読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

コミュニケーションパターンを学び、その左手に妖怪ウォッチを捲く方法を考察する。 #devsen

IMG_3369

はじめに

 もう半年近く前の話ですが、6/13(土)に楽天仙台支社で開催されたDevLOVE仙台イベント「『見立て』でコミュニケーション問題解決を探るワークショップ」に参加してきました。昨年大ヒットしたゲーム・アニメ作品「妖怪ウォッチ」を参考に「日常のコミュニケーションで起こる問題を『妖怪』に見立ててパターン化しよう」というのがこの勉強会の狙いです。


 この勉強会の講師……いや、妖怪ウォッチにならって「ウィスパー」とお呼びすべきかな……を務められたのは、本橋さんと林さんのお二人。オレは本橋さんとは以前勉強会でご一緒させて頂いたことがあり、それ以来時折ご活躍をお見かけしていたんですが、ブログで書かれていた「妖怪ウォッチを題材としたコミュニケーションのパターン化」の記事を拝見し、この話はどうしても直接伺いたいとずっと思っていました。今回色々タイミングが合い、場所は仙台だけどそんなの関係ねぇ!(死語)とばかりに初n……もとい、はやぶさに飛び乗った次第です。企画してくれたちゃちゃきに感謝。


 勉強会の最中に結構ツイートしてたのをスタッフの方がまとめてくれたので、このエントリーでは勉強会自体のレポートは割愛し、感想とその補足のみを書いていきたいと思います。お話頂いた内容を参考にしたい方は、Togetterまとめをご覧ください。ワークの内容は公開禁止なので、それ以外のところは呟いています。

妖怪ウォッチ」とは

 よもや「妖怪ウォッチ」を知らない人はいないとは思いますが、念の為解説をば。



(via:http://192abc.com/archives/childrearing-education20140710)


 「妖怪ウォッチ」は、株式会社レベルファイブ(福岡県福岡市、以下「レベルファイブ」)から2013年7月11日に発売されたニンテンドー3DS専用ゲームソフトです。クロスメディアプロジェクト作品で、コミックやアニメなどによる多角メディア展開を前提として企画されたそうな。メディアタイアップは主に小学館の「月刊コロコロコミック「ちゃお」により行われ、共にコミカライズ版の連載も行われています。


 2014年1月8日よりテレビアニメ版も放送され、大人気となりました。肝心のストーリーですが、主人公(アニメでは「ケータ」)がある日、妖怪執事ウィスパーと出会い、妖怪を見ることのできる妖怪ウォッチを手に入れたところからスタート。至る所に出没する妖怪達と友達になり、彼らと協力し、町の人々の悩み・問題を解決しながら物語の裏に潜む謎に迫る、というものです。
 従来のアニメとは異なるのは、主人公のケータは、妖怪が見ることができる、という以外は普通の小学生だということ。その友人も同様にいじめっこや金持ちではなく、普通の子たちばかり。この「普通」であることが、視聴者の子供たちに共感され易い理由となっているようです。


 2014年1月11日には、バンダイと提携して販売された玩具「妖怪メダル」が発売されました。これが小学生を中心に流行した他、購買者のコレクター精神を刺激したことで、現在も全国で売切れが続出する状況となりました。子供のみならず大人まで購入のために長蛇の列を作った様子が「社会現象」とまで報道されました。


 ……とまぁ、以上は昨年某社外勉強会でビジネス分析ワークショップ用に作成した資料から引用。オレの作った資料だからまぁ構わんだろ。


妖怪ウォッチ」における妖怪の正体

 だいたい30代以上の平均的な日本人にとって「妖怪」とは、「ゲゲゲの鬼太郎」のそれが一番イメージとして強いかと思います。その他、日本の民話・神話を由来としているものというのが認識としてあるでしょう。


 ところが、「妖怪ウォッチ」に出てくる「妖怪」は、そういった「かつての妖怪」とは一線を画し、子供たち、それも主に小学生が、学校や家で悩んでいる「悩み」や「困りごと」を、ダジャレやギャグでアレンジして「人に悪さをする生き物(?)」としてアレンジしたものを指します。この辺は「妖怪ウォッチ」の製作元であるレベルファイブ日野社長のインタビューなどを読むとよく分かります。


