ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

自分の半生をただひたすらにダラダラ書いてみる

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はじめに

 この記事は自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 - Adventarの3日目です。


 オレの職業はシステムエンジニアという職業に就いています。システムエンジニアプログラマという職業は、一般的にはシステムとプログラムを相手にして、人とは滅多に関わらない仕事だと思われがちですが、実際には意外にも他者との対話が多い仕事なんです。大きなシステムは一人じゃ作れないし、自分の知らないことは他人(客・事業部門の人間)から聞かなくちゃわからない。部下を持てば当然評価面談も行わなくちゃいけないし、採用を行えば面談で対象者からそれまでのキャリアと身につけた技術を聞き出さなきゃならない。そんなこんなで対話の機会も多く、中にはその人から半生記めいたものをインタビューして聞き出すこともありました。
 ただ、そうしたことをこれまで自分自身にやったことは無かったなぁ、と思いまして、今回このアドベントカレンダーに便乗して、自分自身の人生の棚卸し的な何かをやってみようかなと思います。


 この記事を書く上での基本方針は2つです。

  • 人生の特定の期間ごとに区切り、その期間に何があったかを数行にまとめる
  • そこで得た学びを1〜2挙げる

 オレは長くダラダラと書く傾向にあるんですが、今回は極力コンパクトにまとめるように頑張ってみたいと思います。たぶん無理だけど。


幼少期(3歳くらい)

 最初の記憶は長野県塩尻市の葡萄畑で遊んでいる光景です。ご近所さんがいたことはうっすら覚えていますので、おそらくそのご近所さんが葡萄畑の持ち主なのでしょう。自分の家族とそのご近所さんの家族以外は記憶にないので、まぁ狭い世界を生きていたんでしょう。
 学び?ンなものあるか。


保育園期(4〜6歳)

 父親が銀行員で転勤族だったので、3年おきに転勤があったはずです。この頃は長野県松本市でした。なぜかは知らないけど、カトリック系の保育園に入れられてキリスト教式の教育を受けた覚えがあります。一方で弟が生まれたり自分らが七五三だったりで神事があり、曽祖母や叔父が亡くなって仏事があり、と宗教的にはかなり多彩でした。子供心ながらに「神様ってのはたくさんいるんだな」と学んだのがおそらくこの頃です。クリスマスプレゼントにジャスコの値札が貼りっぱなしなのに目ざとく気づいて、サンタクロースの存在は両親であることに気づいたのもこの頃でした。ヤなガキですねー。



小学生期(7〜12歳)

 やっぱり父親の転勤で、父の生家のある長野県豊丘村に住まいを移しました。物心着いてから初めての転居であり、お友達とのお別れがあったのですごく悲しかった記憶があります。
 オレが通った小学校は各学年1クラスしかなく、そのクラスメイトも20人いないようなクラスでした。それが功を制したのか、クラスは男女関係なく仲が良かったですね。3-5年の担任がアクが強く、あからさまな左翼派でしたので、オレもその影響をだいぶ受けたと思います。結果として天皇制(特に昭和天皇)や保守派である自民党、戦争を思わせるものに対してはかなり強い嫌悪感を抱くようになり、それは現在も続いています。とはいえ、天皇制というか今の天皇家に対しては、現上皇陛下の功績を通して割と考えを改めています。
 なんでか知らんけど勉強はできた方で、勉強で苦労した記憶はありません。一方で運動は苦手でかなりネガティブな感情を持っていました。にも関わらず、母親に「田舎で暮らすには必須だから」と少年野球に、「泳げないと溺れて死ぬから」とスイミングスクールに強制的に入れられました。当時は嫌で嫌で仕方なかったけれど、野球は観戦を楽しめるようになり、水泳はその後様々なシーンで役立ったので、結果的に母には感謝しています。中日ドラゴンズのファンになったのも少年野球と母がきっかけでした。



中学生期(13-15歳)

 中学は村内にひとつしかなかったので、それまで別の小学校だった連中とも一緒になりました。まぁこの世代の通例に御多分に漏れず、学校はちゃんと荒れてまして。オレみたいに喧嘩が弱い人間は随分と苦労しました。運動部しかなく、かつ部活が必須で、仕方なくバスケ部に入ったんですが、ここがまたヤンキー崩ればかりで、本当に彼らと一緒に部活するのが嫌だったんですよねぇ。部活の時間に色々理由つけては外周走ってたら、いつの間にか長距離走るのが早くなってて、卒業間際には駅伝の学校代表候補に選ばれてました。幸いにして候補止まりで助かりましたが。水泳とかマラソンとか、単純で速筋が必要でないスポーツなら実は割と得意なんだな、と気づき始めたのがこの頃。一方で腰に椎間板ヘルニアの爆弾を抱えたのもこの頃でした。
 勉強はやっぱり苦労することがなかったんですが、期末テストではなぜか100点を取ることはありませんでした。最高99点だったかな? この時勉強で苦労してれば、その後の人生はまた違ったものになったかもしれないなぁ、と思ったのは後述します。



高校生期(16-18歳)

 地元でいちばんの進学校である飯田高校に進学しました。進学校の割には自由な校風で、しかし過去(当時は割と直近)に校内で生徒同士の殺人事件があったことから、それを戒めとして治安にはかなり力を入れた学校でした。
 入学直後、オレは幼馴染に頼まれて水泳班(この学校は部活ではなく班活と呼んでいた)に付き添ったら、なし崩し的にそのまま水泳班に入班してました。自由な校風の中でも特に頭のネジが飛んでいたのがラグビー・剣道・水泳の3班で、結果オレは3年間割と自他共に認めるアホの人だったと思います。この時の経験から、多少ブッとんでると見られていた方が周囲の目は生温かい感じになって色々やりやすいことを学びました。ちなみに水泳の成績は大したことありませんでした。水泳はスイミングスクールとかの育成選手じゃないと勝てない世界だったんですよねぇ。
 高校に入ると途端に勉強で苦労するようになりました。県下でも有数の進学校に入って、周囲に頭のいいやつしかいなくなったのだから当然です。加えて、オレはこれまで勉強するという習慣を身につけておらず、また授業を聞いただけでは理解できないという経験も、授業でメモを取るという経験もしてきませんでした。そりゃ勉強できなくなるわ。努力は習慣化していかないと身につかないと気づいたのは、受験が終わった頃でした。もう少し早く気づけよオレ。



専門学生期(18-21歳)

 子供の頃からTVゲームが好きで、将来ゲームクリエイターになりたいと思っていたオレは、最終的にゲームクリエイターを養成する専門学校に進学しました。ちなみに同級生400人の中で現役・浪人関わらず大学進学を選択しなかったのはオレともう一人らしいです。
 専門学校ってのはバカばっかりなので、勉強では基本的に苦労しませんでした。が、入学3ヶ月後に椎間板ヘルニアで手術と2ヶ月の入院をし、いきなりつまづきます。腰の治療が終わった頃、生活費の足しにと市民プールの監視員のバイトを始めたのですが、学生の身分でバイトに夢中になってしまうという本末転倒をやらかし、結果あまり学校に行かない始末。専門学校は最初から最後まで出席日数に苦労させられました。
 プールの仕事は利用者の命を預かる仕事なので、一般的なイメージと異なり非常に厳しかったです。時給は決して高くなかったんですが、まだ社会人経験のないオレにとって本当の意味での初めての「働く」という経験でした。練習も高校の部活動並みに厳しかったですし、資格もいくつか必要でした。結果として、心肺蘇生法含む応急救護法と、それを用いる心構えを得られたのはオレの人生において大きなプラスでした。この仕事を辞めて普通のオフィスワークに就職した時に、「そうかこの職場では人は死なないのか」と安堵したのを今でも覚えています。



