ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

「私、実は話せるんです」その魚は言った。


 「私、実は話せるんです。」その魚は言った。私は最初、何が起こったか分からなかった。振り向いたそこには、水色のバケツの中で魚が身をわずかにくねらせていた。


釣りは夫の趣味だ。仕事は忙しいが、たまの晴れた休日にこうして釣りに行くことを楽しみにしている。時にはこの日のように私も付き合うが、もっぱら見学専門で、木陰で本を読んでいることが多い。魚も夫が先程釣り上げたものだ。その夫はエサを切らして車に取りに戻っている。時間を考えてもこの日唯一の釣果になりそうだが、夫はギリギリまで粘りたいらしい。


 「私、実は話せるんです。」もう一度その声は聞こえた。耳から聞こえてきたものでは無かった。頭の中に直接響いたような声。いやそれとも違う。男とも女とも取れない、子供とも大人とも老人とも取れない、そしてそれらのどれとも取れる声。直接脳内に情報を放り込まれたような感覚。魚は私を見てはいない。先程から変わらずバケツの壁面に無表情な視線を送っている。どう贔屓目に見ても美しいとは言えないその魚は、その後の言葉を続けなかった。空耳だろうか、夢でも見ていたんだろうか。いや、それにしてはリアリティがあり過ぎた。あの声は、声と呼んでいいのか分からないが、今でも頭にこびり付いている。


 やがて夫が戻ってきた。エサはどうやら残っていなかったらしい。帰ろう、と言ってきた。私は頷き、道具の片付けを手伝う。全てを車に積み込み、最後に魚を逃がそうとする。私はさっきの声をまた思い出した。何だったんだろう、あれは。
 魚を戻すのにもたもたしていた夫が、もじもじと切り出した。この魚、家で飼っちゃ駄目かな? 釣果があった際に夫は、ごく稀にそんな事を言い出す。私はこれまでその申し出を全て却下してきた。家はそんなに広いわけではないし、観賞魚でもない魚を眺めることに抵抗もあった。それにどうせ私が世話する羽目になるのだ。夫の気持ちは分からないでも無いが、とてもじゃ無いが了承出来ない。でも、さっきの声はどうしても気になった。魚はそれ以来一言も発していない。やっぱり気のせいだという思いと、それを断定出来ない相反する気持ち。仮にさっきのが気のせいじゃ無かったとしたら、なぜ魚は私に喋れることを告白してきたんだろう。分からない。様々な思いが私の胸でグルグルとへドロのような粘性を持って渦巻いている。このまま魚を逃してしまうとそれを解決する術を失ってしまうんじゃないか。


 しばらく悩んだ挙句、私は夫にいいよと一言だけ頷いた。夫は私の意思を何度か再確認すると、いそいそとバケツを車に運び込んだ。道中も夫は鼻唄混じりに運転している。どこかでこいつを飼うのに必要なものを買わなくちゃだね。夫は一番近いホームセンターに向けてハンドルを切る。こんなに喜ぶのならもっと早く了承しても良かったかもしれない。でも何が必要なんだろうか。水槽、ボンベ、底に敷く砂利、景観様の水草、後は…。


「腹が減りましたね。」


 そう、エサも買わなくちゃ。何を食べるんだろう。生き餌は出来れば避けたい。そこまで考えて、その声の主がバケツの中であることに気がついた。また魚が喋ったのだ。夫は魚が喋ったことには気付いていない。私だけにしか聞こえなかったみたいだ。いや、エンジン音で聞こえなかっただけかもしれない。でも…。途中、ホームセンターへの寄り道を含め数時間のドライブの最中、魚はもう一回だけ「結構揺れますね。」と呟いた。やはり、夫はその言葉に反応しなかった。


 魚の住居はリビングの一角になった。決して大きい水槽では無いが、魚もさほど大きい訳ではないし、それを苦にしている様子も見受けられないので問題ないだろう。子供は部活から帰ってくると水槽と中身に一瞬驚きを示したが、夫から事情を説明するとふ〜んと一言だけ興味も無さそうに返事しただけで、後は自室に篭ってしまった。成績が落ちないところを見るときちんと勉強しているのだろう、五月蝿く言わなくて済むのは本当に助かるが、そっけない態度に夫は少し寂しそうだ。




 案の定、と思わなくも無い点が2つほどある。

 1つは魚の世話係が私になったこと。子供は殆ど魚に興味を示さなかったし、夫も仕事が忙しいので普段は魚に構っていられなかった。水の交換など人手が必要な時には協力してくれるが、普段のエサやりは私が担当するしかなかった。もっとも、その世話はさほど面倒でもなかった。エサは観賞魚用の乾燥したもので済んだ(生餌で無いことは本当に助かった)し、なによりタイミングは全て魚自ら教えてくれた。「腹が減った」「水が汚い」まぁその程度だ。別に頻繁じゃないし、魚は大喰らいでも無かった。魚の言葉に促されて私は毎回少量ずつエサをやり、休日を選んで水槽の掃除を行った。

 そしてもう1つは、魚の声が私にしか聞こえない事だ。何度か夕食中に魚が喋ったことがあったが、夫も子供も特に反応を示さない。今何か言った、と一度だけそれとなく尋ねてみたことがあったが、きょとんとした顔をするばかりで期待した返事は返ってこなかった。なぜだか分からないが、魚は私にしか話さないらしい。私も頭が変になったと思われたくなくて、魚が話すことも、私がそれを聞けることも、一切誰にも話さないようにした。試しに夫に、魚が喋ったとしたらどう思う? と聞いてみたことがある。夫は、たぶん釣り上げた自分に恨みを持ってるだろうから文句言われるだろうね、でも水槽は自然界ほど過酷でも無いし案外喜んでるかも、魚は痛覚が無いみたいから釣り針も痛くないだろうし、などと差し障りの無い思考実験を楽しむにとどまった。