 「妖怪ウォッチ」では問題を起こす妖怪への対処方法は、大きく分けて2つです。「主人公が自分で解決する」か「友達になった妖怪を呼び出して解決して貰う」か。結果、問題が解決出来ると、時折妖怪と仲良くなり、友達の証として「妖怪メダル」を貰うことが出来ます。

コミュニケーションのパターンとしての「妖怪ウォッチ

 レベルファイブが「妖怪ウォッチ」を作り出したのは、過去作品の反省点から「飽きさせない」「息の長いコンテンツを作りたい」「パワーインフレ(≒ドラゴンボールイナズマイレブンのような対戦相手が天井知らずに強くなる現象)を起こさせない」という観点を持ってコンテンツ作りに生かした結果です。が、それが期せずして人と人とのコミュニケーションに発生する問題のパターン化という副産物を作り出しました。


 「パタン・ランゲージ」は、元々は建築家のクリストファー・アレグザンダーが提唱した建築・都市計画にかかわる理論です。人々が「心地よい」と感じる環境(都市、建築物)を分析して、「小さな人だまり」「座れる階段」「街路を見下ろすバルコニー」など数々の抽象化・明文化し、その効果を謳ったものです。近年は建築等にとどまらず、特定の状況で繰り返し現れる問題とその解決方法等を集約するための手法として様々なシーンで活用されています。


 「妖怪ウォッチ」で作り出されている妖怪も、まさにこのパターン化によるものです。子供たちの抱える悩みを分析・抽象化し、多くの子供に共通する現象としてまとめ、子供たちがなじみやすい名前と姿を与える。

 本橋さんはワークの中で「妖怪は本来良いもので、ある性質が過剰になり暴走すると、顕現して悪さを起こす」と言っていました。子供たちが抱える問題は、どれも悪さをするために存在するわけじゃなく、子供たちの中で「こうしたい」「ああなりたい」という要望や欲求が存在し、それらがなんらかの理由で過剰な状態……つまり周りと摩擦を起こすようになって初めて「問題」として顕在化するのです。


 例えば、「人に認められたい」という感情……ちょっと前に、はてな村で流行った「承認欲求」ってやつですが、これも本来は「他人に認めて貰えるように頑張る」「積極的に働きを行っていく」というポジティブな効果があります。が、行き過ぎると、「なんでアイツより俺は認められない!?」と他者を攻撃し出したり、「もっと私のことを認めてよ!」と過剰なアピールをするようになってしまいます。
 「承認欲求」を仮に「妖怪」に仕立て上げると、程良く取り憑いていれば、その人を前向きな努力家に変えるでしょうが、悪さをする気マンマンでこの妖怪が取り憑くと、その人を「承認くれくれ乞食」か「しっとマスク」に変えてしまうでしょうね。



(via:しっとマスク - ピクシブ百科事典)
(※筆者注:上のイラストのしっとマスクは「もてない男の嫉妬が生み出した姿」なので、承認欲求をこじらせても生まれないでしょうが、イラストがあるとイメージし易かったので引用してみました)


「従来」の妖怪の正体

 こうやって「妖怪ウォッチ」から「妖怪とはなんなのか?」を考えてみると、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪も、民話・神話に出てくる妖怪も、考えようによってはパターン化の成果物なのではないか、と捉えることが出来ます。ただし、従来の妖怪は「子供の持つ悩み」を元に生まれたのではなく、「自然現象」「宗教」「教育」「道徳」といった観点から生まれたのではないでしょうか。


 例えば「鎌鼬(カマイタチ)」、何も無いところで血も出ないほど鮮やかに突然皮膚が切り裂かれる、といった現象ですが、現代では、突風が巻き起こす真空状態によるもの、突風が捲き上げた砂や小石などが皮膚を切り裂いた、など、ある程度科学的な観点で仮説がたてられています。
 しかし、カマイタチが登場した江戸時代には当然そのような科学的な仮説があるわけではなく、人の目には見えない、鎌のように鋭い爪を持ったイタチのような生き物が血を求めて人を切り裂く、といった「妖怪」として捉えられていました。


