ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

元同級生が死んだ

 今週火曜の晩は数年ぶりに幼馴染に会ってきました。好きなアーティストのライブのために上京するついでに声をかけてくれるのが通例になっており、今回もライブとその後の食事に付き合わせてもらいました。なにせ30年以上の付き合いなので、久々に会って話せば話題は当然多岐に渡るのですが、今回はどうしても話題にあげなくてはならないことがひとつありました。
 我々の中学時代の同級生:Mのことです。Mと我々は中学三年間同じクラスだったこと、帰り道が同じ方向だったこともあり割合仲が良かった方でしたが、卒業後はすっかり疎遠な関係にありました。それが、とあるきっかけで我々は久々に彼の名前を伝え聞くことになったのです。


 先月の三連休の最後の晩、Mは亡くなりました。


 同級生で訃報を聞いたのは彼のが一番最初だったので、オレとしてもやはりショックでしたが、幼馴染はオレよりMと深い関係にあったので殊更にショックだったようです。訃報を噂で聞いた後も独自に細い伝手をたどり、噂話にすぎないようなレベルから、その死の詳細まで調べ上げていて、その内容を今回オレに教えてくれました。


 Mの死因は、自宅の階段からの転落死だったそうです。事故当時、奥さんと子供は三連休を利用して実家へ帰省しており、自宅にはM独りでした。Mはひどく酒を飲んでいたらしく、吐き戻したものを自身で片付けようとした痕跡があったそうです。おそらくは度を越した深酒で酩酊し、おぼつかない足を階段で滑らせて転落、そのまま帰らぬ人となったのでしょう。


 これだけ聞くと、非常に言葉は悪いですが、実にろくでもない死に方です。でもこの話にはちょっとだけ続きというか背景がありました。
 Mが割と最近課長に昇進していたこと、その少し後から、帰り道に酒を何杯もあおり自宅に着くなり酔いつぶれてソファーで寝込んでしまう、という生活を続けていたらしいこと。
 これはオレの憶測に過ぎませんが、Mは中間管理職の役割を与えられたことで上下からの重圧に精神が耐えきれず、酒に逃げたのでしょう。きっとちゃんとした夫で父親だったんでしょうね、家族に愚痴もこぼせず、帰り道の間に仕事のストレスをなんとか発散しようとしていたのかもしれません。そして最後には逃れ先だった酒にすり潰されて、呆気なく死んだ。しょせん憶測は憶測、的外れな可能性は多大にありますが、オレの中ではひとますこれを事の顛末としておきます。


 今回の件からオレが考えたことは2つです。


 1つは過労死の在り方について。最近は色んな業界でブラック企業が話題に取り上げられ、その犠牲になってしまった話を耳にすることが多くあります。その多くは直接的な過労死(寝たら朝起きてこなくて確認したら実は死んでた、etc...)や自殺ですが、おそらくはそれ以上に今回のような「ろくでもない死に方」で片付けられてしまっているケースがたくさんあるんじゃないかということです。


 もう1つは、「袖振り合うも多生の縁」などとは言っても、かつての級友でさえ助けられないのだ、ということ。

 オレはMが死んだ晩、奇しくも帰省して故郷にいました。三連休に地元の同級生が厄年のお払いと同級会を兼ねた親睦会を企画してくれていたのです。乾杯の挨拶の際に幹事が「俺らも厄年だし、もしかしたら来年は誰か欠けとるかもしれんで、そうならんように気をつけて一年過ごしていきましょう。」と述べたのに「ホントによ、気をつけにゃあだ」と軽口で返したのを鮮明に覚えています。が、まさかその言葉が現実のものとなってしまうとは。この会に地元のMは出席しておらず、一方遠く離れた東京からオレが出席していたというのは、なんだか不思議なものです。そしてMは、その晩我々が飲んでいる頃か、その直後頃か、独り自宅で帰らぬ人となっていたのです。

 この手の話に「たら」「れば」は禁物ですが、もし宴席の誰かがMを思い出し電話をかけていたら事故は防げていたかもしれない、そんな考えも頭をよぎりました。実際には、お払いや親睦会に参加したのは同級生のごく一部で、その他大勢は参加しておらず、ゆえにMのことだけを気にかける人もいませんでしたし、だからこそ電話をかけることもありませんでした。自分にはどうしようもなかったとは理解しています。ですが、おそらくはわずかな行動で助けられたかもしれないと思うと、どうしても悔しさが残ります。

 そのようなことを言い出せば、ご家族、特に奥さんの後悔はきっと計り知れないでしょう。帰省していなければ、あるいは一緒に帰省していれば。そんなことを考えてしまうんじゃないでしょうか。誰が見ても誰も悪くない、仕方の無いことだと思ってはいても。他者がどう思うかには関係なく、自分になにかが重くのしかかる気がします。うまく言えませんが、Mのご家族が、自身を責めず、後悔に囚われず、少しでも心穏やかに今後の生活を遅れることを祈らずにはいられません。


 前述の通り、オレはこれまで同級生や自身に関わった人が亡くなるという経験を、家族以外ではあまりしてきませんでした。これから知人の死に触れる機会は増えるのでしょうし、それは時に今回のような心にしこりを残すケースもあるのだと思います。そして、その度にきっと今回のような思いを多からず少なからず感じていくのだと。


 「後悔のない人生を」なんて、言葉自体は簡単ですけど、自分のためにだってろくすっぽ使えてないものを他人との関係に使うのは、本当に難しいですね。身の程をわきまえろ、なにさまのつもりだ、と自身に返したくなる気持ちもあります。でもどこかで諦めたくない気持ちもあります。今オレの中に何か答えがあるわけではありません。おそらくは今後ずっと考えていくことになるんでしょう。



 最後に、かつての級友の冥福を心からお祈り申し上げます。ただただ、ゆっくり休んで欲しいです。ちょっと頑張りすぎちゃったな。おつかれさん。