 普段の家事の際、私はリビングのテレビをつけっぱなしにしておく。特別テレビが好きという訳でもないが、なんとなく物寂しくてBGM代わりにテレビの音声を聞きながら掃除や洗濯物の片付けを行うことが多い。番組は何でもいいが、ドラマはあまり好きじゃないのでバラエティやニュース、ワイドショーが大半だった。しばらくすると魚に変化が現れた。今までは自分の身辺についてしか喋らなかったものが、徐々にテレビの内容に言及するようになったのだ。女装の太った男が気持ち悪い、首相の男は顔色が悪い、あの犬も喋るのか、エトセトラ。ぽつぽつと呟く。あまり意味深い感想は無かったが、少なくとも魚はテレビの内容をある程度理解し始めているようだった。


 面白がって私はTwitterに魚用のアカウントを作成した。アイコン用に水槽の中の魚を撮影し、プロフィールに釣り上げた場所と日時、現在の大まかな住所と魚の種類を掲載した。そして魚が何か喋るごとにその内容をそっくりそのままTwitterにツイートした。腹が減った以外に少しずつテレビの感想が混じる、一日10〜20程度のツイート。しばらくは特に影響も無かったが、徐々にフォロワーが増え続けた。


 驚いたのは、私がTwitterにリプライで来た内容を読み上げると、必ず魚が返事をしたことだ。今まで私が話し掛けても返事をしたことなど一度も無かったが、それがTwitterのリプライであれば反応するらしい。試しにダミーのリプライ(実際には来ていない、私が捏造した)を読み上げたことがあったが、それにはまったく返事をしなかった。リプライの真偽は魚には分かるらしい。


 もっと驚いたのは、魚が英語を理解し、使いこなしたことだ。英語圏の人間から「What is your favorite food?」とたわいも無い英語でリプライが来たときがあったが、それに対して「Anything. I'm not a standpoint where the one that eats can be chosen.」と返してきたことがあった。私はそれを危うく聞き逃すところだった。それ以来、魚とフォロワーの間では英語のやりとりが増え、私は英語辞書が手放せなくなった。フォロワーも一気に増え、いつの間にか10,000を超えていた。




 ある日の事だ。その日は休日で、夫はテレビでサッカーの試合を見ていた。釣りの他に夫が好きなのはJリーグ観戦だ。この日はスタジアムまで行くことが出来なかったので、やや不満そうな顔をしてテレビを見ている。私もサッカーは好きで、時には夫が取り溜めた試合の録画を家事の最中に流す事もあった。


 「今野は良い守備をしましたね。これは点に繋がりますよ。」


 突然魚が後ろで喋る。魚の言葉通り、画面の中では今野選手がコート中央の高い位置でパスを受け際の相手選手からボールを奪取したところだった。そのボールは梶山選手を中継していくつかのパスを繋いだ後、大黒選手の移籍後初得点をアシストした。夫は立ち上がり手を叩いて喜んでいる。でも私はそれどころではなかった。



 魚 は 今 、 試 合 展 開 を 予 知 し な か っ た か ? それともたまたまの偶然なのか。分からない。でも、この間までやっていたワールドカップでは水族館の蛸が勝敗を予想した、と聞いたことがある。嘘か真か分からないが、優勝チームまで予想して見せたそうだ。蛸にできるなら魚にも出来るかもしれない。ましてやサッカーなど一度も見たこと無い水族館の蛸より、私と一緒に試合を見ている魚の方が勝敗予想の確度は高いかもしれない。


 その日から生活スタイルは一変した。私は夫に頼んでスカパーに加入し、全てのJリーグの試合を録画し続けた。夫や子供がいない日中は常にそれをテレビから流し続け、夫や子供がいるときでも極力許可を取ってそれを見続けた。宝くじ売り場からtotoの申込書を貰ってきて、水槽の内側に向けてセロハンテープで貼り付けた。夫がさすがに不審に思ったので正直に、蛸にできるなら魚にも予知できるかと思って、と告げると、さすがに無理なんじゃないかな、とハハハと笑って流してくれた。


 魚は視界を遮るその紙に興味も無いように、いつものように水槽でゆらゆらと漂い続ける。そういえば、鳥のさえずりを「ツイート」を言うそうで、そこからTwitterは命名されたらしいけれど、魚の呟きはなんて言うのだろう。魚は喋った。


 「腹が減りましたね。」








というITmediaの記事を読んだ、という夢を土曜の夜に見ました。なんでITmediaなのかは良う分からんです。多分土曜に楽天の友人と飲んでて「英語で歓迎会やったから頭パンパンで正直ツライ」という話を聞いたことや、蛸のパウルの話なんかが影響したんでしょうね。土曜は結構深酒したから、そのせいもあったのかも。


ちょっと面白そうだったから試しに文章に起こしてみたんですが、いやぁ、小説風に仕立てるのって難しいですね。思ったより時間がかかっちゃいました。ちなみに英語の部分はExcite先生にご教授頂きました。間違ってたら教えて下さい。夢落ちなんで、当然この話はフィクションです。