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ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之四:ロープウェイ

四国八十八か所参り

第十三番札所:大日寺

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 6:20起床。うっかり寝過ごしてしまった。寝心地の良い布団と環境とは、圧倒的な正義だが、時に暴力である。
 神山温泉を出ると、最初は上り坂。神山温泉が谷間にあるからだ。あっという間に汗をかく。が、この道は昨日、焼山寺に向かう時に通った道。基本的に下り坂ばかりになる。上り坂でたっぷり汗をかかされた後、朝の寒空を猛スピードで自転車で坂を下るとどうなるか、おわかりいただけるだろうか。


 大日寺自体は細い道が大きくカーブするその脇にある。交通量が割合多いのにカーブにあるものだから、危なっかしくてしょうがない。ただまぁ、そもそもそのカーブができた理由が、おそらく「道を大日寺が避けたから」なのだろうが。

第十四番札所:常楽寺

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 寺の境内に剥き出しの岩がゴロゴロしている。おそらくこういう意図でデザインされているのだろう。お遍路さんの多くは老人なので、彼らには優しくないな、と個人的には思わなくもないが。


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 寺に着くとちょうど団体のツアー客が一斉に般若心経を読経していた。たとえ素人とはいえ、これだけの人数が一斉に読経しているのを聞くのは、なかなか壮観である。


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 たまたまなのか、昨日焼山寺で見かけた老人に、またここで出会うことになった。おそらくはオレと同じ順打ちなのだろう。老人の歩き遍路で自転車のオレに追いつけるわけがないから、おそらくは車で回っているのだと思われる。それにしても彼の詠唱は朗々としていて素晴らしい。

第十五番札所:國分寺

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 本堂が立て直し中で、仮本堂が設置されていた。仮本堂とはいえ、十分立派なものだと思うが。


 ここでも団体客に遭遇。納経所に行くと、案の定ツアーコンダクターとおぼしき人物が、大量の納経帳をカウンターに積んでいた。オレも自身の納経所を手にその様子を眺めていたら、受付の人が団体客のを差し置いてオレの納経帳に優先して御朱印を授けてくれた。どうやら団体客より個人客を優先させるというルールになっているらしい。でないと個人の人いつまで経っても次行けないもんなぁ。

十六番札所:観音寺

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 次第に天気が晴れて、暖かくなってきた。こんな日ばかりでないのは知っているのだが。
 徳島の道路は、歩道が広くて段差が少なく、とても走りやすい。のに人が徒歩で移動することが基本無い(車社会だ)から、自転車が走るには都合が良い。オレは東京では安全のため自転車では車道を走るようにしているが、徳島では自転車は歩道を走った方がみんな幸せになれる気がする。

第十七番札所:井戸寺

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 途中で見つけた徳島の電車。2両編成。オレは電車マニアじゃないけど、なんとなく親近感があって撮ってみた。たぶんオレの地元の電車と同じ車両編成だったからじゃないかな。


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 自転車のタイヤがいよいよ不安になって、たまたま通り掛かった自転車屋に飛び込む。その店はいかにも「街の自転車屋」といった風情で、腰の曲がった老人が一人でやっているボロボロの店だった。ダメで元々、のつもりで尋ねたが、やはりこの店にはクロスバイク用のタイヤは無いらしい。かわりに老人は、オレの自転車を見てくれそうな店を教えてくれた。老人の店から1kmと離れていないとのこと。多少遠回りだが、自分の自転車に不安を感じながら走る苦痛に比べればなんてことはない。
 そして実際にたどり着いたのが上の写真の店。本格的な自転車ショップで、店員さんがとても丁寧に応対してくれた。後輪タイヤの交換だけでなく、空気の入れ方(量・タイミング)の目安を教えてくれ、さらに前輪ブレーキ交換の必要性を指摘してくれた。せっかくなのでブレーキ交換も行ったが価格が東京:三軒茶屋で行った時の半額程度だったことに驚いた。(交換したブレーキ部品のグレードは一緒) こんな店が近所にあればなぁ、とつくづく思う。

会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之三:最初の遍路ころがし

四国八十八か所参り

第六番札所:安楽寺

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 宿坊にて6時起床。起きたというより、周りが出発の準備で騒がしくなったことで起こされた。あと30分は寝ていたかったのだが。


 お遍路では納経所での御朱印の提供は朝7時から始まるらしい。さすがにそんなに朝早くからやってないだろうと半信半疑で向かうと、本当に受付の人が準備万端で待っていた。お遍路恐るべし。


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 空はまだ暗いが、お遍路さんの朝は早い。第七番札所に向かう途中、この旅で初めて歩き遍路の方と何人かすれ違った。安楽寺に向かっているということは、逆打ちをされているということだろう。逆打ちについてはまた後ほど。

第七番札所:十楽寺

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 次の札所にはあっという間に着いた。こちらもすでにお参りされている方が数人。いまいち眠くて唱える般若心経がおぼつかない。


 般若心経を唱えながら頭をよぎったのはデレステの譜面だった。お経を唱えるのとデレステは共通項があるのかもしれない。体調に左右されたり、難しい課題のポイントで毎回つまずいたり、逆に難しそうなのにサラッとクリアできるポイントがあったり。Cygamesが般若心経の譜面を起こしたら案外オレと同じことを感じてくれる人がいるかもしれない。そしたらどのアイドルが読経するのだろうか?本命で依田芳乃か小早川紗枝神崎蘭子ってところだろうか。


 なんてくだらないことを考えていたら、水筒を安楽寺の宿坊に忘れていたことに気づく。急遽逆走。


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 暦は12月なのに徳島は暖かい。オレの故郷の長野県ならとっくに霜が降りていてもおかしくない。稲刈りが終わった田んぼには、時折ピンクの綺麗な花が咲いていた。故郷にいた頃は花なんて見慣れていたのに、それを見て心惹かれるようになったのは東京に出てきてからだと思う。そんなわけでオレには花の名前は分からない。たぶん食べられないとは思う。

第八番札所:熊谷寺

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 「くまたにじ」と読む。「くまがい」ではない。駐車場につくと地元の方とおぼしき老人たちが井戸端会議をしていた。なにもこんな朝早くに集まってだべってなくてもいいのに。


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 空は昨日と打って変わり、見事な快晴。自転車で走っていると、とても気持ちが良い。

第九番札所:法輪寺

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 法輪寺の前では托鉢の方を見かけた。服装はお遍路さんと同じなので、僧侶かどうかは分からない。そういえば、托鉢には免許が必要、とどこかで読んだことがあったが、彼が免許持ちかどうかはさすがに分からなかった。

第十番札所:切幡寺

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 このお寺は山の上の方にあるので、散々登り坂を登った上、駐車場から333段の階段を上がらなくてはいけない。なかなかしんどい。境内では先客の老婆が朗々とご真言と般若心経を唱え、軽快に石段を上り下りしていた。あんなかっこいい老人になりたいものだ。毎日この石段を上り下りしていればあんな老人になれるのだろうか。

第十一番札所:藤井寺

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 オレが到着してしばらくして団体客がやってきた。おそらくバスツアーなのだろうが、ビックリしたのは納経所。女性が20冊はあろう納経帳の束を受付に積み上げていた。おそらく彼女はバスツアーの添乗員で、全員分の御朱印を代理してもらっているのだろう。なんか情緒がないけど、そういうものなんか?

第十二番札所:焼山寺

 ここから次の焼山寺までは「遍路ころがし」と呼ばれる、四国八十八ヶ所参りでも有数の難所だ。歩き遍路なら15km程度だが、車や自転車では40km近く大回りすることになる。登る標高は変わらないので、どちらを通っても急勾配には必ず出くわす。つまり、自転車が最も不利なわけでして。


 はじめの10kmくらいは比較的平坦で、自転車でも問題なく移動できる。辛いのはそこから30kmが全部上り坂ということ。


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 周りは見渡す限りの山。前述の通り四国は暖かいが、標高が高くなれば紅葉も幾分進んでいる。晴れているので景色は美しいが、残念ながらそれを愛でている余裕はない。


 しばらくして上り坂のコツをなんとなく掴む。一番軽いギアに入れること、進むスピードよりも息や足に苦痛が出ないことを優先すること(それでも自転車を押して歩くより早い)、あまり前を見ず、5m程度前を見ること。あまり先を見すぎると続く上り坂に絶望しかしないので、一歩一歩前に進むことだけを優先する。どうしても辛くなったら躊躇なく休んだり自転車を降りて押して歩くこと。長旅なのだ、無理して最後まで完走できない方がよっぽどまずい。
 こうやって書くと、なんだか人生の教訓みたいだ。お遍路とは人生である、知らんけど。


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 道中で見かけた変な人形。4K動画祭とか看板があった気がするが、調べてる余裕はなかった。


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 残り12kmほどの位置にある道の駅:神山。ここで休憩がてら昼飯。なんとなく頼んだ天ぷら蕎麦は、蕎麦については信州人の端くれとして及第点を与えることはできないが、野菜の天ぷらはとても美味しかった。どうも四国は香川に限らずうどんの方が美味しいらしいので、うどんを食っておけばよかったと後から後悔。
 一時間ほど休憩するついでに、昨日の雨で浸水したトレッキングシューズを乾かす。スニーカーと違って走りながら乾くということが一切ないので、ここまでなかなか不快だった。もちろん完全に乾かすことはできなかったが、幾分はマシになったと思う。