フリーター期(22-23歳)

 結局専門学校を卒業しても就職するあてはなく、そのままフリーターになりました。最初は光通信系のホームページ作成会社でアルバイトをしていたのですが、顧客から預かった写真等の素材の管理があまりにいい加減過ぎたので自主的に整理していたら、いつの間にか素材管理係にされてました。環境は極めて劣悪で、営業の怒号と電話のベル、受話器を叩きつける音が鳴り止まない、それはひどい環境でした。我々はアルバイトでしたが、バイトも正社員がどんどん辞めていくという環境はあまりにも衝撃的でした。ある意味では社会人経験の序盤で本物のブラック企業を見ることができて、かつダメージがない状態で抜け出すことができたのは良かったのかもしれません。光通信系の会社に所属していた事は、後々にもネタにできましたしね。
 そのあと1年くらいは、学生時代に続けていたプールの監視員のバイトに戻りました。たまたま代理とはいえ施設の責任者も体験でき、数々の事故を乗り越え、無事就職に成功してプール監視員を卒業しました。生体で人工呼吸を経験した人はそういないはず(しかも結果的に助けることができた)なので、本当に貴重な体験だったと今振り返っても思います。



1社目期(24-34歳)

 この頃はゲームクリエイターにはなりたいとまでは思っておらず、さりとてコンピュータに関わりたいとはざっくり考えていて、なんかプログラム初心者でも入れる会社を条件に探していたら、フロムエー(今だったら信じられない!)で「未経験OK!二年後には一人前のSEに!」という怪しい触れ込みの求人広告を見つけ、さほど疑いも持たず応募してあっさり受かりました。n次請のSIer(システムインテグレーター)がオレのシステムエンジニアとしてのキャリアのスタートでした。ブラック……というよりは会社自体が未熟で、評価制度とかも雑だったし残業代とかなかったし(途中でできたけど、そのタイミングで管理職に就いたので結局もらえなかった)、今だったら総叩きに遭いそうな会社でしたが、なぜか極めて個性的な社員が多く、その中で好き勝手やらせてもらったという印象があります。定時後に会社をゲーセン化したりとか、キャバクラとか風俗行ったりとか、まぁ色々やりました。悪い遊びはだいたいこの会社で覚えた感あります。法に触れるものはやってませんよ、念の為。この頃の同僚とはいまだに交流があり、折をみては飲み行ったりとかしていますね。
 入社した時の教育係的な先輩が強烈な浦和レッズサポで、その人の英才教育もあって一瞬レッズサポになり、ブッフバルトに監督が交代したタイミングでなんかつまらなくなって、FC東京に鞍替えしました。以降16年間FC東京サポです。シーズンチケット購入も15年を突破しました。今年はまだほんのわずかだけ優勝のチャンスがあるんですが、さてはてどうなることやら。
 非常に良い会社だとは思うんですが、ただ一つ、エンジニアとしての未来だけがなかったです。11年働いて、見切りをつけて退職しました。オレ自身色々活動してみましたが、結局のところ社長の考えを変えるまでには至りませんでした。主張を金に変えてみせないと経営者には響かない、と学んだのはこの悪戦苦闘の日々のおかげでした。



2社目(34-38歳)

 この頃世間はソーシャルゲームブームの真っ只中でした。怪盗ロワイアル、探検ドリランドといったガラケー向けのポチポチゲーが主ですね。これらのゲームは1社目でオレが身につけたWebシステム開発のノウハウで作られているものが多く、忘れかけていたゲームクリエイターの夢がもしかしたらこのタイミングなら叶うかも、とソーシャルゲーム関連会社を中心に転職活動をしました。
 結果、インデックスというインターネット配信サービスの会社に入社することができたのです。オレの役割は複数のインターネット配信サービスのお守りでしたが、インデックスは自社内にソシャゲ部門を持っていたほか、子会社にペルソナ・世界樹の迷宮といったタイトルを持つアトラスというゲーム会社を持っていたので、あわよくばそちらに転籍したい、という思いがありました。


 なんてことを思っていたら、入社半年で会長と社長が粉飾決算で逮捕、間も無く会社は倒産。社員はほとんど辞め、業務委託さんからは次々に契約を切られ、あっという間に自分の周りには誰もいなくなりました。一方オレは、転職したばかりだったのと、倒産会社の顛末に対する物見遊山的な精神があり、会社に残ることにしたのです。給料が保証されていたのも大きかったのですが、これがまずかったですねぇ、さっさと逃げておけばよかったものを。
 この後に起こったのはさらなる地獄です。
 人がいなくなって残されたサービスのほとんどのお守りを押し付けられたオレは、十分な引き継ぎも行われなかったので、何か対応するたびにトラブルを起こしました。そしてありとあらゆる責任がオレに押し付けられる形となったのです。担当した20以上のサービスは最終的に片手で数えられるまでに減り、サービスクローズの手順だけが熟練化していきました。
 やがてインターネット配信サービスの担当を外され、受託案件に配属されましたが、こちらでもサーバ移行に失敗して1週間連続で徹夜したり、長年関わっていた業務委託の開発者がクーデターを起こして訴訟寸前まで発展したり、とまぁ普通に開発案件やってるだけじゃ絶対出会わないようなことのオンパレードでした。
 会社としては、倒産後にアトラス狙いのセガに買収され、そのセガを切り離された残りカスみたいな部門がさらに別の会社に買収され、社名も変えて現在もかろうじて生き残っています。たまに今も在籍しているメンバーと飲むこともありますが、あまり旗色の良い話は聞けません。


 最後の会社の買収があったタイミングで個人的に会社に見切りをつけ、転職活動をはじめました。転職からちょうど4年経っていました。最後の有休消化で自転車担いで四国に行き、お遍路(四国八十八箇所巡り)をやりましたが、あれはしんどかったけど楽しかったですねぇ。ああいうので儲ける方法ってないのかしら?



3社目期(39-40歳)

 3社目に選んだのは1社目と同じSIerでした。ただしこちらは顧客から直で仕事を請ける会社で、会社も東証に上場していました。そこの総務部長がとある居酒屋経由の飲み友達で、うちの会社に来ないかと言われたのがきっかけです。直属の上司となる営業上がりのマネージャを窓口に採用面接を行い、結果この会社に入社しました。ITエンジニアが転職するならITエンジニアじゃない人間の言葉には絶対に耳を貸すな、という教訓を得られたのはこのタイミングだったなぁ、と今振り返って思い出します。
 なんていうか、入社時の約束を何一つ守らない会社で上司でしたねぇ。仕事の内容も嘘、給料も入社時の約束した金額に全然足らない、本当に何から何まで嘘だらけでした。顧客企業に2年間常駐してたこともあって、自社の印象は見栄っ張りの薄っぺらい会社だなぁくらいしかありません。株式上場してたので経費がデタラメにかかるし、見栄を維持するために設備投資も身の丈に見合わないほど多かったような印象を受けました。上場しているSIerは経営者のキャリア装飾の道具に過ぎない、という学びはこの会社に所属していた時に得たものです。


 それでも2年半も所属していたのだから、我ながら我慢強いなぁと感心しています。



フリーランス期(41歳-現在)

 そんなこんなで今年の7月にフリーランスになりました。現在は自分がこれまでITコミュニティで培った人脈を通じて仕事をいただいて生活をしています。フリーランス生活については最初の納税が終わってから詳しく書きたいと思うので、ここでは控えます。会社員の頃より、人の善意にも悪意にもダイレクトに触れる機会が多く、結果として会社員の頃より色々な影響を受けるな、というのがここ半年の実感です。やはりトラブルはそれなりにありますが、12/03(火)現在においては概ね楽しく仕事できているんじゃないかと思います。