 今よりずっと闇夜が深かった近代以前では、現代を生きる我々よりずっと脅威があふれていたはずです。深い深い夜の闇の中で聞こえる、水一滴したたる音、木々がざわめく音、どれもが畏怖の対象であったはず。何より脅威だったのが「それが何が原因だか分からないこと」だったのではないでしょうか。それらを科学の概念が無い世界で、彼らなりの知識や想像力の中から、特徴や行動特性を言語化し、姿を思い描き、名前を付けたのではないかと思われます。それに一度名前を付けてしまえば、後は他者に伝えることは容易になります。「○○○という妖怪は△△△△△という悪さをするが、□□□□□という行動を取らなければ出会うことは無い。」そうやって様々な「脅威」が「妖怪」として顕現させ、現象を「妖怪の仕業」と自分たちの中で明らかにしていくことで、畏怖を軽減していったのではないでしょうか。


 また、畏怖の対象であった「妖怪」の地位を利用して、道徳・教育の材料にも使われたのではないかと思います。現代だと「もったいないオバケ」がその最たる例ですね。同様に「なまはげ」は、家々を回って「悪い子はいねがー」「泣ぐ子はいねがー」などと子供を驚かせることで、悪を諌め清く正しく生きることを説く存在です。
(※筆者注:本来「なまはげ」は山の神々の使いなので、妖怪と呼ぶのは相応しくありません。そういえば今日が彼らの出没日ですね)

 また、妖怪とはやや異なりますが、田舎の人間だと「ミミズに小便をかけるとチンチンが腫れあがる」なんて言い伝えを聞いたことがあるんじゃないでしょうか。ミミズは田畑を肥やし耕す存在なので、それを害するような行動を子供たちにさせないために、ミミズをいわば「準妖怪」として扱ったんじゃないかと、今になって思い至ります。


 「妖怪」はおそらくそうやって、子供らに恐怖を以って何かを教える時に活躍してきたのでしょう。


 ここで述べたことはあくまでオレの推察なので、妖怪や民俗学に関する書籍を読めば、その辺は詳しく正しいことが書かれているんじゃないかと思います。オレも機会を見つけて調べてみたいと思います。


「砂漠の一神教」「森の多神教

 「砂漠の一神教」「森の多神教」という言葉を出したのは、ニュースキャスターの故:筑紫哲也氏だと記憶していますが、この「妖怪」の捉え方はいかにも多神教文化である日本的だと思います。


 キリスト教イスラム教はどちらもユダヤ教が源流ですが、砂漠で生まれ、唯一絶対神を崇めます。精霊みたいな存在もいますが、神の遣いだったりと、基本的にはたった一人しか神様はいません。キリストもムハンマドも神の遣いではあるけど、神様じゃない。砂漠のように相互作用しあうものが少なく、環境が苛烈な状況下において、全てをコントロールする絶対的な存在がいる、という発想は、自然な事なのかもしれません。


 一方、仏教神道は「多神教」です。「八百万(やおよろず)」と表現されるように、神様は至る所に、色んな形で存在するという考え方です。神様の性格もまちまちで、いたずら好きだったり嫉妬深かったり怒りっぽかったり、と非常に人間臭いです。木や水、火にも神様はいます、極端な話、ウンコから生まれてきた神様とかもいますし。森のような自然のそれぞれが相互作用し合うような環境では、それぞれに個別の神様がいる、というのは、これも自然な発想なんだと思います。神様がいっぱいいるから、どれか一人だけが異常に強いんじゃなく、なんとなく寄り合いや縄張りができてたり、役割があったり、とかが想像し易いんだと思います。


 水木妖怪や従来の妖怪のように、自然現象から発想された「妖怪」は、まさに多神教の神々の生まれ方と同じです。多神教において「神」と「妖怪」に大きな隔たりはなく、同一だったり呼び方が異なるだけだったりすることもあるのではないかと思います。