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 道中見つけた野生の猿。道端の柿を狙っていたらしいが、オレが来たことですっかり臨戦態勢に入ってしまった。とはいえ、臆病らしくて襲ってくるようなことはなく、遠巻きにオレのことを眺めているようだった。


 ここでマシントラブル。全然スピードが出ないと思ったら後輪の空気が全然入っていなかった。仕方なく広めのスペースを道端に見つけ、急遽荷物を下ろしタイヤをチェックする。すると、なんと細い2cmほどの針金が後輪のタイヤに刺さっていた。これが原因でパンクしたのだ。針金を抜き、チューブをタイヤから引きずり出してパッチを当て、空気を入れ直す。
 なんとかパンクの修理をすることはできたが、実際に乗るとどうも後輪がグニャグニャする。おそらくは修理でタイヤをホイールから剥がした際に無理に力をかけたので、タイヤ自体の劣化が進んでしまったのだろう。今回の旅では事前にパンク対策はしっかり行っていたが、残念ながらタイヤにまで気が回らなかった。東京を出る前に交換していれば……。
 悔やまれるが、今更どうしようもない。しばらくこのままでやり過ごして、大きな都市に出た際に自転車ショップを探してタイヤ交換をするしかなさそうだ。運転していると後輪がずれる感覚があるので、これまで以上に気をつける必要ができてしまった。

 一時間ほどのタイムロスは痛かったが、仕方ない。修理で真っ黒になった手で再び坂の上を目指して自転車を押し始める。


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 途中「杖杉庵」という遺跡を見つける。
 なんでもその昔、衛門三郎という欲深い男が托鉢に来た弘法大使様に腹を立て、鉢を叩き割ってしまったが、翌年から自分の子供が次々と病死するのを見て後悔し、弘法大使様を追いかけてお詫びを言おうとしたそうな。衛門三郎は20回お遍路を回ったが弘法大使様に会えず、21回目で逆回りにお遍路を回り、ついに力尽きて倒れたところに弘法大使様が現れたという。衛門三郎が最期に弘法大使様に会え、息を引き取ったのが焼山寺近くの「杖杉庵」だと言い伝えられているんだそうな。
 以上、ガイドブックからの引用終わり。


 というわけで、四国のお遍路には、一番札所から時計回りにお参りする「順打ち」と、逆に回る「逆打ち」がある。お遍路は順打ちを想定して道が整備されており、逆打ちはと比べて非常に困難である。衛門三郎が逆打ちで弘法大使様に会えたという伝承も相まって、一般的に逆打ちは順打ちよりご利益がある、とされている。一説には逆打ちは順打ちの3倍ご利益がある、と言われているそうだ。閏年の年はそれがさらにボーナスタイムで、もっとご利益があるらしい。昔、逆打ちで死者を蘇らせる「死国」という映画があったが、今考えるとちゃんとお遍路のこと調べて作ったのか怪しい気もする。ホラー映画が嫌いなオレは確認のために敢えて見たいとはかけらほども思わないけど。


 最後の5kmはひたすら急勾配の上り坂。とても自転車に乗っていくことはできない。息も絶え絶えにひたすら自転車を押して歩く。ここの道程はあまりに辛すぎて思い出したくない。


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 第十二番札所:焼山寺に着いたのは16:30。ギリギリだ。納経所の受付の方と話すと、自転車でここまで来るのがやはり一番シンドイらしい。さもありなん。


 疲労困憊すぎてとてもテント泊をやれる気になれなかったので、昨晩に引き続き宿を探す。ここに来る途中通り過ぎた場所で、第十三番札所:大日寺への道の途中になるところに、神山温泉という温泉宿を見つけた。電話したところ、飛び込みでもOK、一泊二食付きで11,000円弱とのことだった。正直この出費は痛いが、今のこの疲労を引きずるわけにもいかないので、今晩はここを宿にすることにした。


 宿への道中は今必死で登ってきた坂を一気に下ることになる。日中明るければそこそこ楽しかっただろうが、17時を過ぎれば日は完全に落ち、気温は一気に下がっている。当然道に外灯はない。相当なスピードが出る下り坂を闇夜の中二輪車で走る恐怖がわかるだろうか? 「この長い長い下り坂を いっぱいの荷物を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱいにぎりしめて もマッハでマッハで下ってく」などと「ゆず」の名曲の替え歌を考えてたら、危うく道路のわずかなくぼみに引っかかって吹っ飛ぶところだった。もしバランスを崩していたら、確実に死んでいただろう。無事に宿にたどり着け温泉と暖かい料理にありつけたことは、弘法大使様のお導きというほかあるまい。

会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之二:徳島到着

四国八十八か所参り

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 7時起床。フェリーと言うのは思いの外揺れるということに気づいたのは、床に入った後だった。船自体の揺れもさることながら、エンジン音もかなりのもので、どうしても落ち着いて寝られない。おかげで浅い睡眠しか取れず、夜中ちょいちょい目を覚ますことになった。過去に深夜高速バスも体験したが、どうもオレはこの手の類を寝床にするのが苦手らしい。割とどこでも寝てしまう図々しさを持っていると自認していただけに、まさかの自らの繊細さに呆れている。これからの道中、果たして大丈夫なのだろうか?


 ロビーに出て窓の外を見ると、どちらを見ても大海原が広がっていた。携帯電話もPocket WiFi圏外。どうやらかなり沖合らしい。7時に起床したのは、日曜日の習慣にしている「がっちりマンデー」を見るためだったが、地デジの電波も入らないようでテレビを見ることが叶わなかった。展望デッキも8時まで開放されないらしく、全くやることが無い。仕方なく簡単に朝食を済ませ、さっさと朝風呂に入って身支度を整える。


 電波の入らない携帯電話を「文鎮」に例えた人がいたが、個人的には文鎮よりタチの悪い存在だと思う。携帯電話をちょいちょい見る癖がついてしまっているせいで、電波が入らない=全く使えないと分かっていてもついつい目をやってしまう。まるで呪いだ。ジョジョ4部に出てくるチープトリックのような鬱陶しさを感じた。旅に出る直前にジョジョ4部の録画をまとめて見たせいでそう感じたのかもしれない。


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 8時になると展望デッキが開放されていたので、早速カメラ片手に上がる。幸い天気は快晴。フェリーのスピードが速いので風は感じたが、波は穏やかで落ち着いている。やはり旅に出る直前に見た映画「この世界の片隅に」の序盤で、瀬戸内の海に立つ白波を「海の上を白ウサギが跳ねる」と表現していたのをふと思い出した。もしかしたら「因幡の素兎」の伝説も、そんな様子を見た誰かから始まったのかもしれない。幸か不幸か白波が立つほど海は荒れていないが、海の上を白ウサギが跳ねるその様を一度見てみたいものである。


 フェリーが徳島に着くのは13時過ぎの予定。相変わらず暇。しかしよくよく考えてみれば、本当に全くすることが無いほど暇、というのは、数年ぶりかもしれない。なにかしら暇があったとしても、自宅であれば本も漫画もあるし、テレビもある。インターネットにもつながるし、外をブラブラすることもできる。船上ではそれらが一切ない。「ハチミツとクローバー」という漫画に、期せずしてカシオペア寝台特急に乗った女性が「みんなこの時間をお金を出して買うのね」という台詞を言うシーンが思い出されたが、生来せわしないオレにはまだ退屈を金を出して買う気にはなれない。もう少し年を重ねれば、こういう時間が欲しいと思うようになるのだろうか。


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via. http://www.geocities.jp/ikura13tsubu/hatikuro51-60.html


 そういえば、仕事用のノートPCを持ち歩かない生活も実に4年ぶりだ。一昨日まで従事していた案件では、24h365日の運用保守を実質一人でやっていたから、基本的にも応用的にもノートPCとPocket WiFiが手放せなかった。駅のホームや路上、居酒屋で障害対応したことは数知れず、ライブで訪れた日本武道館の正門前でノートPCを開きながら関係各所に電話をかけまくっていたこともあった。
 1日でも早くそんな立場から脱出したかったし、辞めたらせいせいするだろうと思っていた。が、実際のところ、未だ席は案件にあることもあってか、手元に障害対応できる道具が無いことに若干の不安を覚えている自分がいる。引き継ぎをしてきた仲間たちを信じていないわけじゃもちろん無い。が、自分一人でなんとかしなくちゃいけない状況が長く続いてきただけに、慢性的な職業病に罹患してしまったのだろう。実に良くない。
 業務システムの開発者として、運用保守を経験していることがどれだけ大事かということを、この4年間で思い知った。それがなければオレは運用保守まで考えて開発をすることをないがしろにしていたかもしれない。貴重で得難い体験だったとは思うが、もうちょっとイージーモードでも良かったんじゃねーの?と思わなくも無い。


 雲行きが怪しくなってきたので天気予報を見る。どうやら九州と四国は昼過ぎから雨になるらしい。なるほど最悪の出だしになりそうだ。徳島港到着まで2時間ほどあるが、急ぎ雨天用の準備をし始める。この旅は基本野宿のつもりだったが、今日だけは宿を取らないといけないかもな。

徳島港

 フェリー着港&下船。案の定徳島は雨。想定以上に降っており、降りてすぐに合羽を着込む。ここから一時間ひたすら土砂降りの中、第一番札所を目指す。写真?撮ってる余裕なんてなかったっつーの。

第一番札所:霊山寺

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 やっと四国八十八ヶ所参りの入り口に立つ。寺の境内はオレと同じお遍路さんと思しき人たちで溢れかえっていた。ツアー客が観光バスで参拝していたのが原因らしい。お遍路って、そういうもんなのか?