これから

 オレが18で上京する時に、ひとつだけ決意したことがあります。


「故郷の土になる、そのために必ず帰ってくる」


 信州のあの土地が好きでしたし、長男としての責任もありました。上京以降ずっと、システムエンジニアとしてなんとか生計を立てた上で故郷に帰れないか、故郷のために働くことはできないか、と考え続けていました。昨今はリモートワーク(テレワーク)が発達し、遠隔地でも都会と変わりなく仕事ができるようになったことで、その念願が叶う準備が整ったと判断しました。半年前にフリーランスに転身したのはそのためです。
 また、2020年4月から始まるプログラミング教育の小学校での義務化も帰郷を決意するきっかけになりました。都会と違いITエンジニアの少ない田舎では、どうしてもIT知識に明るくない先生たちをサポートできる人が少ないのです。なんとか自分がお手伝いできたら、と考えています。
 幸いにして弟が略式にでも実家を継ぐ宣言をしてくれたらしいのですが、一方で今年の初めに母方の祖父が亡くなり、母の実家が空き家になってしまったので、そちらに住もうかと思っています。オレは現時点で独身なので、残念ながら末代を数十年遅らせる程度にしかならないかもしれませんが、自分なりにやれることはやっておきたいと思います。


 この年末年始を帰郷のタイミングをし、今はその準備を進めているところです。



最後に

 やっぱりダラダラと長くなってしまいました。人生の半分以上を東京で過ごしたわけですが、そこから去り帰郷するというタイミングで、簡単にでも自分の半生を棚卸できたのは良かったんじゃないかと思います。


 「未来を先読みして点と点を結ぶことはできません。後から振り返って初めて結ぶことができるのです。従って貴方達は将来点と点がどこかで繋がると信じなくてはいけないのです。」


 故スティーブ・ジョブズの有名な演説の一説です。改めて自分の半生を振り返った時に、まさに点と点を後から結ぶような人生だな、と思いましたし、えてして人はそういう風にしか生きられないのかもしれません。多分今後もオレはきっとそうやって生きるんでしょう。その瞬間瞬間に思うこと・感じること・やるべきことを全力でこなし、後で何か意味付けできる人生にできたらいいのかな、なんてこの記事を書き終わった今はそう考えています。

酒を飲みながら仕事するにはどんな場所が適しているのか?

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はじめに

 この記事は「飲んべえ・酒くず(のつもりでいる人)の Advent Calendar 2019 - Adventar」の2日目の記事になります。2日目ですが初日です。どうぞ宜しくお願いします。



自己紹介と前書き

 オレはフリーランスシステムエンジニアという仕事をしています。システムエンジニアの仕事には稼働中のWebサービスやシステムのお守りをする事も含まれるのですが、システムトラブルってやつは基本的にも応用的にも突然発生します。それこそ時と場所を選ばずです。そういった場合には、何は無くともシステムのご機嫌を伺うために、まずはPCを開きネットワークにつないで作業を始める必要があります。
 こういった緊急事態でなくても、仕事が業務時間外に溢れるような事態はいくらでもあります。でも業務時間は終わってます。オレは酒飲みクソ野郎なので、仕事が終わったらさっさと酒が飲みたい。仕事が終わってなくても飲みたい。業務時間内は一生懸命働いたんだから、せめて業務時間外は美味しいビールを飲みたい、それがたとえ仕事しながらであろうとも。


 というわけで、両手で数えきれないほどの数を酒飲みながら仕事できる場所を求めて夜の街をさまよったわけですが、その経験から自分なりに「こういう店だったら仕事しながら(PC開きながら)でも酒が飲めるのになぁ」と考えた条件みたいなものを羅列してみます。



ファミレスっぽいところはやりやすい

 普段からOL・学生・サラリーマンが作業場所としている場所である喫茶店とかファミレスとかは、似たような人がいるのでPCを広げやすいです。
 喫茶店はお酒出してくれるかどうか知らんけど、ファミレスはどこも大丈夫でしょう。サイゼリアはITエンジニアの間では居酒屋として認知されています(←言い過ぎ)ので、躊躇なく酒が飲めます。他のファミレスチェーンはちょっとよく分からないですね。ファミレスは基本ビールの味は期待できないので、別のアルコールをチョイスするのがいい気がしてます。

 準ファミレスとも言える、白木屋とか和民とかいった居酒屋チェーン店は、まぁ個室か半個室であれば作業しやすいかなとは思います。ファミレスと違って他にPCを開いている人はいませんが、個室か半個室であれば店員や他の客が介入してくることはまず無いかと。それでも、お店からは客単価が安いと思われがちなので、混んでいるときは遠慮したほうがいいと思います。自分だけのことを考えず、お店のことも考えてあげるのがプロの呑んだくれってもんです。



赤ちょうちんはNG

 そんなわけで、店が狭くて他の客との敷居がない、赤ちょうちんとかガード下系のお店は基本NGです。お店の人と仲良くなると、空いているときのみOKになるケースがままあります。



キャッシュオンの店は楽

 キャッシュオンの店は、店員さんが客に声をかけて来ないので楽です。HUBとかのアイリッシュバー系は割とこういう店が多いですかね。お店が混んでても干渉してこないので非常に楽です。まぁ干渉する必要ないくらいオレが勝手に呑んでるから、というのもあるかもしれませんが。



シャレオツな店は存在を否定される

 おしゃれな店でPCを開いた瞬間に貴方は人間としての認定を外される危険があります。たとえ究極の緊急事態であっても絶対にやめましょう。やっぱりお店の人と仲良くなると、席や混雑具合を考慮した上で限定的にOKを出してもらえる場合があります。が、そんなことを考えるよりは真剣に呑んだほうがいいかと思われます。



自宅で酒飲みながら仕事できるか、は、そもそも自宅で作業できるか、に依存する

 そもそも俺は外飲みはしない!自宅で飲めばいいだろ!という方もいらっしゃると思います。それはまさに正論。それができるならぜひやるべきです。
 できるなら、というのは、そもそも自宅で仕事ができる人でないと、自宅で飲みながら仕事することはできません。まず自分は自宅で仕事ができるのか、を何度か試されてから実践された方がいいでしょう。ちなみにオレはできませんでした。


電源やインターネット接続は気にするな

 よくノマド的に作業される方の条件のひとつに「電源があるか」「Wi-Fiがあるか」を気にされる方がいます。酒飲みながら仕事をする場合、これらを気にする必要はさほどありません。
 飲み続けながら作業をするのには限界があります。せいぜい2時間が限界でしょう。それ以上は酒を飲みすぎることになります。大抵のノートPCは2時間程度ならバッテリーが持つので、電源を気にする必要はないのです。
 Wi-Fiやインターネットについても同様です。酒を飲みながら仕事をしているのです。その状態で結果をコミット(送信)してしまうのは非常に危険です。せめて最後の確認くらいはシラフの時に行いましょう。オレのようにシステムトラブル対応をする人間は、大抵ポケットWi-Fiのような接続手段を持っていますし、そもそもマイナス状態を復旧するために作業しているので、多少ミスってもこれ以上ひどくなることはないはず、気にせずEnterキーを叩きましょう(←言い過ぎ)。


結論

 結論というと大げさですが、オレの場合は今のところ、HUB系のキャッシュオンのお店か、サイゼリアのようなファミレスか、のどちらかに落ち着いています。もっと良いお店があるお!という方はぜひコメント欄かSNSで教えてください。同胞からのご意見、お待ちしております。

