で食べた「カツオ叩きバーガー」と「しらす丼」。カツオ叩きバーガーはさっぱりしていて美味かった。しかも値段もそれほど高くない。これが毎日朝食でも悪く無い気がする。しらす丼は、よく湘南あたりで有難がって出してるところがあるけど、「めちゃくちゃ美味い!」というようなものでもないよなぁとは思う。値段がもっと安かったら、こちらも朝食メニューでもいいかなとは思うけど。
足摺岬に向かう途中の道路で見つけた、一見するとよくある標語。実はこれ、セメントの壁に彫っている、とかではなく、何十年も堆積した苔を剥がして標語にしているらしい。これはなかなか面白い試みだ。コストもかからないし、良いアイディアだと思う。
結局、金剛福寺のある足摺岬に着いたのは17時を少し回った頃だった。岬があれば灯台があるだろうし、海を臨む公園があるはず。そのように見込んでいたが、予想通り足摺灯台の近くに公園があった。この公園のトイレの裏をこの晩の野宿の場所とした。まさかの二晩連続野宿だが、慣れたのかテントの設営にも準備がかからず、さっと準備できるようになった。人間訓練すればなんでもできるようになるもんだ。食欲よりも疲れから来る眠気が勝ったため、食事は取らず20時には就寝。風の音にも慣れたのか、だいぶ熟睡できるようになった気がする。
この日の走行距離
- 149.3km(+徒歩:2.2km)
会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之七:高知市内
二十八番札所:大日寺
6時半起床、8時出発。ダラダラしすぎた。高知市内は基本的に平地だが、この大日寺は丘の上にある。つまり、また山登り。最後500mくらいだが、朝一山登りはさすがにしんどい。麓の駐車場に自転車を起き、体一つで坂を登ってお詣りを済ます。
二十九番札所:国分寺
どうでもいいが、「国分寺」という名前のお寺が多すぎじゃないだろうか。四国霊場八十八ヶ所だけでも4つのお寺が国分寺を名乗っている。どうせなら最御崎寺のように個性的な名前を名乗る気概を見せて欲しい。……どこの国分寺だか分かんなくなっちゃうんだよね。
ふと祀ってあるお堂のわきにお供えしてある千羽鶴に目をやると、切なるメッセージが記されていた。どちらも人事を尽くしても叶うかどうかは分からない願い。そういう神仏にすがらざるをえないような願いを叶えるため、みんなお遍路を打つのだろう。
これを見ると、「面白そうだから。」というお気楽極楽な考えからお遍路を始めた自分に、それを続ける資格や覚悟があるのかを問いただされているような気になる。欲はあれど神仏に叶えてもらうつもりはなく、願いはなく、信仰もない。極論を言ってしまえば、オレにとってお遍路は御朱印を集めるためのスタンプラリーに近しいチャレンジなのかもしれない。それでは決死の覚悟でお遍路を打ってきた先人に失礼にあたるのかもしれない。
それでも、オレはやると決めたのだ。もし何か意味があるとしたら、終わった後に何か気づくかもしれない。気づかなくても得るものはあるかもしれない。資格も覚悟も足らないかもしれないが、それでもその先にあるものを見てみたいという欲ならある。今はとりあえず88箇所全て回ろう。後のことは後で考える。どうせ今考えたって答えなんか出ない。
三十番札所:善楽寺
平地で距離も短いので、さらっとしれっと。みんなこんな感じなら楽なのに。それじゃ修行にならないけど。
途中で見かけた路面電車。路面電車を見るとなぜか懐かしさを感じる。路面電車なんて上京する18まで見たことさえなかったのに。
三十一番札所:竹林寺
……などと油断してると、突然の山登り。ハイパーしんどい。オレが必死で坂を登っている時、おばあちゃんたちが満載の観光バスが唸り声をあげて追い抜いていった。足の弱った人でも回れるのが車遍路の利点ではあるが、本来の意味の修行やご利益という点ではどうなんだろ?
三十三番札所:雪蹊寺
禅師峰寺から雪蹊寺の途中、というか、ちょっと寄り道したところに、海に向かって立つ坂本龍馬像があるらしい。できれば見に行きたいと考えていたが、像が立つ場所が岬の先の山の上だと知り、光の速さで断念した。これ以上山なんか登ってられるか!