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 霊山寺の目の前にある売店で、お遍路に必要なものを一通り揃える。御朱印をいただくための納経帳、数珠、般若心経が書かれたミニ教本、袈裟と同じ意味を持ち首からぶら下げる輪袈裟。輪袈裟は紺地に金色の文字で般若心経が刺繍されたものを選んだ。なんだか年甲斐もなく中二病を発症しそうだ。
 本当は白衣や金剛杖、納め札など、他にも必要なものがいくつかある。が、荷物が満載だったこともあり、最小限に留めた。他はともかく納め札を買わない=納めないのはマナー違反なんだろうが、短期間に自転車で巡る都合、弘法大師様にはどうか勘弁していただきたいところ。


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 お参りは、大師堂と本堂でそれぞれ般若心経を一度ずつ読経。本当は他にもいろいry。


 お参りを済ませ、納経所で御朱印を頂こうとすると、所内が人で溢れかえっていた。御朱印待ちの列に並びながら観察していたところ、この第一番札所には「満願証」という、お遍路を全て回りきった証がもらえるらしい(たぶん1枚1,000円)。その人たちと御朱印をもらう人がそれぞれ並んでいたために、列が伸びてしまっていたようだった。お遍路20回目、なんて人も中にはいたから驚いてしまう。よくそんなに回れたもんだ。……たぶん車で回ったんだろうがな。

第二番札所:極楽寺

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 第一番札所から5分ほど自転車を漕ぐとあっという間に到着する。霊山寺と比べると参拝客はとても少ない。やっぱり第一番札所だけが混む傾向にあるのだろう。

第三番札所:金泉寺

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 こちらもやはり自転車で5分ほどでたどり着くことができた。参拝して自転車に戻ると、ご老人が近づいてきて「自転車でお遍路をやっているのか?」「泊まるところはどうするんだ?」と聞いてきた。いや、正確には、聞いてきたようだった、というべきだろうか、歯がないのかもごもごと発音がはっきりせず、はっきりと聞き取れないのだ。オレはなんとなく察して「その通り、自転車でやっている」「宿はまだ決めてない」という旨を答えると、老人は指で6を示した。どうやら第六番札所に行けという意味らしい。その意味がオレに理解できるのはもう少しだけ先の話だが、ここでは老人に礼だけ言って次の寺へ出発した。

第四札所:地蔵寺

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 地蔵寺は第三番札所からやや離れた場所にあり、かつアップダウンの激しい道を走ることになる。今回は野宿も想定してかなり重装備で来たため、なにせ荷物、特にリアのキャリアが重い。たぶん合計で20kgくらいにはなるかもしれない。この状態で走ると、なんでもない緩やかな坂が突然心臓破りの坂に化ける。とにかくちょっとした坂でも全く進まなくなる。仕方なく降りて手で押して進むことになるのだが、降りても荷物の重さは変わらないので、以前息がきれる道程が続く。さらには足への負担も大きく、一度は両足のももの筋肉が攣ってしまい、しばらく一歩も動けなくなってしまった。地蔵寺の手前1kmは上り坂で、攣った両足でこの坂を自転車を押していくのは本当に辛かった。
 なんとか地蔵寺にたどり着いた時には閉門間際の16:45。先に御朱印をいただき、急ぎ納経を済ませた。

第五番札所:大日寺

 地蔵寺を出発すると、今まで必死で自転車を押してきた坂を、今度は一気に下っていく。自転車乗りというのは上り坂が好きな生き物らしい。下り坂を一瞬で駆け下りる快感は必死で登りきった自転車乗りへのご褒美なのかもしれない。もっとも、オレは「なんであんな必死に登ってきたのに、下る時は一瞬なんだろう」と諸行無常を感じるタイプである。坂なんて大嫌いだ。


 そんなわけで大日寺には、1km以上離れているにも関わらず、地蔵寺を出発してわずか5分弱でたどり着いた。納経所では御朱印をくれた係りのご老人がやはりオレの今晩の宿を心配してくださった。雨が降っているのでさすがにオレも野宿をする気はなかったが、まぁなんとかなるだろうとタカをくくっていたのは間違いない。そのせいでこの後とんでもなくひどい目にあう。


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第六番札所:安楽寺

 まずは第六番札所まで移動。距離はそれなりにあるが、道は平坦なので20分ほどでたどり着くことができた。この時点で時刻は18時ちょい前、当然お寺は閉門している。日中は雨降りとてそれほど寒くはなかったが、日が落ちた瞬間から一気に気温が下がった。顔や手に当たる大粒の雨がまるで氷のようだ。
 ここから宿を探そうと、工場の軒先でiPhoneを取り出すが、宿が全くない。そもそも近くに宿がないし、半径20kmまで範囲を広げても空いている宿がひとつもない。自分の無計画さに途方に暮れていると、たまたま先ほどの第六番札所に宿坊があり、有料で泊めてもらえるとのこと。ダメ元で電話をするとご婦人の声で「食事は無理だが素泊まりであれば」と承諾してくれた。急ぎ道を戻りコンビニで食料を調達して第六番札所に向かう。


 到着すると、ちょうどこれから夜のお勤めを行うという。宿坊に泊まるお遍路さんたちに、ありがたいお経や説法が聞けたり、本来は入れない本堂などの中をお参りさせてくれるらしい。「会計は後回しでもいいから」と受付のご婦人に促され、飛び込みで参加させてもらう。


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※写真は翌朝撮影したもの


 ここで改めて和尚に合わせて般若心経を読経したが、どうにもオレのは我流だったらしく、これまでは色々と読み間違えをしていることに気づかされた。他、オレがお参りする際には省略しているご真言の詠唱をここで初めて行ったが、天空戦記シュラトを思い出してまた年甲斐もなく中二病を発症しそうになる。他、なぜか本堂内に川が流れていたりとビックリすることがあったが、個人的には参加できて良かったと思う。できれば雨でずぶ濡れの服装を着替えてからにしたかったが、まぁしょうがない。


 お勤め終了後に改めて受付を済ませ、部屋に通してもらう。タコ部屋のようなところを想像していたが、なんと10畳一間を好きに使って良いとのこと。風呂トイレは共同だが、風呂は温泉で、備え付けのコインランドリーもあった。雨に降られた後には大変ありがたいことばかり。
 電波はここでも携帯電話・Pocket WiFiともにほとんど入らない。暇なので仕方なくブログ用にこの文章をダラダラと書いているが、アップロードできるのはおそらく明日以降だろう。(※実際翌日晩の公開となった)


 テレビでNHKをつけると第二次大戦にシブヤン沖で沈み、最近になって海底で発見された戦艦武蔵の特集をやっていた。第二次大戦終盤の当時、戦艦大和とその姉妹艦である武蔵は日本の技術の粋とも言える超弩級戦艦として開発されたが、当時すでに航空戦に以降していたために、完成した段階でとっくに時代遅れだったのだそうだ。しかも航空戦の重要さに米国が気づいたのは、日本が仕掛けた真珠湾攻撃がきっかけだというのだから皮肉なものである。不沈艦と呼ばれながら時代遅れの遺物として爆弾・魚雷の袋叩きにあい、最後は使うことができなかった主砲の火薬が原因で内部から大爆発を起こして沈んでいったそうだ。乗組員の1/3近くがこの時戦死し、生き残った人の大半はその後陸戦に投入され玉砕していったそうだ。地獄から九死に一生、生還し、また地獄に送られる。悲劇の一言で済ませるにはあまりに惨すぎる出来事だが、現代の人はあまりそこから多くを学んでないのかもしれない。少なくともオレ自身はこの番組を見るまで知らなかったのだから。

会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之一:東京出発

四国八十八か所参り

 昨日(12/02、金)は、4年間勤めた会社での実質最終出社日だった。「実質」というのは、有休消化を経て、最後の納会(12/28)だけは出勤する、という意味だ。さすがに1ヶ月休んだあとの納会の日に仕事があるとは考えたくない(ありそうだけど)。

 というわけで、今日(12/03、土)からオレは有休消化に入った。おそらく人生でそう何度とないこの長期休暇で、一度はやってみたかった「四国八十八ヶ所参り」通称「お遍路」に挑戦することにした。それも自転車で。
 本来であれば徒歩で行うべきなのだろうが、休みは一ヶ月程度しかなく、徒歩でのお遍路は50日近く必要とするらしい。さすがにそれほど長い期間を確保するのは経済的にも社会環境的にもオレには不可能なので、自転車でのチャレンジとなった。あと単純に自転車が好きだからというのもある。


 なお、通常このブログでは「ですます調」で書いているのだが、旅の記録を書くのにどうも「ですます調」だと調子がでないので、普段の記事とは異なり口語体で書かせていただく。いつも当ブログを読んでいただいている(奇特な)方は違和感を覚えるかもしれないが、特別編のエッセイテイストな何かだとご了承いただけると幸いである。