たった一人のために企画したイベントでみんなで遊んだお話

 この記事は「ドアカン Advent Calendar 2019」の1日目の記事になります。

はじめに

去る11/17(日)に、通称「ドアカン」というイベントを開催しました。
イベント名は色々<<コンプラ>>なんでお察しなんですが、まぁこの文章を読んでいけばそのうちイベントの正式名称は本当に察することができるんじゃ無いかと思います。
本来「ドアカン Advent Calendar 2019」は「自分の好きなこと」をテーマに書くことになっているんですが、それだけみんなが好き勝手に書いていくと「結局 #ドアカン ってなんやねん?」って知らない人から言われると思うので、一応事前説明的にイベントの経緯とか概要とかを初日に書いていきたいと思います。



自己紹介

 滝川陽一と言います。フリーランスシステムエンジニアです。今回のイベントの主役である@junko_fujitaとは数年来の酒飲みクソ野郎仲間です。ただの酒飲み仲間ではありません。酒飲みクソ野郎仲間です。良い子のみんなはこうなるなよ!
 まぁそんな仲もあって、今回のドアカンでは実行委員長というか、とにかく裏方筆頭を務めました。


発想

 元々は@junko_fujitaが数人の近しい友人5〜6人とこじんまりやっていた、小さな小さなイベントです。

 彼女はいわゆる「承認欲求モンスター」で、そのくせ自己評価が限りなく低い、自己に対してかなりネガティブな人間です。とはいえ愛嬌がある人間なので友人は客観的にみても非常に多い方だと思いますが、それらを一切顧みずに「私には友達がいない」とかほざいたりとか結構……だいぶ?面倒な人です。自己申告年齢17歳で実年齢4x歳の人間がこんなんだと困っちゃうと思うんですが、実際扱いには大いに困ります。オレは前述の通り酒飲みクソ野郎仲間ですので、おそらくは彼女のそういった愚痴を聞き続けた回数が世界人口の中でもTOP5に入ると思うのですが、最初の頃こそ親身に聞いてみたものの、直近では面倒なので彼女の愚痴が始まると「うるせーバーカバーカ!」と一蹴することにしています。実際のところそんな扱いで十分です。……あれ、なんの話をしてたっけ?

 あ、そうそう、ドアカンの話でしたね。ともかく、彼女はそんな感じなので、たまに突拍子なく「私の話をひたすら聞け!そして賞賛しろ!チヤホヤしろ!フジタさん可愛いってひたすら言え!」と理不尽な要求をしてきます。それの最たるものがドアカンの前身で、温泉地などの隔離空間に友人数人を呼び出し、自分の好きな話をひたすらする、というイベントが催されるのです。我々はその代償恩恵として短時間のプレゼンを彼女に聞いてもらう機会をいただくことができる、というのが前身のドアカンのイベント主旨になります。
 ここまで読んだ方は「なんて横暴なイベントだ」と思われるかもしれませんが、友人たちも@junko_fujitaが好きで付き合っていますし、彼女は人格はともかく知識や仕事に対する才能は多彩でかつプレゼン経験も豊富なので、その話を聞いていて我々が飽きることはまずありません。総じて面白いイベントになっていることは予めお断りしておきます。


 そんな@junko_fujitaが今年の春くらいに「またドアカンやりたい!やるからおまいら来い!」とか言い出しまして。それに二つ返事で答えつつ、オレの脳裏によぎったのは「せっかく企画のベースは面白いんだから、もっと面白くできないかな? もっと大規模にやれたらもっと面白いんじゃないか?」という考えでした。


 @junko_fujitaはいわゆる「オタク」に分類される人物です。「オタク」を友人に持つ方なら分かると思いますが、彼らは基本的におしゃべりで、人に話を聞いてもらいたいと思っている人種です。また、プレゼン能力さえ備わっていれば、彼らの話は極めて面白いです。この辺の話は以前書いたので説明は省きます。


takigawa401.hatenablog.com



 で、彼らみたいなオタクがよってたかって「俺の話を聞け!」って自分の一番喋りたい話を好き勝手に喋り合うイベントにしたら、少人数でこじんまりやるよりもっと面白いんじゃないかな、と思ったんです。基調講演とクローズセッションを@junko_fujitaが喋るのは前身のドアカンの踏襲、それ以外のセッションを全てアンカンファレンスしたら「俺も俺も!!」感が出てわちゃわちゃカオスで楽しいんじゃないかな、と思ったんです。



根回し

 そんなこんなでドアカンを大きく方向転換しようとしたんですが、当然ながらオレ一人ではそんなイベント出来っこありません。そもそもドアカンは@junko_fujitaのイベントです。オレが好き勝手していいものではありません。なので、何度となくイベントの方向転換について彼女に説明をしました。@junko_fujitaの承認欲求を満たす、という元来のコンセプトをそのままに、もっと面白おかしいカオスなイベントにしよう、と。彼女も基本的には面白いことは大好きなので、きっとキチンと説明すれば乗ってきてくれると信じていましたが、一方で自分の築いてきたものに他人の手が入れられることに拒絶反応がある程度出ることは仕方ないだろうと覚悟していました。だから話を切り出す時には、慎重に、丁寧に、要らぬ誤解を与えぬように、まるで江戸川コナンくんが時計仕掛けの摩天楼で時限爆弾のコードを切るかのようにオレが対応したことは言うまでもありません。それは往々にして酒の席で、酒飲みクソ野郎仲間である都合、互いに覚えている可能性がそれほど高くないので、それこそ何度も伝えました。そして、何度か繰り返した挙句に、前回以前に言ったことを覚えていて、かつ方向転換の主旨に同意してもらえたことを確認しました。


 次に、他の勉強会運営慣れしている友人たちに「こういうイベントやろうと思ってるんだけど……」と相談をしました。彼らは勉強会慣れしてるだけでなく、頭のネジが数本ぶっ飛んでるような面白い連中なので、やはり基本的にはイベント主旨に乗ってきてくれるとは思っていました。その上で彼らの知見を頼り、イベントの内容をよりブラッシュアップさせました。例えば、今回のイベントを招待制にすることになったのも彼らの意見で、自分の話を好き勝手に話すと言うイベントの本筋を要らぬ横槍から避ける、と言う予防的意味合いと、より秘密結社感というかカオス感が増す形にできたと思います。「他人の好きを否定しない」というコンセプトが出来上がったのもこの頃です。
 相談に乗ってもらった友人たちにはそのまま当日スタッフになってもらいました。それぞれ各分野で有名な連中だったので、彼ら由来の集客を期待したところはあったんですが、それはそれとしてスタッフだけでパンチがありすぎるな感は否めませんでした。まぁこう言うこともある。



準備

 前日までのイベント準備は基本的にオレ一人で行いました。言い出しっぺである以上、ある程度自責で行うつもりではいましたし、実際の作業量もさほど多くないと高を括っていた、と言うのもあります。
 実際の準備作業としては以下のようなことをやりました。

  • 告知用資料の作成
  • イベント開催直前 会場内注意事項説明資料の作成
  • タイムテーブルの作成
  • スタッフ当日役割分担の作成
  • 当日買い出し物品のリストアップ
  • 前日までの買い出し物品のリストアップ & 買い出し


 なにこれめっちゃ多い。実際には割と作業量あって、イベント直前2週間は割とかかりきりだった気がします。定時後はHUBとサイゼリアに入り浸りで作業、みたいな。まぁでもやりきったんですが。


