ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

XP祭り2016で発表してきたことと「UX論は時代遅れなんじゃないの?」論に対する回答 #xpjug


(via:[2016/9/24(土)]“俺たちの!!” XP祭り2016へ参加してきました - 機雷がなんだ! 全速前進!)

はじめに

 先週土曜(9/24)は早稲田大学理工キャンパスで開催された「XP祭り2016」で、伊藤英明(@itow_ponde)さん、フジタジュンコ(@junko_fujita)さんと共に「巷にはびこる間違ったUX論へのヘイトをぶつける集い」という少々過激なタイトルの発表をしてきました。Twitterでの些細なやり取りをきっかけに企画がスタートし、以降5ヶ月ほどかけて準備を進めてきたものです。伊藤さんとフジタさんに肝心のコンテンツ作成をお願いし、オレが企画・スタッフさんとの調整・広報周り・当日の司会進行・敵情視察といった諸雑用を担当しました。本当に準備が楽しくて、雑談含め我々3人の間で交わされたメッセは実に2,300を超えていました。ずーっとゲラゲラ笑いながらヘイト集めに勤しんでいた我々は、もし端から誰かに見えていたら、ずいぶんと奇妙に映ったかもしれませんね。


 実際のセッションは結果として、過激なタイトルに反して真面目な内容におさまり、UXとUXデザインについてとても分かりやすく勉強になる発表に仕上がったと思います。この辺は伊藤さんの人柄によるところが大きいですね。司会進行役のオレでさえ、UXとUXデザインのことをまるで分かってなかったので、すごく勉強になりました。オレ個人としてはもっとエンタメに寄せるつもりだったので(終了後「タキガワさん、パンチ足りないんじゃないですか?」と及部くんにダメ出し食らった)、なかなか思い通りにいかないもんだなぁとは思いつつも、聴講者の皆さんにも内容自体は概ね満足頂けたようで本当によかったです。デレステのガシャをインスパイアした講師陣紹介や、月曜から夜ふかしネタも盛り込みましたが、この辺はまぁ自己満足ですね、やっていてとても楽しかったです。


 オレ自身、これまでXP祭りには何度となく参加をしてきて、多くの方からそれこそ浴びるように恩恵をいただいてきました。その恩に対し、伊藤さんとフジタさんという偉大なスペシャリストの力をめいいっぱい借りたとはいえ、こうやって一度でも報いることができた、XP祭りから受け取った恩をつなぐことができたのには、本当に嬉しく思います。また今後こういう機会があれば是非登壇させていただきたいですし、そのためにも、これからも日々精進したいと思います。


 今回はセッションの性質上、資料公開等は行う予定はありませんが、前半に行った「そもそもUXとは?」という説明については、伊藤さんが2015年に公開されている資料に同様の内容が掲載されていますので、そちらをご覧ください。



挑戦者現る

 さて、このセッションの数日前にこんな記事が巷に出回りました。概要をオレの方で簡単にまとめると、以下のようになるかと思います。


UX論は間違っているんじゃなくて時代遅れなんじゃないの?という疑問 - architecture_database

  1. 誰のためのUXなのか
    • 例)「退会」のルートをどのように作るのか
      • サービスを辞めたい時にストレス無くサービスから退会できるのが望ましい
      • 事業者からすれば素直に辞められてしまっては困る
  2. UXの時間射程
    • UXには時間の射程の違いによる価値観の違いが存在する
    • 例)ソーシャルゲームのガチャ&課金
      • ガチャをその体験だけ切り出せばよいUX
      • 何回もガチャを引いてしまい後で生活が窮困し後悔するユーザーも多く存在
  3. UXデザイナーの業務範囲に法律は含まれるのか?
    • 法律や慣習も機能使用や情報の構造に影響を与える
    • サービスと既存法制との接点も十分に検討すべき課題
    • UXデザイナーの業務はUXだけに限るのか
    • よりよいサービスのために法律や慣習まで業務範囲に含めていく必要があるのか
  • 結論:「UX論は間違っているのではなく時代遅れなんじゃないの?」
    • ユーザー目線だけで仕様を決められない時代になったけど、UXデザイナーさんはどこまで検討してくれるの?
    • 情報リテラシーの高くない一般の人にもアプリやwebサービスが普及
    • 他業種が法律によって守っていた部分にまで影響を与えるようになっている