 東京から四国に自転車で渡るのに、今回オレが選んだのは「フェリー」だ。オレの自転車は安物のクロスバイク輪行(自転車を解体しバッグに詰めて交通機関で移動すること)に適しておらず、そのまま自転車を四国まで運べる手段を選ばざるをえなかった。東京から四国に向かうフェリーは、徳島行きのフェリーが日に1本ずつ有明から出ている。
 オレの自宅から有明までは40km弱ある。フェリーに乗り込むまでで既にちょっとした旅行だ。加えて、有明に行くにはレインボーブリッジを超えなくてはならない。レインボーブリッジは自転車に乗ったまま渡ることはできず、自転車を押しながら遊歩道を歩いて渡ることになる。しかも、「自転車を押して歩く」ことを強制するために、レインボーブリッジのふもとで自転車の後輪を台車に載せ固定する必要があるのだ。


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 この台車があると「自転車を押して歩く」のも通常のそれと比べてかなり重労働となるのだが、歩行者の安全を考えるとやむをえないのだろう。にしても、もうちょっと上手い方法は無かったんかなぁ。


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 フェリーは19:30発。レインボーブリッジの遊歩道の最終入場可能時間が17:30だったこともあり、かなり前倒して18:00には乗り場に到着したが、既に乗船手続きは始まっていた。係員の指示に従い、切符を購入後、車の列の最後尾に並んで(フェリーなので車ごと乗り込むのだが、車もバイクも自転車も同じ扱いなので、順番で乗船し倉庫で管理してもらう)10分程度で乗船を果たす。


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 「フェリーが徳島に着く直前まで倉庫には入れないので、全部荷物を客室に持っていけ」と言われ、係員が見守る中モタモタと荷物を下ろし、大量の荷物を抱えて客室へ。10名ほどが泊まれる大部屋にカプセルホテルのようなキャビンのベットが用意されていて、そこがオレの一晩の宿となった。10名の大部屋とは言ったが、客はオレも含めて3人だけらしい。


 食事は共有のロビーに自販機があり、そこで買ったものをレンジで温めて食べる形。オレは事前にコンビニで買ったにぎりめしで簡単に済ませた。朝飯の分まで買ったつもりだったが、ここまでの道程で腹が減りすぎていて、すべて食べてしまったのが悔やまれる。ちなみにこれを書いている今現在、既に腹が減っていて困ってる。カレーでも買って食ってしまおうかしら。でもいやしかし……。


 ロビーでは体躯の良い数人の男性が料理をしていた。野菜や魚など素材を丸ごと持ち込み、やはり自分達で持ち込んだ包丁やまな板で手際よく下ごしらえしていく。コンロはないので、レンジで加熱調理を行っているようだった。大量の酒も見られたので、ここで彼らは酒盛りをするつもりらしい。おそらくはフェリーでの移動に慣れた、なにかガテン系の職業の人たちなのだろう、フェリーでの立ち振る舞いがまるで我が家のようだ。もしかしたら、ああいうことを楽しみにしないとやっていけないような過酷な仕事なのかもしれない。彼らの行動が自由すぎるので他の乗客は怪訝な顔つきをしていたが、彼らがとても楽しそうだったこともあって個人的にはあまり悪い印象は持たなかった。


 このフェリーにはその他、大浴場やコインランドリーもあった。テレビも見れて、リラックスルームでは先客がJリーグチャンピオンシップ決勝第2戦:浦和-鹿島を観ていたのでオレも便乗した。結果は鹿島が1-2で勝ち、第1戦の結果も含めアウェイゴール数で勝ったことから2016年のJリーグ王者となった。浦和と比べて年間勝ち点で15点も少ない、つまり勝利数で5試合も足りない鹿島が、たった2試合の結果だけで年間王者になってしまう。Jリーグとしては2ステージ制の最大の汚点が出た年になってしまったと言えるだろう。来年からは1ステージ制に戻るので、こんな茶番は無いのがせめてもの救いだ。
 とはいえ、試合自体はその妙なレギュレーションのせいで非常に見応えのあるものだった。内容も良かったし、真剣勝負であることがひしひしと伝わる試合だった。結果さえ違っていたら、とても良い試合だったと振り返ることができたかもしれない。


 フェリーでの旅は、ぶっちゃけとても暇だ。携帯電話やPocket WiFiの電波のつながりも悪いので、ネットサーフィンもままならない。だからこそオレはこんな長文をダラダラと書いているわけで、この文章を読んだ貴方が「内容が薄い」「無駄に長い」と思ったなら、それはフェリーのせいにしてもらえると大変助かる。
 フェリーが徳島に着くのは明日の昼過ぎの予定。それまでどうやって暇をつぶすか、今まさに思案に暮れている。どうしたもんかなぁ、デレステもあんまできないんだよなぁ。

UXデザイナーの職責、プロジェクトチームの職責、その他諸々について

勉強会

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はじめに

 我々が登壇したXP祭りが開催されたのが9/24(土)、そのあとブログエントリを書いて、しばらく仕事・プライベート共に忙しかったこともあって「巷にはびこる間違ったUX論へのヘイトをぶつける集い」に関する世間の反応を追い切れていませんでした。大変申し訳ない。オレの観測範囲で目に付いたものを以下に全て列挙させて頂きます。


 そうは言っても、合間合間に目に付いた記事やツイートは読むようにしていましたので、今更ながら簡単にでもオレなりの意見・見解を以下に書いておきます。


我々は「UX論」などというものに唱えたことは一度もない

 それはさておき、先に誤解に対して言及したいと思います。


 我々は先月「巷にはびこる間違ったUX論へのヘイトをぶつける集い」というタイトルでセッションを持ちましたが、それに対するリアクションとして「UX論」が云々、というキーワードが非常に目に付きました。これには非常に違和感があります。
 まず、我々としては元々アカデミックに端を発した「ユーザーエクスペリエンス(UX)」という言葉の定義、「UXデザイン」という手法……などなど、言わば原典のようなベースとなる知識というか考え方が元々あり、それらに対して門前町の信心深い老婆のように自らの意見を持たずただそれらに沿う、いわば原理主義者的な立場を取りました。
 一方で「UX」「UXデザイン」という言葉をよく調べたりせずに好き勝手なイメージから「UX・UXデザインとは」を歪めて発言したものと感じられる文献がWebを中心に散見され、それらを総じて「巷に蔓延る間違ったUX論」と揶揄したのが、セッションタイトルの起源です。


 我々自身は特に「UX論」というものは持ち合わせていませんし、他の登壇社2人はともかく、ましてやオレはUX・UXデザインはド素人に毛が生えた程度なので、それらに対して論ずることなどできるはずもなく。今回、イベントの主旨として、UX・UXデザインのベースとなる知識の理解が乏しい状態で論じたと思われる「巷に蔓延る間違ったUX論」を訂正して回ることで、逆にUX・UXデザインのベースとなる知識を確認して行こう、という立てつけでセッションを持ちました。
※前述のセッションの発表者他2人に伺ったところ、実際のところUXデザインに関する「これが原典だ!」というような書物や論文・宣言のようなものは今のところ特に無いんだそうです。「アジャイル開発」における「アジャイルマニフェスト」みたいなものがUXデザインにもあれば、話が早いんですけどねぇ。


 なので、もし後にこのセッションに対して言及して頂くなら、「UX論」ではなく「間違ったUX論」として頂きたいなと思う次第です。原理主義者気取りとしては以上です。


UXデザイナーフルスタック化問題とUXデザイナーの職責範囲

 このテーマはセッションでは扱ったのですが、先日のブログエントリでは殆ど触れていなかったので、ブログエントリだけ読んで頂いた方には説明不足になってしまいました。申し訳ありません。

もちろん法的要件の適格性を最終的に確認するのは専門家の役割であるとは思うのだけれども、「UXデザイナーはUXデザインに注力すべきでしょう」という点には同意しかねるのである。職業プロフェッショナルを名乗るのであれば、当然のように法的要件および政治的・文化的要件に配慮すべきである。UXデザイナーに限った話ではなく。


 上記は@agnozingdaysさんのブログエントリから。記事中にあるように、オレと@agnozingdaysさんは知人ですが、だからといって彼が言及するように手加減などしてくれるはずもなく(むしろ手加減無用な関係なので嬉々としてマサカリを振るってくれるはず)。
 頂いている意見については概ね同意で、姿勢として職責を超えてプロジェクト目的を完遂するために動くのは、UXデザイナーに限らずプロジェクトチーム全員に求められるべきことだと思っています。オレはUXデザイナーではなくシステムエンジニアですが、自分がその立場にあればそう動こうと努力するでしょう。


 ……が、それはそれとして、努力しようとしてもできないのが、現在UXデザイナーと呼ばれる人たちの置かれている現状のようです。



 上のツイートの図は、UXデザイナーと呼ばれる人が求められるスキルを列挙したものです。ツイート自体には「UXにはチームで対応するべきだよね」というような主旨もコメントで添えられています。



 上のスライドはUXデザイナーとして活躍されている@azumi0812さんのスライド。現場で実際に働くUXデザイナーが如何に多くのタスクを抱えているかが伺えます。

重要なスキルの幅が広いということは、製品チームに1人のデザイナーしか配属しないという行為は愚かだということだ。1人で全てのスキルを運用できるデザイナーなど存在しない。そもそも、デザイナーは1人で働くべきではないのだ。足りないスキルが補完されるチームの中でこそ、デザイナーは最高の仕事をし、自分のスキルを最大限に活かすことができる。そうすることで、チーム全体で個々の能力の総和以上の成果を得ることができるのだ。