 今回オレがどうしてもやりたかったのは「キッズスペース」でした。
 たまに土日に勉強会イベントがあると聞こえてくるのが「家庭内イベントがあるから行けない」「お父さん(お母さん)タスクがあるから行けない」と言う声でした。そういった声を、完全じゃないけれども多少なりとも緩和できないかな、と思ったのが、お父さんお母さんが勉強会イベントに参加できて、でも子供達もちゃんと楽しんで遊べるキッズスペースを作れないか、と言う発想でした。
 でも、実際にキッズスペースを設けようと思うと、レンタルグッズだけで数万円かかってしまい、予算的にとても実現できないんですよねぇ。
 この点は、会場を提供いただいた「駅すぱあと」で有名なヴァル研究所さんが、過去にファミリーデーでキッズスペースを設けた経験があり、その道具と手法をそのままお借りできたのが大きかったです。


 また、このドアカンは、酒飲みクソ野郎の同胞である@junko_fujitaの主催イベントという位置付けだったので、最初からアルコールを参加者に提供するということを考えていました。ただ、キッズスペースを用意する以上、子供が来場することを想定して、キチンとお酒を手にできる・できないを明確に区分けする必要があるとは思っていました。これはオレがマジカルミライ2019で参加した大規模OFF会で提供されていたギグバンドをそのまま参考にしました。ギグバンドは切れにくい紙製のリストバンドで、イベントの入場証がわりに使われることが多いです。見栄えが良い割に意外にも発注単価が安く、100枚で5,000円しないこと、複数の紙色を使っても値段が変わらないことから、今回のイベントにちょうどいいんじゃないか、と。実際のところ、参加者の皆さんはそれなりにちゃんとした人ばかりだったので心配なかったのかもしれませんけど、結果として扱いやすい入場証にはなってくれたと思います。


当日の様子

 イベントは午後1時から@junko_fujitaの基調講演を以って開催となりました。アンカンファレンスの発表内容も色々とアラカルトに富んでいたんですが、実際に発表された皆さんが「ドアカン Advent Calendar 2019」に書いてくれることを期待して、ここでオレが言及するのは控えたいと思います。どの発表も個性的で、子育てからマニアックなジャンルまで様々で、スライドはないけど飛び入りで発表したい、2回目だけど発表する、という人まで様々で、ユルいながらもいい感じにわちゃわちゃ感が出てて良かったです。


 念願のキッズスペースは就学前の女の子が2人来てくれて、とても喜んで遊んでもらえました。4畳ほどのスペースにマットを敷いて囲いを作り、膨らませたゴム風船を入れただけの簡素なものだったんですが、大はしゃぎで遊んでもらえたのがとても良かったです。
 今回はおとなしい女の子2人でのびのび遊んでもらえましたが、わんぱくな男の子がいたり、もう少し人数が多かったりしたらキャパオーバーだったかなぁとは思いました。


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ふりかえり

 イベント後にスタッフで簡単にふりかえりをしました。イベントを主催される方に参考にしていただけることを願って、その内容を簡単に紹介します。

ドタキャンが多かった

 社外勉強会における参加者のドタキャンは、平日夜より土日が、土曜よりは日曜の方が多い傾向にあるのですが、今回のイベントは日曜開催なのである程度出るとは覚悟していました。で、案の定出たわけですが、逆に言えば、日曜開催にも関わらず30人以上の方に参加いただけたのは本当に良かったです。おそらくは招待制にしたのが功を制し、本当に都合が悪くなったり体調が悪くなったりした方以外は前向きに参加していただけたんじゃないかと思います。
 ドタキャン対策はかなりノウハウがあり、いくらでも対応できるようにしていた(飲食は直前で購入する、段階的に購入して買い過ぎを防ぐ、etc)ので、影響は最小限にとどめることができました。唯一影響が出てしまったのは、参加人数の縮小で会場の使用範囲を減少させたことから、キッズスペースから遠ざけた「大人の発表スペース」を無くしてしまったことです。元々ヤヴァイ発表を予定していた方には直前に発表内容の変更といった負担をかける形になってしまいました。一方で、会場が狭くなった事で少人数のスタッフでも目がある程度行き届いた、という良い面もあったと思います。

子供の騒ぎすぎは周りが気にしなくても親たちが気にする

 キッズスペースはお子さんたちに非常に喜んでもらえて、スタッフ的には非常に嬉しかったんですが、反面親御さんは「子供たちが騒ぎすぎて発表を聞くのに他の人の邪魔になってないだろうか?」と心配をかけてしまったようです。
 これは個人的には、もっと大人の参加者がワイワイ騒ぐことで緩和できたかなぁと思っていて、集客がもうちょっと伸びていれば防げたかなぁと思いました。

基調講演が案外良い話だった

 @junko_fujitaがどんな基調講演を用意してくるか、実行委員長としては楽しみ半分怖さ半分だったんですが、思いの外良い話を用意してきてくれて(失礼)、感銘を受けてくれていた人が多かったようです。やればできる人なんだよなぁ、あの人は。こちらもサイリウムとか用意して盛り上げてあげれれば良かったなぁと反省(反省?)。

アルコール飲む人が思った以上に少なかった

 オレの想定では、参加者のうち7割はお酒を飲むチケットで入場されると思っていたんですが、実際にはアルコール飲む人と飲まない人の比率はほぼ半々でした。
 結果としてイベントとしては落ち着いた感じになりましたし、お金が余ったので懇親会ではお寿司とかも買えたんですが、「アルコール飲む人は酒さえあればあとは大概文句言わない」というオレの頭があったので、結果ノンアルコールの人たちに対して全体的にお得感のない飲食になってしまったような気がします。これは非常に反省。やはりこういう時は酒飲みクソ野郎(≒オレ)が企画してはいけない。

参加者が発表しやすい仕掛けがあっても良かった

 前述の通り、スライドないけど飛び入りでやりたい、2回目でスライド今作ったからやりたい、と発表者が次々出てきてくれたのは良かったんですが、最初は様子見の方が多かったです。もっと発表を気軽にできるような仕組み……例えば、サクラじゃないけど敷居の低さを感じてもらえるようなLTを仕込みでやったり、参加者に事前に発表をお願いして回っても良かったのかな、とは思いました。

参加者同士の交流を促す仕掛けがなかった

 「それぞれの承認欲求を満たす」すなわち「自分の好きな話を思い切りしてもらう」ことにオレ自身がフォーカスしすぎていて、発表内容に共感ないし興味を抱いて参加者同士が交流する、というところまで考えが及んでおらず、そこまで仕組みを用意する事ができませんでした。例えば名札を用意する、とか、発表と発表の間を開けて発表者に話しかけやすいようにする、とか、もっと色々できた気がします。

スタッフが勉強会慣れしすぎてて当日スライド作りすぎ

 勉強会で発表し慣れている人間って、当日会場についてからスライドを作る傾向があるんですけど、今回のスタッフはほぼほぼ全員が勉強会慣れに関しては呂布レベルでした。結果としてスタッフの半数(基調講演者含む)がスライドを作っておらず、しかし発表する気満々で、結果としてイベント中にそいつらがスライドをずーっと作っているという事態が発生しました。ええ、もちろんオレもその一人です。
 まぁスタッフがそんなんじゃダメだよね、なんて言うまでもありません。結果として参加者の方々の自主性と、元々のイベントのユルさに大いに救われた形になりました。



NEXT STEP

 ありがたいこと(?)に開催前から「今回は日程が合わなかったから次回開催時には参加したい」「次はいつやるの?」という声をいただきました。有難い話ですが、次回開催予定はありません。元々@junko_fujitaが気まぐれで承認欲求を満たすために開催していたイベントですので、次回もし開催されるとすれば、やはり気まぐれになると思います。もしかしたら@junko_fujitaを説得し続ければ、近々開催もあるかもですね。


