ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

他人の人生の節目に立ち会う心構え


 今日はオレにしては珍しく、お芝居を観に行ってきました。場所は両国:シアターX(カイ)、演目は劇団ばんぶるびぃの「KEEP ON」というお芝居でした。たまたま個人的に都合がついたのが千秋楽の公演で、きっと今頃出演者の皆さんは打ち上げの宴会が終わって帰路に着いたころじゃないでしょうか。


 オレが観たのが千秋楽なので、以下はネタバレ上等であらすじや感想を書いていきます。


 最初の舞台はちょっとだけ未来の病院かデイサービス施設から。とある老人の妄言にも似た告白から始まります。老人の回想に入ると、舞台は過去に戻って、江戸:安政の時代、貧しい街で老人や病人・けが人を無償で診る診療所に移ります。西洋医学を学んだ若い武士が医師見習いとして訪れたその診療所には、現代にも通じる技術と信念を持った医師が仲間とともに奮闘していました。やがてその医師が街の病巣たる政治にまでメスを入れ、やがて藩全体を巻き込んで世直しをしていきます。しかし、実はその診療所の医師は……。



 オレは普段は殆どお芝居を見ませんし、それはテレビドラマや映画であっても同様です。なかなかガッツリ2時間程度確保できない、その気力が無い、というのがその理由ですが、別に嫌いで見ないわけはありません。ストーリーがちゃんとある話って、のめり込み過ぎる傾向があるので、ながらで見れないし、場合によっては後々影響が出たり(仕事に身が入らない、とか)、するので、あんまり積極的には見ないようにしてるんですね。
 なので、ちゃんと筋のある、こういった人が演じたものを観るのはだいぶ久々だったんですが、やっぱり面白かったです。


 まぁ正直なところを言うと、「なんで震災起因でタイムスリップしたのに、震災後の報道の動画データがタブレットに入ってんだよ!」とか、細々とツッコミどころはあるんですが、総じてとても良い話を見れたなぁと思います。今回観た劇団の別の演目は、以前にも観たことがあるんですが、今回も前回も、多少ファンタジー要素が入りつつも、ダンスあり、笑いあり、ちょっとだけホロッとさせるシーンもあり、誰も死なず、登場人物みんながちゃんと前を向いて幸せになろうと終わる、というストーリーでした。
 多少「さすがにその話の展開は都合良すぎないっすか?」と思わなくもないですが、フィクションの中くらい完璧な幸せがあってもいいんじゃないか、ってオレは個人的には思います。分かり易いし、劇場の扉を出た時に、ちゃんとほんのり幸せな気分に浸れる、という意味で、素晴らしい作品だったと思います。





 さて、今回ガラにもなく、オレがお芝居なんぞを観に行ったのは、出演者に知り合いがいたから、その彼に誘われたからです。彼はオレが行きつけにしている飲み屋で、オレと同じ店の常連の立場の人間、時たま会うとカウンターで酒を飲みながら話す間柄です。
 彼は以前は年に数回の舞台に立ち、その間を副業で食いつなぐような生活をしていましたが、直近はテレビドラマや映画などにも出演し、それなりに忙しく切れ目なく「役者」としての仕事をこなしているそうです。そして今年の初夏、今回の舞台を最後に映像に専念する、今回の舞台を舞台役者としての最後の舞台にする、と話してくれました。同じ役者でも舞台と映像は全然違う。生半可な覚悟で臨んでいてはとてもじゃないけどやっていけない。だから映像に集中するために、これを最後に、二度と舞台に立たないつもりで、そういうつもりで今回の舞台に臨むんだ、と。
 「じゃあ今度の舞台は貴方の舞台役者としての葬式ですね。」とほろ酔いのオレが軽口をたたき、「そうですよ、だからぜひ参列して下さいよ」と合わせてくれたのを、今も鮮明に覚えています。


 今回の舞台では、その街を取り仕切るやくざの大親分という重要な役柄でした。でも、オレがそのやくざの大親分が「彼」だと覚えていたのは、舞台の幕が上ってから、ほんの数分程度です。次第に話にのめり込んでいたオレは、それを演じているのは「彼」だと頭では分かっていながらも、それと目の前で展開される物語とはどこか別の物事のような、見知った芸能人か有名人が単に今観ているドラマに出ているだけのような、そんな感覚で観ていました。



 オレは今回の舞台を観る時、「映像に集中するために、これを最後に舞台に立つのをやめる」という、彼の覚悟を受け止める側として観るつもりで劇場に足を運びました。ただ、「どう受け止めるのか」については、正直答えは出ませんでしたし、それは最後までなんら変わらず、オレは一観客として観ただけで終わりました。そのほかの、他の劇団員さんを観に来た観客と同じように、単にお芝居を楽しんだだけ。たぶん、それで良かったと思うし、「彼」もそれを望んでたんじゃないかな、と勝手に思っています。



 結局のところ、他人が何か「人生を変えるような覚悟を持った節目」に自分が立ち会ったところで、何か出来るわけじゃない。他人が誰かが覚悟を持って臨む人生の節目にしてあげられることなんてない。ただ見ていることしかできない。
 ただ、その「ただ見ている」ことが、案外意味があったんじゃないかな、とオレは勝手に思っています。見ていたことが、ただそれだけで、その人の背中を押すことになるのだったら、それは「ただ見ている」ことが大事で、役に立つんじゃないかな、と。


 彼は近い将来、スクリーンや液晶で散々姿を見るようになる役者さんになるでしょう。それは彼の覚悟を見届けた人が、オレ以外にもたくさんいて、きっとそのことが、彼を決して後ろに下がらせないからです。



 オレはきっと今後も色んな人の「覚悟を持った節目」に出会うことになるでしょう。今回のように明確に分かっているケースはそうそうあるわけじゃない。ただ、希有な事ではあるけれど、無いわけじゃない。転職、結婚、自殺、エトセトラ、エトセトラ。そんな時、オレ自身にできることなんて殆ど無い。なんでもかんでも他人の人生に干渉できると思っちゃいけない。
 それでも、ただ居ることが、ただ見ていることが、意味があったり役割があったりすることはあるんだと思います。他人の決意を持った行動を目の当たりにすることがあったならば、奢らず図に乗らず、ただ目の前のことを受け止めて覚えている、そんなことにきちんと意味があると、今回は思ったりしたわけでした。




 あっきーさん、本当に面白い舞台でした。次のステージでの活躍も楽しみにしています。ひとまずお疲れ様でした。