 デザイナーに求められるスキルは非常に多く、それぞれを極めることは非常に困難だ、ゆえにデザイナーはチームで仕事に臨むべきだ、というような内容が書かれています。


 いくつか例を挙げましたが、総じて言えることは、UXデザイナーと呼ばれる職責には多くの役割・スキルが求められ、それは本来であればチームで対応すべきだ、ということです。しかし、日本のITサービス開発現場は少なくともそうはなっておらず、UXデザイナーと呼ばれる役割の人が1人いれば大した方で、その人にUXデザインに関わるタスクが全てのしかかってくる、というのが現状のようです。


 また、転職サイトで「UXデザイナー」で検索すると、殆どの募集要項の必須or推奨スキルに「Photoshop」「Illustrator」と記載されていることが分かります。Webサービスなどの場合、UI改善=UX改善となってしまうケースが往々にしてあるため(「UX≠すごいUI」だという話はXP祭りのセッションで取り扱いました)、スキルとして求められてしまうのは理解できなくはないですが、「体験の再現性を仮説・検証・実装する」というUXデザイナーの本質を考えると「Photoshop」「Illustrator」は本当は必須ではありません。が、募集要項にある以上、「Photoshop」「Illustrator」を使える人がUXデザイナーとして配属されて、「フォトショやイラレが使えるんならアレもやっといて」とこれまた本質でない作業を依頼されることは容易に想像できます。本来のUXデザイナーとしての役割を果たしながら、なおかつアイコン描いたりフォトレタッチしたりバナー画像作ったり、といった作業に追われることになり、結果高稼働になる、というケースが、UXデザインに関わる人には実際多く起こっているようです。



 プロジェクト開発はそもそもチームで行うものであり、誰かにタスクが集中すればそれを補う動きをするのがプロジェクトメンバーとして当然です。また、特定のスキルを持つその人しかできない役割があれば、パフォーマンスを最大化できるよう役割を分担するのが正常なプロジェクト開発です。
 前述のように、法律や商習慣の確認などを、その役割に関わらず、プロジェクトメンバー全員が意識して行動できることが望ましいですし、そうあれるよう努力する姿勢は必要だと思います。ですが、特定の人にタスクが集中する状況があるのに、その人に「もっとやれ」と要求するのは愚かしい行為ですし、努力してできることであれば他の人でも同じ様な努力で成し得るはずで、ユニークなスキルを持つメンバーのリソースを食いつぶさずとも、別の人が補完すべきではないかと思います。


 前回ブログエントリに不足したと思われる点を補完してみましたが、もし気になる点があればご指摘頂ければと思います。


ユーザーにデメリットを与えかねないサービス・機能をどう防ぐか

 前回ブログエントリからの繰り返しになりますが、ソーシャルゲームのガチャはUXデザインの範疇ではない、というのがオレの意見です。ソーシャルゲームのガチャには、提供者から見て2つの役割があると思っています。

  1. 収益源
    • ユーザーから直接お金を払ってもらう手段
  2. ゲームバランス調整
    • 強いカード、弱いカードをどの程度出すか → ゲームの難易度調整


 1 はビジネスモデルの範疇ですし、2 はゲームデザインの範疇です。UXデザインはこれらを前提・制約とし、その上でユーザーの体験をある程度コントロールすることを目指すことになるでしょう。
(※UXデザインがゲーム業界にどの程度導入されているのかは不明ですが、仮に恒常的に導入されているとして)
そうなると、出来ることにはある程度限られており、そもそものビジネスモデルやゲームデザインの見直しから必要になるはずです。実際、同じゲームでも「艦隊これくしょん―艦これ―」や「ポケモンGO」など、ガチャに頼らないビジネスモデル・ゲームデザインを採用しているものは出始めています。
(※一方でポケモンGOのように別の問題を発生させているケースもありますが、本題から逸れるので、ここでの言及は避けます。)
(※あと、インベーダーゲームドラクエ3のように社会問題や事件に発展したケースも言及しません。面白過ぎるからこそ起こる問題って、だれが責任取るとかあるんですかね?)



 では、ソーシャルゲームのガチャに限らず、ユーザーに不利益・危害をもたらす要素が自分のプロジェクトチームが提供する製品・サービスに含まれていたとして、UXデザイナーはどう動くべきでしょうか? ……こんなの、UXデザイナーとか関係ないですよね、プログラマだろうがリーダーだろうが、プロジェクトメンバーである以上、プロジェクトリスクはプロジェクト全体で列挙して解決すべきです。


 オレは製品・サービスを提供する立場に立った際、追求すべき優先順位は以下のようになると考えています。(@fladdictさんとTwitter上で会話させて頂いた際のご意見を多分に参考にさせて頂きました。)

  1. 収益性
  2. ユーザー利便性(ユーザーに不利益・危害をもたらす要素の有無、という観点も含む)

 その製品・サービスが儲かっていない場合、ユーザー利便性を改善するための工数(=費用)をねん出することは難しくなります。敢えて身銭を切って改善することは、ある程度は可能でしょうが、改善を継続し続けることは不可能です。美談だけじゃ飯は食えない。腹ペコの人間が他人に優しくできるわけがない。道理はどうあれ、まずは稼ぐことが先です。


 では、ユーザー利便性はないがしろにして良いのか、ましてユーザーに不利益・危害をもたらす要素を放置しておいていいのか、というと、当然NOです。なぜならば、これらを放置し続けた結果として外圧によって製品・サービスを維持できなくなり、縮小・終了せざるを得ない事態に追い込まれる危険があるからです。ユーザーにそっぽ向かれるくらいならまだしも、強烈なバッシングを受けることも考えられますし、SNSでいわゆる炎上を起こすこともありえます。最悪、監督官庁による勧告・命令を受けることもあるでしょう。そう言った事態にまで発展した場合、そのビジネスをそれまで同様に継続するのは限りなく困難です。
 そのような事態になれば、最優先で考えていた収益性も担保できません。プロジェクトメンバーは、自分たちが明日の飯を食うためにも、自分たちの製品・サービスを注視監視し、改善していく必要があると、オレは考えます。




銀の弾丸など無い

 元々、「UXでソーシャルゲームのガチャにおける被害者を減らす・無くすことはできるか」というのが我々に対する問いかけでした。


 ソーシャルゲームのガチャは、パチンコ・パチスロのように強烈な中毒性をはらみます。業界でガイドラインは設けているものの、あまり機能していないという話も聞きますし、また、既に収益確保の手法として確立され広く活用されている以上、個別のサービス提供者が個別に自主規制して行くのはなかなか難しいんじゃないかと考えています。おそらくは法規制で一斉に禁止する以外に完全に被害者を無くすことはできないのではないかというのがオレ個人の考えですし、個人やサービス提供会社の枠を超えて、業界・社会・国として取り組む以外に解決は図れない懸案だと思います。それは、何十年も前からパチンコ・パチスロが問題視され続け、しかし未だに解決の道を歩んでないことからも明らかです。


 そんな難題に対し、所詮カードの一枚に過ぎない「UXデザイン」にそこまでの問題解決を押しつけるのは酷というもので、もっと広い視座で多くの人を巻き込んで解決を目指すべきです。みんなで解決を目指す中の一要因として「UXデザイン」の活用を検討するのは、まぁやってもいいんじゃないかなと思いますけどね。ただ、仮に検討してみて、この問題に対するカードとして適切でないと判断できたとしても「このカードは駄目だ、使えない」などと断ずるのは、あまりに幼く、愚かな行為とオレは考えます。


 IT業界で良く用いられる言葉に「銀の弾丸など無い」という有名な言葉があります。通常の手法ではダメージを与えられない化け物でも、銀の弾丸を用いれば一撃で致命傷を与えることができる、という西洋信仰になぞらえた論文が語源ですが、全ての問題を一発で解決できるようなモノは、ソフトウェア開発には無い、といっているわけです。それはUXデザインに限った話ではありません。クラウドしかり、IoTしかり、アジャイル開発しかり。どれも開発チームが取るべきカードの1枚に過ぎません。合わせ技で解決できることもあるし、全部採用検討しても解決できないこともある。人の世とは複雑で難解で、理不尽なものです。


 オレの勝手な意見ですが、UXデザインは事業開発に適した手法なんじゃないかと思っています。ECサイトのコンバージョン改善なども、ビジネスモデルにおけるものすごく小さなピボット(ビジネス方針転換)と言えなくもないですし。その範囲であればUXデザインというプロセスは有効に機能するでしょう。
(※フジタさん、イトウさんに聞いたところ、他の使い方もできるようですが、オレの理解が浅くまだピンと来ていないのでここで紹介することはできません。)


 ですが、その活用範囲を超えた時には、その意味があまり望めないことも十分考えられます。道具というのは目的に対して最適化されるべきものです。ドリルで釘は打てないし、金槌で穴は開けられない、やってやれなくはないけど、費用対効果が見込めるかどうかは定かではないです。UXデザインに限らず、あらゆる要素がそういうものだとオレは思いますし、それらを適切に選び、使いこなせる技量を身につけることこそが、製品・サービス開発に携わる我々の役割であると考えます。


おわりに

 そういえば、前回ブログエントリで「勉強しろ!」と唱えたら、「この老害が!」という言葉を頂戴いたしました。UXとUXデザインに関わってわずか数カ月で老害と呼んで頂けるなど、光栄の極みですね。