 オレは@junko_fujitaと知り合ったばかりの頃「私に友達なんかいないんだ」と居酒屋で愚痴をこぼす彼女に対して「分かった、じゃあオレが君に友達を100人作ってやる」と約束をした事があります。今回のドアカンでオレの個人的な目標は、彼女に「私にはこんなにいっぱい友達がいるのか」と感じてもらう事でした。残念ながら100人には到底届きませんでしたが、それでもたくさんの友人がいることは実感してもらえたんじゃないかと思います。これで今後二度とヤツに愚痴られずに済むわけだ、良かった良かった。オレはこの年末年始で東京を離れ故郷に戻るのですが、最後の最後に約束が守れてホッとしています。


 それにしても楽しかったなぁ。またこんな馬鹿な事がみんなでやれたらいいですね。誰かオレの代わりに企画してください。都合ついたら参加しますんで。

「シンデレラ」を昨今の「アイドル」のメタファーにするのは間違っている気がする。

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photo by AYAICE from写真AC




 スーパーどうでもいい話なんですが。


 若い(幼い)女の子がアイドルになって人気者になることを、「シンデレラ」に例えられることが日本では多いです。海外の事情は分かんないです、そもそも「アイドル」という存在が他の国にいるのかどうかもよく分からないし。
 おそらくは、昨日まで何でもない普通の女の子が、スター誕生!みたいなオーディションとか番組企画とかをきっかけとして、一夜にしてトップアイドルになることを「シンデレラ」の物語になぞらえているのがはじまりなんだと思います。「シンデレラストーリー」なんて言いますしね。


 でも、今のアイドルって、一夜にして突然トップアイドルになることなんて、まず無いと思うんですよね。そりゃアイドルデビューするきっかけはスカウトだったりオーディションだったりするかもしれません。でもおそらく、多くの現アイドルで元普通の女の子たちは、望んで願って夢に見て、運も天も商業的事情も味方にして、やっとチャンスを掴んで。歌にダンスにビジュアルにトークに、ありとあらゆることを努力して努力してまた努力して。デビューした後も数多存在するそのほかのアイドルと競争して叩かれてすりつぶされてなんとか勝ち残って、ほんの一握りだけがトップアイドルと呼ばれる存在になれるわけです。全然「シンデレラストーリー」じゃないじゃん。どっちかというとジャンプとかのスポ根系のストーリーのほうがなんぼか近いです。


 そもそもシンデレラって、別に王子様に見初められるために努力してないですよね? 継母とか義理のお姉さんとかにいじめられて召使いみたいな扱いされて、「耐えていればそのうちお継母様たちも分かってもらえるわ」的に召使いとして与えられた作業をこなしてただけだし。たまたま魔法使いが気まぐれ起こして舞踏会行けたけど、王子様と踊れたのも生まれ持った美貌でシンデレラ自身の努力の成果じゃないし。ただ生まれついて美人だったから勝ち馬に乗れただけです、乗ったのは馬じゃなくてカボチャだけどな。


 まぁそんなこんなで、現代のアイドルの在り様は「シンデレラ」の物語とずいぶん乖離があるなぁみたいなことを黙々とデレステやりながら思った、って、ただそれだけを言いたかったのが本記事になります。
 「シンデレラ」がアイドルのメタファーに使われることって、今は少ないのかもしれないですけどね、飲んでて終電無くなっちゃうから日付越える前に帰ることを「おっシンデレラか?」って揶揄されることの方がナンボか多いような気もします。知らんけど。


 あ、あと、これまたどうでもいい話なんですが、アニメの「アイドルマスターシンデレラガールズ」の主人公が島村卯月であることは、「シンデレラ」をアイドルのメタファーに使うという観点だと、とても適格だったなぁと思いました。いくら心の底からあこがれていても、努力の方向が間違っているとそこへたどり着けない・迷走するっていうことを暗に示したあの物語は、新規事業やプロダクト・サービスの開発とかのメタファーに使ってもいいような気がします。デレマスがどのくらい一般的か分からんので、メタファーとして有用かどうかは怪しいけど。



上司ガチャ問題の対策をソーシャルゲームのガチャから考える

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はじめに

kawaguti.hateblo.jp


 最近ちょいちょい話題になる「上司ガチャ」問題、川口さんもブログに書いていて、文中にもあるように実際「アジャイルリーダーシップサミット2019」にもOSTのテーマとして挙げられていました。残念ながらオレはスタッフだったのでこの議論に加わることは出来なかったんですが。
 「上司ガチャ」っていうからにはソーシャルゲーム(※以下ソシャゲ)のガチャが由来してるんだと思うんですが、だったら問題の本質も解決策もソシャゲのガチャから探せないかな?と思いました。以下でソシャゲのガチャの特徴を列挙し、比較することで、「上司ガチャ」問題の解決方法のヒントを得られないか考えてみたいと思います。


 なお、オレがガチャを回したことがあるソシャゲは以下なので、必然的にこれらがベースとなります。







NL・R・SR・SSRがある

 ★の数でカード(キャラクター・武器)の強さを表現することもありますが。
 「上司ガチャ」の場合、足を引っ張られたり味方のはずの存在から攻撃されたり、とさまざまな弊害があるんですよね? でもソシャゲのガチャって、一番ランクの低いNL(ノーマル)でさえ、役に立たないことはあっても弊害はないんですよ。となると、ガチャより悪い「BD(Bad)」とか「WS(Worst)」とかが上司ガチャには存在していると言えるんじゃないでしょうか。


 …とソシャゲのガチャより性能悪いな、「上司ガチャ」。



親愛度をMAXにすると上限解放できる

 ガチャで得られたカードは親愛度や経験値を上げるとレベル上限をUPさせることができます。
 「上司ガチャ」の上司も、どんなに使えなくても親愛度や経験値を高めると上限解放できるか? は、まぁきっとできるような気もするんですけど、その過程が果てしなくシンドイ気がします。あと「上司ガチャ」で得られたカードにおける「経験値」「親愛度」ってなんなんでしょうね? 単に仲良くなればいいのか? いや、それ以前に、そもそも「BD」や「WT」な上司と仲良くなりたいか?


合成(消費)することで他のカードのレベル上げに使用できる

 ソシャゲガチャで得られたカードは、それを他のカードのレベル上げに使用することができます。レベル上げに使用したカードは消失します。
 「上司ガチャ」は……? 消失って、退職に追い込むってこと?はたまた殺すってこと? そもそも、NL(ノーマル)でも微々たるとはいえ経験値が得られるけど、「BD」や「WT」だと……マイナス経験値?



同じカードを複数合成すると能力が向上する

 ソシャゲガチャのカードは、まったく同じカードを入手した場合、合成することで能力を向上させることができます。(合成できる数量に上限がある場合が多い)
 「上司ガチャ」は……同じカードとか無いから、当然合成とかもないですね。……ん、合成? 合成って合体ってこと? 上司と合体!? なにそのセクハラ案件!!!