 記事は、我々のセッションを名指しし、それを起点に文章全体としてUXそのものを批判するような内容になっています。はてブもそこそこ付いていて、SNS等でもかなり拡散されていましたので、結果的に我々のセッションの宣伝をしてもらった形の上にネタまで提供して頂けるとは、ずいぶん奇特な方といいましょうか、感謝しても感謝しきれないですね。ご本人はセッションにはいらっしゃらなかったそうですが、有り難くネタとして頂戴し、90分のセッション中20分程度しっかり時間をかけて扱いました。


 記事中では、提起した議題を我々のセッションで取り上げればそれで十分ではありそうでしたが、当人預かり知らぬところで好き勝手に批評したとあっては陰湿ないじめのようで後味が悪いですから、御礼も兼ねてセッション内で取り上げた記事への指摘を以下に記したいと思います。


 なお、本記事では、誤った内容を掲載しないよう公開前に他のお二人にもレビューしてもらっていますが、あくまでもタキガワ個人の意見として読んでください。本記事の関するご意見お問い合わせ等はタキガワ(@takigawa401)の方で承ります。

※9/27追記

 当初この記事を、特定の特徴を持つ読者層に絞った都合、過剰に読者を煽った言葉を使用しておりましたが、結果として適当でない(対象に刺さらない)様子だったため、他の方を不快にさせるのを避けるため削除しました。予告なく内容変更となりましたが、どうぞご了承ください。


誰のためのUXなのか

 要は「UXは金儲けの道具として使われていないか」「金儲けを優先した挙句にユーザーの利便性を無視してないか」という指摘なんですが、ビジネスである以上、お金をどうやって儲けるかは避けて通れない問題です。で、そういうことを考えるのはビジネスサイドの人間だったり、プロダクトオーナー(以下「PO」)だったりの役割です。UXデザイナーの職責からは外れます。


 UXデザイナーは、ユーザーに使いやすい仕組みを考え、ユーザーに良い体験をしてもらえるように提供する製品・サービスを設計するのが役割です。が、でも一方でPOからの要望に応えて企業として収益を上がられる製品・サービスを設計するのもUXデザイナーを含めた開発チームの役割です。その両者の間で最適解を見出そうとし、折衷案を出したり、あるいは一挙両得なアイディアを盛り込むことが開発チームに求められる働きになります。


 例に挙げられている「なかなか退会できない退会方法」なんかは、そもそもとして、その退会方法のせいで悪い噂が広まれば、長期的に見てそのサービスのイメージダウンの原因となり、後々の減益に、最悪の場合にはサービス終了に追い込まれるような事態にもつながります。発想があまりに短絡的で、ユーザーも自社事業もどちらにも貢献していない。この事例にそもそもUXデザイナーという職責の人が関わっていたかどうかは知りませんが、単に悪手なだけなので、UXデザインのせいにされてもなぁ、という気がします。


UXの時間射程

 この記事の著者の方は、どうもソーシャルゲームのガチャを目の敵のようにされているようですねぇ。ガチャはそもそもゲームデザインの範疇であり、UXデザインとは異なるというのがまず一点。なんとなくUXという言葉を雰囲気で使うのはやめましょう。

 UXデザインには、ユーザーがどのタイミングでその体験をするか、「期間」で考える視点があります。

  • 予期的UX
    • 利用前・非利用時
    • 体験を想像する
  • 一時的UX
    • 利用中
    • 体験する
  • エピソード的UX
    • 利用後
    • ある体験を内省する
  • 累積的UX
    • 利用時間全体
    • 多種多様な利用時間を回想する

 仮にソーシャルゲームのガチャがUXデザインの成果だったとして、記事の著者の方は、予期的・一時的UXは良いけれども、それを強調しすぎてエピソード的・累積的UXは揺り返しでマイナス面が強く出過ぎてしまっているのでは、と主張されたいのでしょう、おそらくは。(UXデザインじゃないから違うんですけどね)
 ただ、本来のソーシャルゲームでガチャを導入した狙い自体は、別にユーザーを不幸にすることを前提に設計なんかされてませんよね。

  • 予期的UX
    • お気に入りのキャラ等が手に入ることを想像する
    • ゲームを有利に進められるようになることを想像する
  • 一時的UX
    • 狙ったキャラ等が引けるかどうか、ドキドキ
    • 手に入らない悔しさ
    • 手に入った時の嬉しさ
  • エピソード的UX
    • お気に入りのキャラ等が手に入る
    • お気に入りのキャラ等を他者に自慢できる
    • ゲームを有利に進められるようになる
  • 累積的UX
    • ゲームを楽しく遊べる