 まぁ冗談はさておき、UXデザインに限らず、新しい手法・プロセス・技術は今後もいくらでも出てきます。それらに対して正しい知識を身に付け、使いこなせるように手になじませることに対しては、ITエンジニアとして不断の努力を続けるのは当然で当たり前の姿勢だとオレは思います。努力し続けることを止めたら、遅かれ早かれ、いつか立ち位置を失うことになるでしょうから。今回オレにとってUXとUXデザインについては、たまたま機会を設けることができただけで、今後扱うテーマはその都度変わっていくでしょう。ですが、テーマがなんであろうと、学ぶ姿勢と努力は継続していきたいと思っています。


 あと、全然関係ないですが、今回の一連のやりとりを眺めていると、どうも今回起こったUXやUXデザインに関する議論は、数年前にアジャイル界隈で起こった議論に似通ってるんじゃないか、と思えました。イマイチつかみどころがないところも、誤解されたり間違って捉えられたりするところも。もしかしたら、過去アジャイル界隈に起こった流れは、もしかしたら今後UX界隈でも参考にできるかもしれませんね。よう知らんけど。

自分はもう「当事者」じゃないのだと知った映画「君の名は。」

雑記



 ここ最近仕事がえらく忙しかったのですが、金曜に猛烈に集中して一気に片付けることができたので(とはいえまだ残ってるけど)、週末の今日は一念発起して朝から映画「君の名は。」を観てきました。


 前から観たかった映画で……という表現は的確ではないですね、正確には「前から観なくてはいけないと使命感に駆られていた」と言う方が正確だと思います。お盆休みに「シン・ゴジラ」を観て、これは凄い映画だ!邦画史に残る大作だ!などと独りで盛り上がっていたら、なんと9月頭の段階で既に「君の名は。」を9回も観たという猛者から「『シン・ゴジラ』観たんだったら『君の名は。』は是非観た方がいい」と熱く熱く諭される、という、まぁオレの周囲では別に珍しくもない出来事がありまして。
 斜に構えたオレとしては「どーせ『シン・ゴジラ』の方が素晴らしいに決まってるけど、そこまで言うんならちょっくら観に行ってやるかいのぅ」とやや上から目線からこの映画に臨んだわけです。


 足を運んだ映画館はゴジラのモニュメントが目を引く歌舞伎町の「TOHOシネマズ新宿」、土曜で映画割引デーとはいえ、朝一(9:30)の上映はなんと満席。事前予約していなかったらおそらく座れなかったでしょう。上映が始まってから1ヶ月以上経っている割には凄まじい人気です。待合室も劇場内も若いカップルで溢れかえっています。楽しそうな声をBGMにシアターの座り心地の良い座席に身を沈めながら、「ほーらな。どうせリア充にこびへつらった恋愛映画なんだろ? オレ、恋愛映画苦手なんだよなぁ。新海誠がナンボのもんが知らんが、あんまり期待せんどこう。」その場にいるオレ以外の人間全員をどこか小馬鹿にしながら、オレはシアターの灯が落ちるを待っていました。





















 すみません、すみません、本当に心の底から謝ります。そんな嫉妬とかやっかみ以下のくだらない感情でこの映画に臨んだ2時間前のオレを全力でぶん殴りたい。


 本当に、掛け値なしに良い映画でした。


 こんな素晴らしい映画に出会わずにこの後の人生を送っていたら、と思うと背筋が凍る思いがするほど、素晴らしいものに魅せられたように思います。
 じゃあ冒頭の「シン・ゴジラ」とどっちがいいか、というと、そんなん比べられないですね。みんなちがって、みんないい。ベクトルが違って、どちらもそれぞれの頂点なので、比べるとかそういうものではないと思います。


 最初はオレはいわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」ものなんだろうなと想像していて、それは別に間違っては無かったんだけど、その上で物語が世紀の天体ショーを中心に絶望に加速していく、というような内容です。(こんな説明で分かる人はスゴイ) いわゆる「セカイ系」っていうんでしょうか? 今Wikipediaで確認したら、監督の新海誠氏は「セカイ系」を得意とされているようなので、オレのこの表現はあながち的外れではないのかもしれません。




 なんというか、とにかく応援し続けた映画でした。声には出さないけど、ずっと、がんばれ!がんばれ!って叫んでた。たぶんこんなに誰かを必死で応援したこと、ここ10年くらいは確実に無かったと思います。朝持ってきた洗いおろしのハンカチは、劇中ずっと握りしめていたらしく、終わった時にはグシャグシャで汗で湿っていました。手は微妙に痛いし、なぜか足も踏ん張りすぎたときになる筋肉痛のような痛みがありました。オレにとって「君の名は。」とはそういう映画でした。


 だからこそ気付いたんです、オレは映画の主人公……瀧や三葉のような「当事者」ではなくなってしまったんだな、と。物語を追う時の感情は「ハラハラドキドキ」という擬音で表現されますが、ふりかえって、そういえば「ハラハラ」はしてたけど「ドキドキ」はしてなかったな、と思い至ったのです。オレは結婚もしてないし当然子供もいないし、コドモがそのまま大人になったような人間だ、と自分のことを捉えていたのですが、実はそれは微妙に変化していて、いつの間にか「見守る側になってしまった」のだと。
 たぶんオレが「あの出来事」に直面した時、やはり瀧や三葉と同じように走り回るし、死力を尽くすと思います。でもたぶんそれは互いのためとかじゃなく、社会正義とか、なぞの使命感とか、そういうもののためだと思うんです。(つまりオレはそういうメンドクサイ人間です) 彼らにもきっとそういう感情はあったと思うけど、それ以上に瀧は三葉を、三葉は瀧を思ったからこその行動だったんじゃないでしょうか。そういう様子を見たオレは、やっかみもひがみもせず、ただただ二人を応援してた。オレは「当事者」ではなく、その「当事者」を「応援する立場」に、とっくになってしまったんだな、と。



 別にさびしいとか悲しいとか、そういう思いは無いです。単にオレはそうなってしまったんだな、と思っただけです。それでいいと思うし。ただ、だからこそもう役割も動き方も意識して変えていかなくてはいけないのかもしれませんね。
 握りしめたハンカチが汗でびっしょりになるほど応援したい何かに出会えるのは、次はいつでしょうか。今後そういう「応援したいナニカ」を一生懸命探すことが、オレがこれからやるべきことなのかもな、と今にも雨粒が落ちてきそうな歌舞伎町の曇り空を見上げながら独り思いました。



XP祭り2016で発表してきたことと「UX論は時代遅れなんじゃないの?」論に対する回答 #xpjug

勉強会


(via:[2016/9/24(土)]“俺たちの!!” XP祭り2016へ参加してきました - 機雷がなんだ! 全速前進!)

はじめに

 先週土曜(9/24)は早稲田大学理工キャンパスで開催された「XP祭り2016」で、伊藤英明(@itow_ponde)さん、フジタジュンコ(@junko_fujita)さんと共に「巷にはびこる間違ったUX論へのヘイトをぶつける集い」という少々過激なタイトルの発表をしてきました。Twitterでの些細なやり取りをきっかけに企画がスタートし、以降5ヶ月ほどかけて準備を進めてきたものです。伊藤さんとフジタさんに肝心のコンテンツ作成をお願いし、オレが企画・スタッフさんとの調整・広報周り・当日の司会進行・敵情視察といった諸雑用を担当しました。本当に準備が楽しくて、雑談含め我々3人の間で交わされたメッセは実に2,300を超えていました。ずーっとゲラゲラ笑いながらヘイト集めに勤しんでいた我々は、もし端から誰かに見えていたら、ずいぶんと奇妙に映ったかもしれませんね。


 実際のセッションは結果として、過激なタイトルに反して真面目な内容におさまり、UXとUXデザインについてとても分かりやすく勉強になる発表に仕上がったと思います。この辺は伊藤さんの人柄によるところが大きいですね。司会進行役のオレでさえ、UXとUXデザインのことをまるで分かってなかったので、すごく勉強になりました。オレ個人としてはもっとエンタメに寄せるつもりだったので(終了後「タキガワさん、パンチ足りないんじゃないですか?」と及部くんにダメ出し食らった)、なかなか思い通りにいかないもんだなぁとは思いつつも、聴講者の皆さんにも内容自体は概ね満足頂けたようで本当によかったです。デレステのガシャをインスパイアした講師陣紹介や、月曜から夜ふかしネタも盛り込みましたが、この辺はまぁ自己満足ですね、やっていてとても楽しかったです。


 オレ自身、これまでXP祭りには何度となく参加をしてきて、多くの方からそれこそ浴びるように恩恵をいただいてきました。その恩に対し、伊藤さんとフジタさんという偉大なスペシャリストの力をめいいっぱい借りたとはいえ、こうやって一度でも報いることができた、XP祭りから受け取った恩をつなぐことができたのには、本当に嬉しく思います。また今後こういう機会があれば是非登壇させていただきたいですし、そのためにも、これからも日々精進したいと思います。


 今回はセッションの性質上、資料公開等は行う予定はありませんが、前半に行った「そもそもUXとは?」という説明については、伊藤さんが2015年に公開されている資料に同様の内容が掲載されていますので、そちらをご覧ください。