課金しなければ上位のカードは手に入らない

 ソシャゲではそもそも課金しなければガチャは回せません。課金しないでも回せるガチャもありますが、たいてい大したカードは出てこないようになっています。
 さて「上司ガチャ」ですが……課金すること自体は可能そうな気がします。回すガチャ自体を課金によって選べるといったイメージが近いかな。

  • 有料のサービスやエージェントに登録する
  • コミュニティに参加して構築した人脈で就職活動をする
  • 有料のサロンやイベントに参加する
  • 良い塾・良いサービス・良い学校に課金して学力を向上し、より良い学歴を手に入れる

 給料の高い優良な会社には能力の低い人は基本的にいないはずですし、金銭的な余裕が心の余裕につながるからか、人間的にも優れているというか、少なくとも他者の足を引っ張るような輩は少なくなる傾向にあるようです。多少金銭や労力を支払ってでも、優良な会社に入ることは、結果としてよい人間関係に巡り合える可能性が高くなりそうな気がします。
 ちなみに、日本の大企業の場合、大きいからと言って優良な会社とは限らないのでご注意ください。



天井がある

 ガチャは一定数(300回とか)回すと、欲しいカードがどれでもひとつだけもらえたりする仕組みがあります。この仕組みがないソシャゲは基本的に悪徳ゲームと言えるでしょうね。ちなみに今一番人気のソシャゲであるFGOはガチャに天井がありません。
 「上司ガチャ」は、そもそも最初の一回しか回せないので、仮に天井があったとしてもそこに届くことはないでしょうね。課金したらガチャ回せないかな?



結論

 「上司ガチャ」は課金で回すガチャ自体を選べ!



終わりに

 当然の話ですが、本記事はネタです。あしからず。


 しかしこうやって見ていくと、あれだけ悪徳商法と叩かれているソシャゲのガチャが、実際には現実と比べてはるかに良心的ということがわかります。どれだけクソゲーなんだ、現実!?


 「上司ガチャ」に課金するためには、そもそも「下手な上司ガチャを回すとろくなのが出ない」という辛く厳しい現実を予め知っておかなくちゃいけないんですが、それって誰がどこで教えてくれるんでしょうね? 親や学校の先生も「良い会社」には言及しても「良い上司」までは伝えてくれていない気がします。


 人間関係を金で買う、なんていうとロクデナシなイメージしかありませんが、現実にはそういう側面があるのも確かなんでしょう。そういうちょっと汚いと思われがちな面も踏まえたうえで、人生をハックしていく意識を持つのが大事なんでしょうね。




 全然関係ないですが、最近のオレのお気に入りの楽曲はデレステの以下の曲だったりします。歌詞が案外良いんですよねぇ。オレはiTunes Music Storeで買いましたが、AmazonでもCDじゃなくMP3が買えるみたいです。買わなくてもいいんで良かったらどこか正規の配信で聞いてみてください。

預かっていたものを返しただけ

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 何と言うか、夢のようなひとときでしたねぇ。昨晩の壮行セレモニーだけではなく、彼がいたこの数年間が。


 昨晩のFC東京-横浜Fマリノス戦(味スタ)終了後に、スペイン:レアル・マドリードに移籍することになった久保建英選手の壮行セレモニーが開催されました。このタイミングでの壮行セレモニー開催は完全に偶然のはずなのに、たまたま半年間レンタル移籍していたマリノスとの試合での開催になったのは、建英が持ってるなぁ、というのをしみじみ感じますね。






 建英のコメントを聞くと、つくづく彼にとってFC東京は「通過点」だったんだなぁって、しみじみ感じました。サバサバした冷静で淡々としたコメントは彼の持ち味なんですが、それを差し引いても、そんなニュアンスは読み取れました。あんなにあっけらかんと笑いの多い壮行セレモニーもちょっと珍しいなと。
 とはいえ、通ってきた道で何も心に残らなかったか、何も感じなかったか、というと、それも違うのもコメントから読み取れます。我々と一緒に戦ったこの数年間が、彼にとって今後の人生の支えになる何かがあれば、戦友として喜ばしく感じます。



 タイトルにも書きましたが、久保建英選手の今回の移籍は「預かっていたものを返しただけ」というのがオレの思いです。返却先はバルサじゃなくてレアルになっちゃいましたけどね。最初はお客さんで、呼び方も「久保くん」「久保くん」で、あくまで他所から来たお子さんでお客さん。プレイが冴えなくても「まぁ言うたって若いしね」で済ませていて。
 それが今季開幕して、身体も強くなって、守備もちゃんとできるようになって、本来の持ち味のドリブルやキラーパスが冴えるようになって、これは今年はちょっと違うぞ!?となって。気付いた時には彼の呼び方は「建英」になっていました。彼は立派な戦力で、FC東京に欠かせない存在。お客さん相手はプロ選手に対して失礼だ。オレの中でそんな心の移り変わりがあったのかもしれません。

 だからこそ、「預かっていたものを返しただけ」と割り切るのが難しいのが本音でした。今季はもしかしたらFC東京はリーグ初優勝を狙えるかもしれない。だったら建英にもその瞬間ピッチに立っていてほしい。心の底からそう思いました。おそらくは建英自身も相当悩んだんじゃないかと思います。
 それでも、当初から自分が決めたように、海外での挑戦を最優先に、ロジカルに冷静に自分の将来のための判断をした。その勇気と意志の強さ、本当に尊敬します。なれば我々もあくまで「預かっていたものを返しただけ」と割り切って送り出すべきでしょう。


 いかに久保建英とはいえ、挑むのは世界頂点のレアル・マドリードバロンドールを獲得したモドリッチをはじめ、各国代表のエース級の選手しか所属していないクラブで活躍するのは、並大抵の困難さではないでしょう。最初は2軍に相当するカスティージャからスタートするそうですが、それでさえも生き残るのはとても難しいはず。
 それでも、建英ならやってくれるんじゃないかと信じています。たった一年でJ1のサッカーに適応してみせたその潜在能力は、きっとリーガエスパニョーラでも通用するはずです。




 きっと建英はFC東京には戻ってこないでしょう。どこまでも遠くに行く彼の姿を、液晶越しに眺め続けることになるだと思います。だからこそ、一緒に戦ったこのシーズンをオレの一生の自慢にしたいと思います。いつか建英がエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウのピッチに立ったら、うざいくらいそのことをアピールしますんで、そん時は生暖かい目で見てやってくださいね。

今日でSIerを卒業するのでSIビジネスについてダラダラと書いてみる

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はじめに

 実際には有休消化があるので7/10が正式な退職日ですけどね。2年半働いた初台のSIerを退職することになりました。今日が最終出社で事務手続きとかも基本全部終わらせたので、事実上の退職日が今日となります。
 本当に色々なメに遭ったので、会社辞めたら色々書いてやろうと思ったんですが、ご他聞に漏れず「SNSやブログ等に会社に関わる一切を書くな!」って誓約書にサインさせられたので、ここは大人力を発揮してとりあえず黙ることにしました。残念ながらオレの人生ももうちょっとだけ続くんじゃよ。


 今回退社する会社で3社目の在籍、途中でコンテンツ配信サービスなんかにうつつを抜かした時期もありましたが、トータルで14年強もの間、SIビジネスの渦中にいました。これで一旦SIビジネスの会社に所属するのは最後になるので、2年半のうらみつらm……もとい、体験記を書く代わりに、SIビジネスについて思うことをダラダラと書いてみようと思います。個人の感想に寄るところが多いので、多少狭視的だったりピントハズレだったりするところは勘弁してください。

SIerは滅びぬ!何度でもよみがえるさ!

takigawa401.hatenablog.com


 この記事書いてから7年経ちます。あの時は「SIerが滅びるかどうかなんて分からん」って書きましたが、案の定滅びませんでしたね。少なくともオレの周りでSIビジネスがシュリンクしたという話は聞かないし、当時オレがいたn次請けのSIerは、オレがいた時よりも元気っぽいです。今のIT業界の好景気に支えられてる面は否めないのでしょうけど、大方の予想を覆して活況なんじゃないかなぁというのがオレの雑感です。
 旧態依然としたレガシーな開発も相変わらず同じような規模で存在しています。インターネット上では「アジャイル」のキーワードが跋扈するようになって久しいですが、そんな風潮はどこ吹く風、ウォーターフォール型だったり大型護送船団方式だったりも相変わらず健在です。