 UX=User eXperienceは、響きからして意識高い系(笑)に好まれそうな用語ですが、実のところ単なる「体験」に過ぎません。「体験」なのだから、UX自体は何をしても……むしろ何もしなくても必ずそこにあるものです。良いUXも悪いUXも、大きいUXも小さいUXも、イケてるUXもイケてないUXも存在しない。ただの「体験」。これを説明するものとして、以下のイラストは非常に分かりやすいです。


『UIってUXのスゴイ版なの?』- わだちゃんが聞くよ! by インターリンク株式会社


 繰り返しますが、UXは「体験」です。ユーザーの体験自体をサービス提供者はコントロールはできません。なぜなら、「体験」は、提供されるサービスが同じであっても、そのサービスを利用するユーザーの体格・性格・体調・利用時間・趣味・家族構成・所持金・etc……ありとあらゆる要素で変化するからです。


 例を上図で挙げてみます。
 一番上の、猫に柱を与えると爪とぎをしてスッキリ、という例の場合、ユーザーがストレスMAXな猫で、与えた解決方法が柱、その結果として爪とぎでストレスを解消できたという体験を得ています。もしこの例で、ユーザーが散歩中の犬なら、柱はトイレとして使われるでしょうね。
 上から二番目の例では、ユーザーがこごえる猫で、与えた解決方法がコタツ、その結果、猫は暖まってヌクヌク気持ちよくなるという体験を得ています。もしコタツのユーザーが真夏の猫だったら、きっと猫は見向きもしないでしょう。


 UXデザインとは、特定の状況におけるユーザーが、おそらくこういう体験が得られるであろうことを狙って、その仕掛けを設計すること、と捉えることができます。「体験の再生産」とでも言えばいいでしょうか。「体験」そのものはコントロールできない、ただ、とある「特定の状況のユーザー」であればこの製品・サービスを使えばおそらくこういう体験ができるはずだ、とその仕掛け自体は用意することができます。そのために「特定の状況のユーザー」について調査し、仮説を立て、検証することで、その「特定の状況のユーザー」が狙った「体験」をおおよそ得られるようにすること、がUXデザインだというのがオレの理解です。

 ソーシャルゲームのガチャについても同様で、あえてUXデザインと捉えた時(何度も繰り返しますが、ソーシャルゲームのガチャはゲームデザインの範疇でUXデザインではありません)、「その後の生活苦を考慮しないほどガチャを回す」ような性質を持った人を想定して設計されてない、というだけなんじゃないでしょうか。


 物やサービスの価値はその時その人そのシチュエーションで全く異なります。
 全く同じビールでも量販店・居酒屋・野球スタジアムで買うのではそれぞれ値段が全て異なりますが、ビールが飲みたい人は皆お金を払って飲みます。極端な例では、好きなだけただで飲める給水器のそばで100円のペットボトルのミネラルウォーターを売っても全く売れないでしょうが、炎天下の砂漠のど真ん中であれば1万円であってもミネラルウォーターを買う人はいるはずです。味や品質は全く同じでも、場所やシチュエーションによって物の価値が異なるからです。


 ガチャに関しても同様で、ガチャを回した人それぞれに状況が異なり、感じることが違ってくるはずです。1円でも払いたくないから無料で続ける人がいる反面、自分の好きなキャラに多額を支払うことになってなお運営者に対し感謝を叫ぶことができる人もいます。
 自分で必死で働いて稼いだ金なんです。自分の責任の範囲で好きに使えばいいじゃないですか。それがガチャだったらなぜ悪いのかがオレには分かりません。



 ガチャに対して「カネを支払ったのに欲しいものが手に入らないなんておかしい!」という人もいますが、そりゃクジなんだから当たり前でしょう。そこまで含めて含めてゲームデザインです。それが嫌ならやらなきゃいいだけです。


 蛇足ですが、このように言うと「実際に生活が窮困するほどガチャを回して後悔する人はたくさんいるじゃないか」という反論が脊髄反射で返ってきそうですが、オレはそれに対して「CLRがなってない」とだけ答えると思います。CLRについては本記事のテーマから逸れるため、ここでは触れません。以下の記事をご参照ください。


ジレンマ解消! TOC思考プロセスの基本を学ぶ(4):ジレンマを解くツールの使い方を詳細に学ぼう (3/3) - MONOist(モノイスト)