その手前の海橋はかなり長く傾斜もきついのだが、よりにもよってこのタイミングで工事なんぞをしていやがった。年末になると工事が多くなるのは高知県も一緒らしい。おかげで歩くのが精一杯の狭い歩道を、自転車を押して歩くこともできず、またいだままチマチマ歩いて渡るハメになった。
雪蹊寺の境内では露店、というにはずいぶんラフな物売りがいた。なんでもやってるんだな。
三十六番札所:青龍寺
青龍寺は出島のような半島のような場所にある。大橋を渡り海岸線沿いを走って寺に至る。石段が妙に長くて、山道を散々走ってきた体には非常に堪える。
この青龍寺でこの日は終了。次の岩本寺まで行くことも考えた(実際宿坊に泊まれないか電話したが、満室だった)が、60km近く山道を走ることになるので、断念。
この日は海岸沿いに大きな公園があったので、そのトイレの裏、目の前に土佐の海が広がるロケーションを野宿の場所に選んだ。21時くらいまで暴走族っぽいのが何度か公園の駐車場までやってきて爆音を立てていたが、トイレの裏にまでは興味を持たなかったらしく、特に絡まれたりすることがなかったのは助かる。また、海風のおかげか、気温も若干暖かく(とはいえ気温一桁台だが)、夜露も降りず、テント内に結露もつかなかったため、最初の野宿と比べてずいぶんと快適だった。できれば雨天対策に東屋の下にテントを張りたかったが、猫の集会所になっていたので遠慮しておいた。結果目立たない位置にテントを張ったので、暴走族に絡まれなかったことを考えれば良かったのかもしれない。トイレがあったので水がいくらでも確保できたのも良かった。野宿をするなら海沿いのトイレのある公園に限る。
この日の走行距離
- 85.4km(+徒歩:8.5km)
会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之六:負債の返済
二十六番札所:金剛頂寺
6時起床、8時半出発。この日は昨晩走り続けた道を引き返してお遍路を打たねばならない。その距離:75km。そのため、昨晩泊まったホテルは、チェックイン時点で既に2連泊に変更しておいた。この日は荷物を置いたまま遍路を打つことができる。山登りが2連続と分かっているだけに、荷物が置いていける=軽い自転車で山登りができる、というのは大きなアドバンテージだ。
そういえばここまで言及していなかったが、お遍路というものは「回る」「詣る」ではなく、「打つ」というらしい。「打つ」と言えば、オタ芸も「踊る」ではなく「打つ」ものなのだそうだ。ひょっとしたらオタ芸の「打つ」もお遍路からインスパイアされているのかもしれない。神たるアイドルに捧げるオタ芸。弘法大師に導かれ、修行と御仏への祈りを捧げるお遍路。どことなく共通点があるではないか。……無いな。自分で言っといてなんだが、一緒くたにしちゃダメだわ。
金剛頂寺に向かう途中、老婆を助ける。
水分補給のための休憩を終え、走り出そうとすると、道の反対側で老婆が転倒し、車道に転げ落ちそうになるのが見えた。どうやら手押車を支えに歩いていたようだが、歩道のわずかな坂に手押車が加速し、ついていけずに手押車に引きずられるように転んでしまったようだ。たまたま車の通行が途切れたこともあり、即座に車道を渡った自転車を降り、老婆と手押車を車道から歩道に引き上げる。老婆は気が動転してるのか、足がもつれたままで手押車の取っ手に手を伸ばし、立ち上がろうとしていた。当たり前だがそんな状態で立ち上がれるわけがない。
オレが老婆を落ち着かせようと苦心していると、その様子をたまたま見ていたご婦人が車から降りてきて手助けをしてくれた。手押車に備え着いた椅子を起こし、座って落ち着くようになだめる。オレは十年位以上前に自身がライフガードだった時に覚えた救助法の要領で、後ろから老婆を抱え、持ち上げて椅子に座らせた。老婆は見た目以上に重かった。かつてライフガードの時にも体験したが、要救助者に意識があるか無いかで、その人の重さは全然違ってくる。見た目以上に重く感じたというのは、おそらく老婆がパニック状態で、こちらの動作に対して能動的でないからだろう。
