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ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

自分はもう「当事者」じゃないのだと知った映画「君の名は。」

雑記



 ここ最近仕事がえらく忙しかったのですが、金曜に猛烈に集中して一気に片付けることができたので(とはいえまだ残ってるけど)、週末の今日は一念発起して朝から映画「君の名は。」を観てきました。


 前から観たかった映画で……という表現は的確ではないですね、正確には「前から観なくてはいけないと使命感に駆られていた」と言う方が正確だと思います。お盆休みに「シン・ゴジラ」を観て、これは凄い映画だ!邦画史に残る大作だ!などと独りで盛り上がっていたら、なんと9月頭の段階で既に「君の名は。」を9回も観たという猛者から「『シン・ゴジラ』観たんだったら『君の名は。』は是非観た方がいい」と熱く熱く諭される、という、まぁオレの周囲では別に珍しくもない出来事がありまして。
 斜に構えたオレとしては「どーせ『シン・ゴジラ』の方が素晴らしいに決まってるけど、そこまで言うんならちょっくら観に行ってやるかいのぅ」とやや上から目線からこの映画に臨んだわけです。


 足を運んだ映画館はゴジラのモニュメントが目を引く歌舞伎町の「TOHOシネマズ新宿」、土曜で映画割引デーとはいえ、朝一(9:30)の上映はなんと満席。事前予約していなかったらおそらく座れなかったでしょう。上映が始まってから1ヶ月以上経っている割には凄まじい人気です。待合室も劇場内も若いカップルで溢れかえっています。楽しそうな声をBGMにシアターの座り心地の良い座席に身を沈めながら、「ほーらな。どうせリア充にこびへつらった恋愛映画なんだろ? オレ、恋愛映画苦手なんだよなぁ。新海誠がナンボのもんが知らんが、あんまり期待せんどこう。」その場にいるオレ以外の人間全員をどこか小馬鹿にしながら、オレはシアターの灯が落ちるを待っていました。





















 すみません、すみません、本当に心の底から謝ります。そんな嫉妬とかやっかみ以下のくだらない感情でこの映画に臨んだ2時間前のオレを全力でぶん殴りたい。


 本当に、掛け値なしに良い映画でした。


 こんな素晴らしい映画に出会わずにこの後の人生を送っていたら、と思うと背筋が凍る思いがするほど、素晴らしいものに魅せられたように思います。
 じゃあ冒頭の「シン・ゴジラ」とどっちがいいか、というと、そんなん比べられないですね。みんなちがって、みんないい。ベクトルが違って、どちらもそれぞれの頂点なので、比べるとかそういうものではないと思います。


 最初はオレはいわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」ものなんだろうなと想像していて、それは別に間違っては無かったんだけど、その上で物語が世紀の天体ショーを中心に絶望に加速していく、というような内容です。(こんな説明で分かる人はスゴイ) いわゆる「セカイ系」っていうんでしょうか? 今Wikipediaで確認したら、監督の新海誠氏は「セカイ系」を得意とされているようなので、オレのこの表現はあながち的外れではないのかもしれません。




 なんというか、とにかく応援し続けた映画でした。声には出さないけど、ずっと、がんばれ!がんばれ!って叫んでた。たぶんこんなに誰かを必死で応援したこと、ここ10年くらいは確実に無かったと思います。朝持ってきた洗いおろしのハンカチは、劇中ずっと握りしめていたらしく、終わった時にはグシャグシャで汗で湿っていました。手は微妙に痛いし、なぜか足も踏ん張りすぎたときになる筋肉痛のような痛みがありました。オレにとって「君の名は。」とはそういう映画でした。


 だからこそ気付いたんです、オレは映画の主人公……瀧や三葉のような「当事者」ではなくなってしまったんだな、と。物語を追う時の感情は「ハラハラドキドキ」という擬音で表現されますが、ふりかえって、そういえば「ハラハラ」はしてたけど「ドキドキ」はしてなかったな、と思い至ったのです。オレは結婚もしてないし当然子供もいないし、コドモがそのまま大人になったような人間だ、と自分のことを捉えていたのですが、実はそれは微妙に変化していて、いつの間にか「見守る側になってしまった」のだと。
 たぶんオレが「あの出来事」に直面した時、やはり瀧や三葉と同じように走り回るし、死力を尽くすと思います。でもたぶんそれは互いのためとかじゃなく、社会正義とか、なぞの使命感とか、そういうもののためだと思うんです。(つまりオレはそういうメンドクサイ人間です) 彼らにもきっとそういう感情はあったと思うけど、それ以上に瀧は三葉を、三葉は瀧を思ったからこその行動だったんじゃないでしょうか。そういう様子を見たオレは、やっかみもひがみもせず、ただただ二人を応援してた。オレは「当事者」ではなく、その「当事者」を「応援する立場」に、とっくになってしまったんだな、と。



 別にさびしいとか悲しいとか、そういう思いは無いです。単にオレはそうなってしまったんだな、と思っただけです。それでいいと思うし。ただ、だからこそもう役割も動き方も意識して変えていかなくてはいけないのかもしれませんね。
 握りしめたハンカチが汗でびっしょりになるほど応援したい何かに出会えるのは、次はいつでしょうか。今後そういう「応援したいナニカ」を一生懸命探すことが、オレがこれからやるべきことなのかもな、と今にも雨粒が落ちてきそうな歌舞伎町の曇り空を見上げながら独り思いました。