 XP祭り2016の他のセッションでは「大人とは、自分で責任を持って行動できる人のことだ」という発言をされた登壇者がいらっしゃったようです。オレもこの意見に全面的に賛成です。ガチャ回しすぎて生活が窮困しようと、それは大人なんだから自分の責任の範囲で遊べばいいんです。それができず自分で勝手に自爆して自らを省みず後で逆恨み的にサービスを呪うような「大人ではない何か」のことなんか、オレは知りません。


 ソーシャルゲームのガチャにつきまとう、確率不正表示問題、コンプガチャ問題、未成年者利用の問題だったりは、認証や企業倫理、法整備などの問題であって、UXデザイナーの範疇ではありません。
 また、それはよく問題に取り上げられるガチャ中毒の問題も同様です。個人的な実体験を踏まえると、あれはパチンコ・パチスロ中毒に限りなく近しい症状といえるでしょう。であれば、UXデザインがどうとかと言った小手先の対処ではなく(UXデザインで対処できるものでも無いと思いますし)、業界団体のリテラシーガイドラインで規制したり、法整備でガチャそのものを規制したり、あるいは医療分野との協業で解決策を見出すべきものなんじゃないかと思います。


 ユーザーが見れたり触れたりすればそれが全てUXデザイナーのテリトリーだ、と勘違いするのも分からなくはないです(実際オレも教わるまで勘違いしていました)が、職責範囲の切り分けが適切にできてないだけ、なんでもかんでも見て触れればUXデザイナーに責任を押し付けようとするのは暴論というものです。

※9/27追記

 ガチャに限らず、提供サービスにユーザーを不都合や危害を加えるような要素があった場合、開発チームはPOにそのリスクを指摘する義務が生じます。UXデザイナーが開発チームの一員であった場合も、リスク指摘は必要です。
 その後、その機能を取り下げるのか、デメリット表示を行い注意喚起を促すのか、POの指示でUXデザイナーが別の施策を打つのか、いづれにせよ次のアクションを決めるのはPOの責務になります。
 UXデザイナーの職責範囲ではないというのは、あくまでその意味であり、サービス提供者がユーザーに危害を加えるサービスを放置していいわけではないです。(放置してもいいかもしれないが、その場合はサービス自体が何らかの外圧で継続困難になると思われます) 説明が不足しておりましたので、ここに追記させて頂きました。


UXデザイナーの業務範囲に法律は含まれるのか?

 オレはこれが一番腹が立ちました。いくら無知だからとて、言って良いことと悪いことがあるが、これは悪い例の最たるものです。あまりにも「法務」という仕事やそれに携わる人をバカにしすぎている。企業付きの法務担当者や弁護士さんが、いったいどれほどの勉強を積み重ね、どれほどの時間や労力を費やしてその業務に取り組まれていると思っているんでしょう。それをUXデザイナーや他の職務に携わる人が、片手間で出来るような内容だとでも思っているんでしょうか。失礼にもほどがある。
 反面、UXデザイナーのこともバカにしている。UXデザインという職務を、やはり片手間で出来るようなものだとでも思っているんでしょうかね。でなければこんな他人の仕事をまるで尊重してない発言が出る訳がない。


 もちろん業務を行う上で、法律や商習慣の知識はあった方がいいでしょうし、その方が物事は早く進みます。ですが、UXデザインはそれ自体が非常に大変で専門的な役割であり、だからこそUXデザイナーはUXデザインに注力すべきでしょう。専門外のところまでフォローしようと思ったら、1日24時間どころか72時間あっても全然足らなくなってしまう。法律や商習慣、業務の細かな内容の確認は、それぞれのスペシャリストに任すべきです。だからこそ我々はチームを組み、協業して製品やサービスを開発するのです。


 もしUXデザイナーがそれらに職責を追うとすれば、法律・商習慣等について確認するフェーズを開発プロセスに適切なタイミングで取り入れたり、各スペシャリストといつでもコミュニケーションが取れるような体制や関係性を作る、といったところまでになるんじゃないかと思います。


 オレは普段はシステムエンジニアという立場で働いているのですが、この話を読んで「これはエンジニアにも結構頻繁に起こることだな」と感じました。「フルスタックエンジニア」というバズワードが出回ってますが、「業務も法律も全部把握しとけよ。システムエンジニアなんだろ?」とかいう暴論はけっこうあります。「エンジニアなんだからFAXも直せるでしょ」っていう有名な画像素材が頭をよぎりました。



(via: 「エンジニアなんだからFAXも直せるでしょ」と言われる|フリー写真素材・無料ダウンロード-ぱくたそ)


 ユーザー企業付きの出向SEさんの中には、ユーザーよりも詳しく業務を知っている方が往々にしていらっしゃいますが、彼らとて一朝一夕で出来るようになったわけではなく、何年も何年もその企業に張り付いて多くの失敗を重ねながらその領域に達しているのです。みんながそれをすぐできると思っちゃいけないですね。


UX論は間違っているのではなく時代遅れなんじゃないの?