結局、この老婆の旦那さんに迎えに来てもらうことで事態は収束した。ご婦人が老婆から名前と電話番号を聞き出し、オレが老婆の自宅に電話をかける。すると5分ほどで旦那さんが車で迎えにきてくれた。老婆は転んだ際にひざを擦りむき出血していたが、他にぶつけたところはなく、歩くのにも支障はなさそうだった。(怪我など無くても元々歩くのがおぼつかなくはあったが) 老婆が乗った車を見送ると、オレは手伝ってもらったご婦人にお礼を言い、再び昨晩走った道をひた走る。先ほどより軽快に走れているのは、一連のトラブルがちょうど良いタイミングの休憩になったから、だけでは無いと思う。
金剛頂寺に着いたのは12時過ぎだった。若干のトラブルがあっても4時間程度で75km走れたのであれば、タイムとしては悪く無い。
二十七番札所:神峯寺
今走ってきた道を30km戻り、さらにそこから3kmほどの山道。辛い。が、荷物が無い分、まだマシなのだろう。それでも辛い。
到着したのは16時前だった。やっぱり山登りは想定より時間を取られる。可能であれば次の大日寺も打ちたかったが、あと1時間で40kmを走るのは無理だ。どうやらこの日はここまでだ。
昨日の予定では、本当はこの神峯寺まで打つつもりでいた。実際に走ってみて、それがいかに無謀な計画だったかがわかる。
オレは都内を自転車で走る時、だいたい25km/hで計算している。自宅から会社までが25km、それを1時間で走ることができるからだ。今回は荷物もあったので20km/hで計算し、計画を立てていた。が、実際に20km/hで計算すると、最後の1つ2つのお寺を打てずにその日を終える傾向がここまであった。どうやら20km/hは現実的なベロシティとは言えないらしい。以降、15km/hに修正し、計画を立てていったが、山登りや峠越えなどで若干の狂いはあったものの、その後概ね計画通りに進めるようになる。何事もPDCAは大切である。
ホテルに戻る途中、海に沈む夕日が素晴らしかったので、写真を取るために自転車を止める。今更ではあるが、四国は本当に景色が美しい。海と山が近いのでメリハリがはっきりしているのもあるのかもしれない。また、オレが四国入りした時にはまだそれほど山々が色づいていなかったが、徐々に紅葉が進んできている気がする。12月にお遍路を行うのは我ながらかなりリスキーだと思っていたが、景観のことを考えたら案外悪くなかったのかもしれない。
写真を取るために自転車を止めたすぐそばに東屋があったが、よく見るとそこには先客がいた。歩き遍路の人がそこを野宿の場所として選び、なんともう就寝していたのだ。野宿の場合、一番寝にくいのは早朝だ。日が沈んでから徐々に気温が下がり始め、最も気温が低いのは日が昇る直前だからだ。この人はそのことを熟知しており、比較的寝やすい時間帯のうちに場所を確保してしっかり休み、おそらくは日も上がらないうちに歩き出すのだろう。この覚悟この計画性はオレには無いものだ。彼(彼女かもしれないが)を見ていると、自分のお遍路に臨む姿勢の甘さを痛感した。そしてその甘さのしっぺ返しを、今じわりじわりと食らっているのだろう。この2日間で味わった苦労は、その一端に過ぎないのかもしれない。
全然関係無いが、2連泊した高知市内のホテルは、安かろう悪かろうではないが、設備としてはイマイチだった。なぜか部屋の水道で、水を出すとお湯が出てくるのだ。逆はいくらでもあるが、このパターンは聞いたことが無い。部屋の注意書きを詳しく読むと、「蛇口の水からお湯が出てくることがあるので注意しろ」とあった。配管の都合で水が温まってしまうことがあるのだそうだ。珍しいこともあるものだ。逆に、ホテルにコインランドリーが備え付けられているのは使い勝手が良かった。洗剤も無料で使えた。このホテルは宿泊料が安いこともあるのだろう、朝食を食堂で食べていて気づいたが、工事関係者が多く泊まっていた。彼らの多くが単身赴任で、長期滞在しているように見えた。おそらく彼らも自分で洗濯をするのだろうし、ここのようにホテルにコインランドリーがあるのは便利なのだろう。年末に工事で単身赴任。日本の工事関係者は大変だ。
この日の走行距離
- 151.1km(+徒歩:5.1km)