挑戦者現る

 さて、このセッションの数日前にこんな記事が巷に出回りました。概要をオレの方で簡単にまとめると、以下のようになるかと思います。


UX論は間違っているんじゃなくて時代遅れなんじゃないの?という疑問 - architecture_database

  1. 誰のためのUXなのか
    • 例)「退会」のルートをどのように作るのか
      • サービスを辞めたい時にストレス無くサービスから退会できるのが望ましい
      • 事業者からすれば素直に辞められてしまっては困る
  2. UXの時間射程
    • UXには時間の射程の違いによる価値観の違いが存在する
    • 例)ソーシャルゲームのガチャ&課金
      • ガチャをその体験だけ切り出せばよいUX
      • 何回もガチャを引いてしまい後で生活が窮困し後悔するユーザーも多く存在
  3. UXデザイナーの業務範囲に法律は含まれるのか?
    • 法律や慣習も機能使用や情報の構造に影響を与える
    • サービスと既存法制との接点も十分に検討すべき課題
    • UXデザイナーの業務はUXだけに限るのか
    • よりよいサービスのために法律や慣習まで業務範囲に含めていく必要があるのか
  • 結論:「UX論は間違っているのではなく時代遅れなんじゃないの?」
    • ユーザー目線だけで仕様を決められない時代になったけど、UXデザイナーさんはどこまで検討してくれるの?
    • 情報リテラシーの高くない一般の人にもアプリやwebサービスが普及
    • 他業種が法律によって守っていた部分にまで影響を与えるようになっている

 記事は、我々のセッションを名指しし、それを起点に文章全体としてUXそのものを批判するような内容になっています。はてブもそこそこ付いていて、SNS等でもかなり拡散されていましたので、結果的に我々のセッションの宣伝をしてもらった形の上にネタまで提供して頂けるとは、ずいぶん奇特な方といいましょうか、感謝しても感謝しきれないですね。ご本人はセッションにはいらっしゃらなかったそうですが、有り難くネタとして頂戴し、90分のセッション中20分程度しっかり時間をかけて扱いました。


 記事中では、提起した議題を我々のセッションで取り上げればそれで十分ではありそうでしたが、当人預かり知らぬところで好き勝手に批評したとあっては陰湿ないじめのようで後味が悪いですから、御礼も兼ねてセッション内で取り上げた記事への指摘を以下に記したいと思います。


 なお、本記事では、誤った内容を掲載しないよう公開前に他のお二人にもレビューしてもらっていますが、あくまでもタキガワ個人の意見として読んでください。本記事の関するご意見お問い合わせ等はタキガワ(@takigawa401)の方で承ります。

※9/27追記

 当初この記事を、特定の特徴を持つ読者層に絞った都合、過剰に読者を煽った言葉を使用しておりましたが、結果として適当でない(対象に刺さらない)様子だったため、他の方を不快にさせるのを避けるため削除しました。予告なく内容変更となりましたが、どうぞご了承ください。


誰のためのUXなのか

 要は「UXは金儲けの道具として使われていないか」「金儲けを優先した挙句にユーザーの利便性を無視してないか」という指摘なんですが、ビジネスである以上、お金をどうやって儲けるかは避けて通れない問題です。で、そういうことを考えるのはビジネスサイドの人間だったり、プロダクトオーナー(以下「PO」)だったりの役割です。UXデザイナーの職責からは外れます。


 UXデザイナーは、ユーザーに使いやすい仕組みを考え、ユーザーに良い体験をしてもらえるように提供する製品・サービスを設計するのが役割です。が、でも一方でPOからの要望に応えて企業として収益を上がられる製品・サービスを設計するのもUXデザイナーを含めた開発チームの役割です。その両者の間で最適解を見出そうとし、折衷案を出したり、あるいは一挙両得なアイディアを盛り込むことが開発チームに求められる働きになります。


 例に挙げられている「なかなか退会できない退会方法」なんかは、そもそもとして、その退会方法のせいで悪い噂が広まれば、長期的に見てそのサービスのイメージダウンの原因となり、後々の減益に、最悪の場合にはサービス終了に追い込まれるような事態にもつながります。発想があまりに短絡的で、ユーザーも自社事業もどちらにも貢献していない。この事例にそもそもUXデザイナーという職責の人が関わっていたかどうかは知りませんが、単に悪手なだけなので、UXデザインのせいにされてもなぁ、という気がします。


UXの時間射程

 この記事の著者の方は、どうもソーシャルゲームのガチャを目の敵のようにされているようですねぇ。ガチャはそもそもゲームデザインの範疇であり、UXデザインとは異なるというのがまず一点。なんとなくUXという言葉を雰囲気で使うのはやめましょう。

 UXデザインには、ユーザーがどのタイミングでその体験をするか、「期間」で考える視点があります。

  • 予期的UX
    • 利用前・非利用時
    • 体験を想像する
  • 一時的UX
    • 利用中
    • 体験する
  • エピソード的UX
    • 利用後
    • ある体験を内省する
  • 累積的UX
    • 利用時間全体
    • 多種多様な利用時間を回想する

 仮にソーシャルゲームのガチャがUXデザインの成果だったとして、記事の著者の方は、予期的・一時的UXは良いけれども、それを強調しすぎてエピソード的・累積的UXは揺り返しでマイナス面が強く出過ぎてしまっているのでは、と主張されたいのでしょう、おそらくは。(UXデザインじゃないから違うんですけどね)
 ただ、本来のソーシャルゲームでガチャを導入した狙い自体は、別にユーザーを不幸にすることを前提に設計なんかされてませんよね。

  • 予期的UX
    • お気に入りのキャラ等が手に入ることを想像する
    • ゲームを有利に進められるようになることを想像する
  • 一時的UX
    • 狙ったキャラ等が引けるかどうか、ドキドキ
    • 手に入らない悔しさ
    • 手に入った時の嬉しさ
  • エピソード的UX
    • お気に入りのキャラ等が手に入る
    • お気に入りのキャラ等を他者に自慢できる
    • ゲームを有利に進められるようになる
  • 累積的UX
    • ゲームを楽しく遊べる

 UX=User eXperienceは、響きからして意識高い系(笑)に好まれそうな用語ですが、実のところ単なる「体験」に過ぎません。「体験」なのだから、UX自体は何をしても……むしろ何もしなくても必ずそこにあるものです。良いUXも悪いUXも、大きいUXも小さいUXも、イケてるUXもイケてないUXも存在しない。ただの「体験」。これを説明するものとして、以下のイラストは非常に分かりやすいです。


『UIってUXのスゴイ版なの?』- わだちゃんが聞くよ! by インターリンク株式会社


 繰り返しますが、UXは「体験」です。ユーザーの体験自体をサービス提供者はコントロールはできません。なぜなら、「体験」は、提供されるサービスが同じであっても、そのサービスを利用するユーザーの体格・性格・体調・利用時間・趣味・家族構成・所持金・etc……ありとあらゆる要素で変化するからです。


 例を上図で挙げてみます。
 一番上の、猫に柱を与えると爪とぎをしてスッキリ、という例の場合、ユーザーがストレスMAXな猫で、与えた解決方法が柱、その結果として爪とぎでストレスを解消できたという体験を得ています。もしこの例で、ユーザーが散歩中の犬なら、柱はトイレとして使われるでしょうね。
 上から二番目の例では、ユーザーがこごえる猫で、与えた解決方法がコタツ、その結果、猫は暖まってヌクヌク気持ちよくなるという体験を得ています。もしコタツのユーザーが真夏の猫だったら、きっと猫は見向きもしないでしょう。


 UXデザインとは、特定の状況におけるユーザーが、おそらくこういう体験が得られるであろうことを狙って、その仕掛けを設計すること、と捉えることができます。「体験の再生産」とでも言えばいいでしょうか。「体験」そのものはコントロールできない、ただ、とある「特定の状況のユーザー」であればこの製品・サービスを使えばおそらくこういう体験ができるはずだ、とその仕掛け自体は用意することができます。そのために「特定の状況のユーザー」について調査し、仮説を立て、検証することで、その「特定の状況のユーザー」が狙った「体験」をおおよそ得られるようにすること、がUXデザインだというのがオレの理解です。

 ソーシャルゲームのガチャについても同様で、あえてUXデザインと捉えた時(何度も繰り返しますが、ソーシャルゲームのガチャはゲームデザインの範疇でUXデザインではありません)、「その後の生活苦を考慮しないほどガチャを回す」ような性質を持った人を想定して設計されてない、というだけなんじゃないでしょうか。


 物やサービスの価値はその時その人そのシチュエーションで全く異なります。
 全く同じビールでも量販店・居酒屋・野球スタジアムで買うのではそれぞれ値段が全て異なりますが、ビールが飲みたい人は皆お金を払って飲みます。極端な例では、好きなだけただで飲める給水器のそばで100円のペットボトルのミネラルウォーターを売っても全く売れないでしょうが、炎天下の砂漠のど真ん中であれば1万円であってもミネラルウォーターを買う人はいるはずです。味や品質は全く同じでも、場所やシチュエーションによって物の価値が異なるからです。


 ガチャに関しても同様で、ガチャを回した人それぞれに状況が異なり、感じることが違ってくるはずです。1円でも払いたくないから無料で続ける人がいる反面、自分の好きなキャラに多額を支払うことになってなお運営者に対し感謝を叫ぶことができる人もいます。
 自分で必死で働いて稼いだ金なんです。自分の責任の範囲で好きに使えばいいじゃないですか。それがガチャだったらなぜ悪いのかがオレには分かりません。



 ガチャに対して「カネを支払ったのに欲しいものが手に入らないなんておかしい!」という人もいますが、そりゃクジなんだから当たり前でしょう。そこまで含めて含めてゲームデザインです。それが嫌ならやらなきゃいいだけです。