 前提となるUX・UXデザインに対する知識・認識が間違ってるので、時代遅れもクソもないですね。


 それはそれとして、UX・UXデザインが2016年9月末現在ですでに時代遅れであっても、オレは別に全然いいと思っています。もっと現代の製品・サービス開発に沿った考え方があるなら、それを採用すればいいと思うし、何もUX・UXデザインにしがみつき続けることもないでしょう。また、もともとUX・UXデザインが学術の分野から出てきた考え方であることを鑑みると、すでにどこかの大学で実際にそれらに置き換わる何かを考えている方がいらっしゃる可能性は高いと妄想しています。
 ただ、それら新しい考え方が仮にあったとしても、現状定着していないということは、未だもってUX・UXデザインが最有力であり、それらへの理解を深めて自分のものにしていく、あるいはさらに踏み込んで進歩させていくことが、正しいものづくりをしていく上では、愚直ながらも着実な道と言えるんじゃないでしょうか。ちょっとウマが合わないからって全部ダメだ!というのではあまりに乱暴ではないですかね、何事においてもちょっとずつ折り合いをつけていくことが、オレは大事だと思います。


総括

 今回の我々のセッションでは、巷に蔓延る間違ったUX論……UX・UXデザインの誤った捉え方をいくつか紹介し、聴講者に理解してもらった上で、一番最後に冒頭の記事に書かれた内容を確認するような流れを意図的に取りました。そうすることで、最後にこの記事を確認した瞬間に聴講者全員が「あーーー、これ明らかに間違ってるわ」と気づいてもらえるような設計でセッションを組み立てたのです。その狙いはある程度成功したと思っています。
 今回我々は、まさにこういう記事が出回っているがために、このセッションを行いました。そういう意味ではまさしく「カモがネギ背負ってやってきた」状況だったわけで、ありがたく骨の髄までしゃぶらせていただきました。


 セッション最後の総括で講師のお二人から出た意見ですが、なぜ誤ったUX論が巷に蔓延るのか、おそらく以下の2点が原因じゃないかとのことでした。

  • 日本語読解能力・日本文章作成能力が不足している
    • 日本語が不自由だから文献に書いていることを曲解したり自分の都合の良い様にねじ曲げてしまう
    • 日本語が不自由だから正しく文章でUX・UXデザインを表現できず、誤った記事をWebに投棄してしまう
  • 本を読まない
    • Web記事で間に合わせてしまう
    • ブログやまとめ記事はちょろっと確認する分には便利
      • 専門家のチェックを経ていないので、間違っている内容が掲載されているケースが往々にしてある
      • ちゃんと専門家のチェックを経ている文献は書籍ならきちんと存在する
    • サボらず金を惜しまずちゃんと勉強しろ

 ……まぁその通りですよね、グウの音も出ないです。オレもこれを自戒とし、横着しないで勉強したいと思います。


 ITエンジニアの立場で今回のようなUXやUXデザインの話を聞いていると、それって数年前にアジャイルでもあったなぁ、というような内容がいっぱいありました。それでもアジャイルに関しては、かつてよりはだいぶ浸透してきて、結果解決できてきたものもありますし、浸透してきたからこそ新たな誤解も生じてきています。UX・UXデザインも同じような道を歩いている最中なのかもしれません。


 まぁ、だから、つまり、その、世界ってのは、そうやって間違ったり誤解されたりしながら、でもちょっとずつ進んでいくもんなんじゃないなぁ、と個人的には感じました。もしかしたら今回我々が取り上げたような「間違ったUX論」は、数年後には「そういえばそんなこともあったね」と笑い話になったりするのかもしれませんね。


 そういう意味では、今回のセッションをアジャイルのイベントであるXP祭りで出来たことは、とても意味があったんじゃないかと個人的には思っています。みんなで切磋琢磨して、正しい知識と手法を携えて、ものづくりに取り組んでいける様になりたいですね。