いつまでもSIerに頼ってばっかりでもない

 一方で、ServicerがSIerに頼らずに独自にITエンジニアを雇い、自力でシステム開発を進めるようになったのも、肌感覚としては増えているように感じます。外部に依頼すると契約に縛られてフレキシブルに開発が進められない、コミュニケーションコストばかりかかって本来の目的をなかなか達することができない、さまざまな理由があるんでしょうが、ITの価値を正しく理解した人たちが増えて、自分達の欲しい道具を自分達のコントロールしながら作るようになった、というのがその傾向の根底にあるんだと思います。

バブルはいつか終わる

 今はIT業界が好景気で活況、と前述しました。業界内では、どこで話を聞いても人手不足だと一様に言います。働き方改革とかクラウド移行とかBCPとか色んな理由があるんでしょうが、どれが原因で結果強烈な人手不足になるほどシステム開発が増えているのかはオレには不明です。なんでなんでしょうね? 誰か教えてぷりーず!

 とはいえ、オレが思うに、この好景気はあくまで一時のもの。しょせんはバブルで、いつか終わるんじゃないかと思っています。
 そもそもシステム開発の発注側である企業が倒産するリスクが非常に高い昨今です。三洋や東芝の例を挙げるまでもなく、大企業でさえいつ潰れるか分かりません。それらの企業が1つ潰れたら、いったいどれだけの工数の発注が消し飛ぶのやら(まぁその前に開発自体がストップするでしょうけど)。

「丸投げ」から「共創」へ

 大企業を見てると、ことITに関しては「ものづくりがヘタクソだなぁ」と思うときがあります。これだけ市場の変化が激しいのに、ユーザーの声を聞かずに思い込みだけで製品・サービスを作っているところが今でも沢山あるように感じられます。従来のマーケット調査みたいなのはしてるんでしょうけど、直接エンドユーザーの声を聞かない・ユーザーインタビューをしない、なんてのがザラ。延々とピントのずれ続けたモノを作り続けて、気付いたら数年・数十億費やしてる、みたいな悲劇だか喜劇だか良く分からないことが起こったりします。探索型開発ができないというか、アジャイルじゃないというか。
 じゃあアジャイルをやればいいかっていうと、そうは問屋が卸さなかったりします。


takigawa401.hatenablog.com


 以前こちらの記事にも書いたんですが、アジャイルな開発をしようとすると、従来のSIビジネスの根幹である一括契約が邪魔をして、そもそもアジャイルな開発にちっとも移行しないんですよね。トライアルでアジャイル専門プロジェクトを立ち上げて果敢に挑んでも、時をさほどおかずして失敗→元通り。フォルダ名だったりサーバーだったり施設名だったりに不自然に「アジャイル」がくっついてる資産が、その時の名残としてあちらこちらに残り続け、後世に引き継がれたりするわけです。デジタル時代の「つわもの共が夢の跡」は、他者から見れば滑稽でしかありません。


 ユーザー企業の実施するアジャイルな開発にSIerが関わろうと思うと、信頼関係を築いた上で納品物の取り決めを物凄く緩く設定した一括契約にするか、あるいはSES(準委任)契約でやるしかないんじゃないかなぁ、と思っています。しかもできるかぎり常駐でやるのが望ましいです、当然リモートワークをある程度許容することも前提で。ユーザー企業のシステム開発を肩代わりするのではなく、ユーザー企業と一緒になって同じ目線で開発するわけです。アジャイルな開発が主となった世界でSIerがユーザー企業とかかわり続けるのなら、一括契約を捨てると言う判断をしていかなくちゃいけないんじゃないかと推測します。

集団の力から個の力へ

 一括契約からSES(準委任)契約に切り替わるとなると、これまでよりも個人の技術力にフォーカスされるようになるでしょう。一括契約なら誰が開発に関わっていようが、何人関わっていようが、モノさえちゃんと納品されれば関係なかったわけです。ところがSES(準委任)契約、特に常駐型だと、どうしても顧客から個人が見えるので、会社うんぬんよりは個人の能力が問われることになります。優秀な技術者がいっぱい輩出される会社は必然的に優秀なSIerとして評価される、みたいな。まぁ個人の技術力が重要なんてのは今だって違いは無いんですが、十把一絡げで一括開発ばかりやってた会社だと、それなりにインパクトがあるのかもしれませんね。

教育とR&Dを頑張れるところが良いSIer

 となると、SIerの役割が「システム開発の肩代わり」から「優秀な技術者の育成」に変わってくるんじゃないでしょうか。更に言えば、開発チームは解散せず長く一緒に開発に携わるのがよいとされるので、「優秀な開発チームの育成」が出来るのが望ましいと思われます。会社全体でITエンジニアの技術力を高めるのであれば、整備された教育カリキュラムが必要ですし、新しい技術要素の活用方法を探究し、他者に伝播できるようブレイクダウンする必要があるはずです。必然的に社内の教育部門とR&D部門の重要性が高まるんじゃないでしょうか。

SIerの株式市場上場に初めて意味が出てくる

 オレはこれまで、SIerの株式市場への上場は無意味だと考えていました。SIerって結局ビジネスが人駆ありきなんで、投資先が「人」しか無いんですよね。一方で上場には莫大なお金がかかり、上場してからも莫大なお金がかかります。その割に得られるメリットが、SIerの場合少なすぎるように感じます。上場にかかる費用を給料に上乗せした方が、人駆だったらもっと質も量も集まるっての。顧客企業だって結局は信頼した会社にしか発注しないので、上場が信頼の証でそれによって仕事が集まるかと言うと、わりと眉唾じゃないかなと思っています。あんなもの、経営者のステータスのためか新卒を騙して集めるためのカンバンにしかなりえないってのがオレの持論です。


 しかし、社内の教育部門とR&D部門の重要性が高まるのであれば、投資先が「人」以外にもできたことになります。ここまでいって初めて上場で資金調達する意味が出てくるんじゃないかな、と。
 現在でも上場が企業の社会的ステータスを高めるという事実は変わりませんし、個人を売るために企業のステータスを高めるのは、どうしても必要だと思います。

ITエンジニアがタレントになる時代

 個人やチームが注目されるようになれば、バイネームで顧客企業から呼ばれるようになるでしょう。単価も人気によって変わるでしょうし、SIerも個人をタレントさながらにアピールする必要が出てくるかもしれません。
 以前きょんさんが「ITエンジニアで武道館ライブをやりたい」と言っていたのを思い出しました。あの時は突拍子が無さ過ぎてピンときていませんでしたが、もし個人やチームがバイネームで呼ばれるのが当たり前の時代になれば、ITエンジニアで武道館ライブをやるのも絵空事ではなくなるのかな、なんて思いました。


おわりに

 以上、ダラダラとSIer卒業記念にSIビジネスについて考察してみました。当たるも八卦、当たらぬも八卦。今日はプレミアムフライデーですし、これを酒の肴に色々と夢想してみるのも面白いかもしれませんね。


 来月からオレは一旦フリーランスとして働く事になります。故郷に年内に帰ることを大前提にしていたので、リモートワークを認めてもらえる顧客企業と個人で契約する、という方法しか思いつかず、結果良縁に恵まれてそれを実現することが出来ました。
 その後のビジョンも当然ありますが、まずは新しい働き方を確立して自分の足でしっかりIT業界に立ち続けることを目指したいです。