 蛇足ですが、このように言うと「実際に生活が窮困するほどガチャを回して後悔する人はたくさんいるじゃないか」という反論が脊髄反射で返ってきそうですが、オレはそれに対して「CLRがなってない」とだけ答えると思います。CLRについては本記事のテーマから逸れるため、ここでは触れません。以下の記事をご参照ください。


ジレンマ解消! TOC思考プロセスの基本を学ぶ(4):ジレンマを解くツールの使い方を詳細に学ぼう (3/3) - MONOist(モノイスト)


 XP祭り2016の他のセッションでは「大人とは、自分で責任を持って行動できる人のことだ」という発言をされた登壇者がいらっしゃったようです。オレもこの意見に全面的に賛成です。ガチャ回しすぎて生活が窮困しようと、それは大人なんだから自分の責任の範囲で遊べばいいんです。それができず自分で勝手に自爆して自らを省みず後で逆恨み的にサービスを呪うような「大人ではない何か」のことなんか、オレは知りません。


 ソーシャルゲームのガチャにつきまとう、確率不正表示問題、コンプガチャ問題、未成年者利用の問題だったりは、認証や企業倫理、法整備などの問題であって、UXデザイナーの範疇ではありません。
 また、それはよく問題に取り上げられるガチャ中毒の問題も同様です。個人的な実体験を踏まえると、あれはパチンコ・パチスロ中毒に限りなく近しい症状といえるでしょう。であれば、UXデザインがどうとかと言った小手先の対処ではなく(UXデザインで対処できるものでも無いと思いますし)、業界団体のリテラシーガイドラインで規制したり、法整備でガチャそのものを規制したり、あるいは医療分野との協業で解決策を見出すべきものなんじゃないかと思います。


 ユーザーが見れたり触れたりすればそれが全てUXデザイナーのテリトリーだ、と勘違いするのも分からなくはないです(実際オレも教わるまで勘違いしていました)が、職責範囲の切り分けが適切にできてないだけ、なんでもかんでも見て触れればUXデザイナーに責任を押し付けようとするのは暴論というものです。

※9/27追記

 ガチャに限らず、提供サービスにユーザーを不都合や危害を加えるような要素があった場合、開発チームはPOにそのリスクを指摘する義務が生じます。UXデザイナーが開発チームの一員であった場合も、リスク指摘は必要です。
 その後、その機能を取り下げるのか、デメリット表示を行い注意喚起を促すのか、POの指示でUXデザイナーが別の施策を打つのか、いづれにせよ次のアクションを決めるのはPOの責務になります。
 UXデザイナーの職責範囲ではないというのは、あくまでその意味であり、サービス提供者がユーザーに危害を加えるサービスを放置していいわけではないです。(放置してもいいかもしれないが、その場合はサービス自体が何らかの外圧で継続困難になると思われます) 説明が不足しておりましたので、ここに追記させて頂きました。


UXデザイナーの業務範囲に法律は含まれるのか?

 オレはこれが一番腹が立ちました。いくら無知だからとて、言って良いことと悪いことがあるが、これは悪い例の最たるものです。あまりにも「法務」という仕事やそれに携わる人をバカにしすぎている。企業付きの法務担当者や弁護士さんが、いったいどれほどの勉強を積み重ね、どれほどの時間や労力を費やしてその業務に取り組まれていると思っているんでしょう。それをUXデザイナーや他の職務に携わる人が、片手間で出来るような内容だとでも思っているんでしょうか。失礼にもほどがある。
 反面、UXデザイナーのこともバカにしている。UXデザインという職務を、やはり片手間で出来るようなものだとでも思っているんでしょうかね。でなければこんな他人の仕事をまるで尊重してない発言が出る訳がない。


 もちろん業務を行う上で、法律や商習慣の知識はあった方がいいでしょうし、その方が物事は早く進みます。ですが、UXデザインはそれ自体が非常に大変で専門的な役割であり、だからこそUXデザイナーはUXデザインに注力すべきでしょう。専門外のところまでフォローしようと思ったら、1日24時間どころか72時間あっても全然足らなくなってしまう。法律や商習慣、業務の細かな内容の確認は、それぞれのスペシャリストに任すべきです。だからこそ我々はチームを組み、協業して製品やサービスを開発するのです。


 もしUXデザイナーがそれらに職責を追うとすれば、法律・商習慣等について確認するフェーズを開発プロセスに適切なタイミングで取り入れたり、各スペシャリストといつでもコミュニケーションが取れるような体制や関係性を作る、といったところまでになるんじゃないかと思います。


 オレは普段はシステムエンジニアという立場で働いているのですが、この話を読んで「これはエンジニアにも結構頻繁に起こることだな」と感じました。「フルスタックエンジニア」というバズワードが出回ってますが、「業務も法律も全部把握しとけよ。システムエンジニアなんだろ?」とかいう暴論はけっこうあります。「エンジニアなんだからFAXも直せるでしょ」っていう有名な画像素材が頭をよぎりました。



(via: 「エンジニアなんだからFAXも直せるでしょ」と言われる|フリー写真素材・無料ダウンロード-ぱくたそ)


 ユーザー企業付きの出向SEさんの中には、ユーザーよりも詳しく業務を知っている方が往々にしていらっしゃいますが、彼らとて一朝一夕で出来るようになったわけではなく、何年も何年もその企業に張り付いて多くの失敗を重ねながらその領域に達しているのです。みんながそれをすぐできると思っちゃいけないですね。


UX論は間違っているのではなく時代遅れなんじゃないの?

 前提となるUX・UXデザインに対する知識・認識が間違ってるので、時代遅れもクソもないですね。


 それはそれとして、UX・UXデザインが2016年9月末現在ですでに時代遅れであっても、オレは別に全然いいと思っています。もっと現代の製品・サービス開発に沿った考え方があるなら、それを採用すればいいと思うし、何もUX・UXデザインにしがみつき続けることもないでしょう。また、もともとUX・UXデザインが学術の分野から出てきた考え方であることを鑑みると、すでにどこかの大学で実際にそれらに置き換わる何かを考えている方がいらっしゃる可能性は高いと妄想しています。
 ただ、それら新しい考え方が仮にあったとしても、現状定着していないということは、未だもってUX・UXデザインが最有力であり、それらへの理解を深めて自分のものにしていく、あるいはさらに踏み込んで進歩させていくことが、正しいものづくりをしていく上では、愚直ながらも着実な道と言えるんじゃないでしょうか。ちょっとウマが合わないからって全部ダメだ!というのではあまりに乱暴ではないですかね、何事においてもちょっとずつ折り合いをつけていくことが、オレは大事だと思います。


総括

 今回の我々のセッションでは、巷に蔓延る間違ったUX論……UX・UXデザインの誤った捉え方をいくつか紹介し、聴講者に理解してもらった上で、一番最後に冒頭の記事に書かれた内容を確認するような流れを意図的に取りました。そうすることで、最後にこの記事を確認した瞬間に聴講者全員が「あーーー、これ明らかに間違ってるわ」と気づいてもらえるような設計でセッションを組み立てたのです。その狙いはある程度成功したと思っています。
 今回我々は、まさにこういう記事が出回っているがために、このセッションを行いました。そういう意味ではまさしく「カモがネギ背負ってやってきた」状況だったわけで、ありがたく骨の髄までしゃぶらせていただきました。


 セッション最後の総括で講師のお二人から出た意見ですが、なぜ誤ったUX論が巷に蔓延るのか、おそらく以下の2点が原因じゃないかとのことでした。

  • 日本語読解能力・日本文章作成能力が不足している
    • 日本語が不自由だから文献に書いていることを曲解したり自分の都合の良い様にねじ曲げてしまう
    • 日本語が不自由だから正しく文章でUX・UXデザインを表現できず、誤った記事をWebに投棄してしまう
  • 本を読まない
    • Web記事で間に合わせてしまう
    • ブログやまとめ記事はちょろっと確認する分には便利
      • 専門家のチェックを経ていないので、間違っている内容が掲載されているケースが往々にしてある
      • ちゃんと専門家のチェックを経ている文献は書籍ならきちんと存在する
    • サボらず金を惜しまずちゃんと勉強しろ

 ……まぁその通りですよね、グウの音も出ないです。オレもこれを自戒とし、横着しないで勉強したいと思います。


 ITエンジニアの立場で今回のようなUXやUXデザインの話を聞いていると、それって数年前にアジャイルでもあったなぁ、というような内容がいっぱいありました。それでもアジャイルに関しては、かつてよりはだいぶ浸透してきて、結果解決できてきたものもありますし、浸透してきたからこそ新たな誤解も生じてきています。UX・UXデザインも同じような道を歩いている最中なのかもしれません。


 まぁ、だから、つまり、その、世界ってのは、そうやって間違ったり誤解されたりしながら、でもちょっとずつ進んでいくもんなんじゃないなぁ、と個人的には感じました。もしかしたら今回我々が取り上げたような「間違ったUX論」は、数年後には「そういえばそんなこともあったね」と笑い話になったりするのかもしれませんね。


 そういう意味では、今回のセッションをアジャイルのイベントであるXP祭りで出来たことは、とても意味があったんじゃないかと個人的には思っています。みんなで切磋琢磨して、正しい知識と手法を携えて、ものづくりに取り組んでいける様になりたいですね。