 多神教、というか、日本の宗教観に関してなんとなく雰囲気掴んでおきたい方は「鬼灯の冷徹」とか読むと良いんじゃないかと思ってます。割とオススメ。
 作中では、怪談でおなじみ「トイレの花子さん」が、実は厠の神である埴山姫(はにやまひめ) & 水罔女(みずはのめ)なのではないか、という仮説も出てきます。



 話を戻すと、多神教文化である我々日本人には、「付喪神(九十九神ツクモガミ)」のような、「モノに魂が宿る」みたいな発想が生まれながらにして身に付いている人が多いです。それを更に発展させたのが、「モノをヒトに見立てる」つまり「擬人化」です。近年だと「艦これ」や「刀剣乱舞」が一躍人気ですが、こういったものが西洋文化、というか、一神教文化から生まれてくることはあまり無いと思います。


 「妖怪ウォッチ」も同様で、「子供達の問題」を「擬人化」「妖怪化」したものが、作中に出てくる「妖怪」です。問題をそれぞれ性格付けし、姿を与え、名前を与える。日本人ならでは、というか、多神教文化ならではの産物ではないでしょうか。


「ゾンビ」「キョンシー」と「妖怪」の乖離

 本橋さん・林さんの提唱する「妖怪コミュニケーションパターン」には、「悪しきパターン」として「ゾンビ」が出てきます。精神的にがんじがらめに追い込まれる(本橋さんは「ダブルバインド」と表現)ことで思考停止に陥り、まるでゾンビのように「死んではないが自分の意志で行動出来ない」状態のメンタルのヒトを「ゾンビ」とお二人は仰っていました。企業内で高圧的な上司から無理難題をふっかけられたり、心理的に追い込まれたりすると往々にしてこういったことが起こるようです。ついでに言えば、「ゾンビ」は「感染」つまり周囲に伝播し同じ症状の人を増やします。……なんだか身に覚えがあり過ぎてイヤになっちゃいますね。


 さらに踏み込んで、この「ゾンビ」状態の人に更に圧力をかけて操ることを「キョンシー(僵尸)」と表現しよう、という話が、冒頭の勉強会では出てきました。「キョンシー」は中国の宗教である道教において、道士(日本で言うお坊さん)が召鬼法(死者を操る術)を用いて生み出す、道士の命令通りに動く「ゾンビ」のことです。企業内で上司的な立場の人が、前述のように「ゾンビ」を生み出し、更に圧迫的に接することで「ゾンビ」状態=思考の奪われた人を自分の命令通りに動かすことが、まるで「キョンシー」と「道士」の関係にあるな、と思ったんですよね。やっぱりこちらも、企業内で、特にデスマーチの最中なんかにこんなのを見た記憶があります。「キョンシー」が出てくる現場はかなり末期だと言ってもいいかもしれません。


 「ゾンビ」「キョンシー」どちらにも言えることは、凶悪なまでに悪化した(もしくは悪意をはらんだ)「妖怪」が他者に強度に干渉することで生まれる、ということです。


 「妖怪」たちと「ゾンビ」「キョンシー」の大きな違いは、「妖怪」には意思があり、「ゾンビ」「キョンシー」には意思が無い、もしくは奪われた状態だということです。「妖怪」は場合によっては良く働くことがある、と前述しましたが、「ゾンビ」「キョンシー」にはそのようなことはありません。ただ腐り落ちて滅びを待つのみです。
 とはいえ、ゾンビ状態から回復する方法もある、と本橋さんはワークショップ中で述べられていました。その方法とは「その人の存在を認める」こと。過剰にこの対処を行うと、「ゾンビ」化した人はもっとほしがり「餓鬼」化するんだそうですが、それにめげず「承認を与え続ける」ことが大事なんだそうです。この辺はオレ自身は実体験でまだないので、なるほどなぁ、と思って聞いていました。

 いづれにせよ「ゾンビ」や「キョンシー」になってしまうと、元の人に戻すのは壮絶に大変な事は想像に難くないです。予防につとめるのが最も負担が少なく、かつ健全な状態なのではないでしょうか。
 

妖怪ウォッチ」の正体

 我々が日常的に出会っているはずの「妖怪」に対してはどうするべきでしょうか。アニメの「妖怪ウォッチ」で「妖怪」たちと台頭に渡り合えるのは「妖怪ウォッチ」を持つケータくんだけです。「妖怪ウォッチ」を持たずに「妖怪」たちと渡り合うのはほぼ不可能、と考えていいでしょう。とはいえ、現実には妖怪ウォッチは存在しません。さすがにバンナムに売ってもらうわけにもいかないでしょうし。


 では、現実世界における「妖怪ウォッチ」とは何か? 「妖怪ウォッチ」の要素を取り出すと、ケータくん自身やウィスパーの能力も含みますが、以下のようになるのではないかと思います。

  1. 妖怪の姿が分かる(妖怪が見える)
  2. 妖怪の名前が分かる
  3. 妖怪の特徴が分かる
  4. 妖怪同士の関係性(抑え込んでくれそうな妖怪)が分かる

「妖怪」と戦うために目指すべき存在

 これらの能力を我々が身につけるにはどうしたらいいか? オレなりに考えてみました。

 ひとつはレベルファイブが「妖怪ウォッチ」でやってるのと同じ、前述の「擬人化」です。人の悩みや問題を抽象化し、具体化し、名前付けする。悩みや問題を分かり易く可視化する、まさに「妖怪ウォッチ」そのものの機能を「擬人化」が果たしてくれます。
 ただ、これだけでは「妖怪」を具体化できても、上記で列挙した1〜3しか満たす事はできません。「妖怪」を見ることはできても、戦うことは出来ないんです。では、戦うにはどうしたらいいか。考えて、そして思い至りました。



 腐女子」です。



 腐女子については説明するのがすっごいイヤ面倒いので、知らん人は詳細はWikipediaとかネットの文献で調べておいて下さい。要するに男同士の恋愛とかSEXとかを妄想する女性達のことです。


 オレの知り合いにも何人か腐女子とか貴腐人とかがいるんですが、彼女らの人間関係に対する洞察力は本当に凄いんですよ。ちょっとした仕草や視線の運び、身に着けている品などで、妄想対象の男性のどちらが受けで、どちらが攻めかを瞬時に見抜くとができるんです。
 それは、おそらくではあるんですが、彼女達の中で「こういうシチュエーションの時にはこう!」というパターン分けが構築されているんじゃないでしょうか。それを瞬時に適用し、(自分にとっての)最適解を導き出すことができる。使い方としてはあまり宜しくない(彼女ら流に言うと「腐ってる」)ですが、パタン・ランゲージをコミュニケーションで実践的に用いているという点では、特筆に値すると思いませんか?


 もしこの能力を、男性同士の恋愛という限定的なシチュエーションではなく、もっと広く日常的に使えたら、それこそ「妖怪ウォッチ」のように、対処法が導き出せるのではないか、と考えてみます。


 唯一の問題点は、この能力が特殊能力で、特殊性癖下でしか習得・発動できないということです。かといってオレはそんな特殊性癖趣味は遠慮しときたいし。う〜ん、弱った。
 だがしかし、自ら趣味に染まらなくても、腐女子の人達から話を詳しく聞くことで、要素やコツは見つけられるかもしれない。彼女らは自らを異端だと自覚しているので、他者からの攻撃を避けるために趣味を隠す傾向にありますが、こちらが理解がある姿勢を示し、傾聴の姿勢を示すことで、なんとか「妖怪ウォッチ」を自ら身に着けられないかな、などと考えています。


おわりに

 本橋さん・林さんの「妖怪ウォッチ」を題材にした「コミュニケーションパターン」は発展途上で、勉強会の最中にも進化していました。そしてそれは、多神教文化に生まれた日本人特有の能力で、更に発展出来るとも、勉強会に参加して感じました。
 他者とのコミュニケーションで悩む人は多くいると思いますが、上手に「妖怪」のせいにして、「妖怪」と解決していければ、この世はもっと生き易くなるんじゃないでしょうか、「妖怪」は人と寄り添う存在なんですから。


 最後に、2015年末に亡くなられた水木しげるさんのご冥福をお祈り致します。きっと水木しげるさんがいなかったら、このコミュニケーションパターンのきっかけさえ生まれなかったでしょうから。