クラッシック音楽が教養だと言うならスーパーマリオだって教養じゃない?
はじめに
昨今モラトリアムしている人は割と多いらくて、大人の習い事とか勉強会とか非常に盛んですね。自己啓発、素晴らしい事です。ドンドンやるべきだ。
…ん? 慇懃無礼? そんな事ありません。オレは本気で素晴らしいと思ってますよ。実際オレ自身、暇を見つけてはIT系の勉強会に参加するようにしてますし、こんなんでも割と本も読みます。サッカーばかり観てたりTGSでコンパニオンのお姉さんのケツ追っかけてる訳じゃあないんです。*1
でも、おんなじ社会人であっても、オレらIT技術者みたいに覚えることが山ほどありかつ次から次へと新しい内容が出てくる人たちばかりではないと思うんです。書道だったり料理だったりワインだったり。その人たちは何の為にそういった自分にとっての新しい取り組みというか、チャレンジをしているんでしょう?
教養とは?
おそらくですが覚えること自体が楽しかったり、それを覚える事によって、直接仕事に関わりのない内容でも人生そのものを豊かにしてくれる、そういう効果を狙っているんだと思います。世間一般では、こうやって身に付いた知識や行動を「教養」と呼ぶんじゃないでしょうか。ちなみに、教養でググってみたら以下の様な内容が先頭に現れてきました。
ここに定義されている「教養」とは、大体以下の様な内容を指すようです。
- 人生を楽しむ為の知識や習慣
- 社会生活を営む上での常識
- 一人前の社会人が身につけているべき知識
- 多種多様な人間と交流・意見交換を行う為にベースとなる知識
個人的には「教養」と「常識」は似て非なるものだと思っているので、ここは「教養」とは「1」と「4」の意味をもつ単語だと仮に定義しておきます。
では一般的に「教養を身につける」為にどんなことをすべきでしょうか? これはあくまでオレ個人の意見ですが、以下の様なイメージが「教養」という言葉に対してあるような気がします。
まぁ大体こんなもんでしょうか? 「教養」という言葉のイメージを鑑みるに、そんなに的外れな列挙ではないと思っています。
しかし、先ほど定義した「人生を楽しむ」や「多種多様な人と交流するのに役立つ」といったことを実現するのに役立つ内容でしょうか? 個人的には、役立たない事はないけどなんだかパッとしない印象です。さらに言えば先ほど除外した「社会生活を営む上での常識」「社会人が身につけている知識」ともだいぶ異なる気がします。
英語の成績の代わりにビートルズから貰ったもの
ちょっと話は変わりますが、オレが高校生の頃にビートルズばっかり聴いていた時期があります。オレは長野県では割と名の通った進学校の出身ですが*2、電車通学が嫌で片道20キロ近い距離を自転車通学していました。おかげで通学に一日60〜90分くらい割いていたのですが、この時間を有効に楽しく使えないか、と考え、英語の勉強になるかもと洋楽を聴くことを思いつきました。当時オレは海外の歌手をビートルズくらいしか知らなかったので、赤盤と青盤をBOOK OFFで購入し学校の行き帰りでず〜っと聴いていたのを覚えています。
まぁそれで英語の成績が上がるか、といえばそんな訳は無く、しかもビートルズは酷いリヴァプール訛りで英語発音を学ぶ教材としては不適切だと誰かに教わった事で徒労である事が発覚しました。・・・でもそれは高校の英語学習としては、の話。
その後オレに何が起きたか、といえば、テレビだろうが街頭だろうが、ビートルズの曲が流れると全て曲名が瞬時に思い浮かぶようになり、かつそれを楽しむ事が出来るようになっていたのです。ビートルズは世界的にも有名なのはオレが改めて言う必要も無く、テレビのCMや何かで用いられるケースも非常に多いです。耳にする頻度としてはビートルズはマイケル・ジャクソン以上じゃないでしょうか。それが全て分かってかつ楽しめるのがこんなに面白いとは!
少年野球から得たもの
またオレの昔話で恐縮ですが、小学4〜6年生のころ、母に無理矢理地元の少年野球チームに入れられていた事があります。当時は運動が嫌いだったので、毎週土曜日に炎天下で野球をやらされるのがたまらなく嫌でした。母の当時の言い分としては「田舎で生きていく以上、野球くらい出来るようになっとかないと困るようになる」というもの*3で、逆らっても仕方ないことを知っていたオレは渋々3年間それに従っていました。
が、その少年野球のおかげで今は野球のルールは完璧に分かりますし、少年野球の活動の一環で行ったプロ野球観戦から中日ドラゴンズファンにもなりました。
ビートルズや野球は「教養」か?
ビートルズの楽曲は、人生を楽しめて、多くの人が知っているので共通の話題としても最適、人生を豊かにしてくれます。野球はビジネスシーンでもたとえ話で出す事が多いですし、それを抜きにしてもペナントレース中は毎日テレビでもニュースが流れますから、共通の話題としてはそんなに悪く無いテーマです。先ほどの「教養」の定義と照らし合わした時、ビートルズや野球は「教養」と言えるんじゃないでしょうか?
「教養」になり得る条件
ビートルズや野球が「教養」として成り立つと仮定した場合、いくつか「教養」という言葉に対して、再定義というか、傾向づけることが出来る様な気がします。
多くの人が知っている
いろんな人とのコミュニケーションのきっかけだったり土台だったりに用いる事が出来る知識が教養だとすると、最低限「沢山の人が知っている」状況が無くては話になりません。
簡単に廃れない、長く愛されている
単純に「多くの人が知ってる」だけだと、年代の壁は越える事が出来ないかもしれません。たとえばオレら世代が「BOYS BE...」で学生の頃に感じたあの甘酸っぱい感情を20代前半の人に伝えようとしてもまず不可能です。もしかしたら「いちご100%」に例えたら通じるかもしれませんが、しょせん似て非なるものです。長く継続的に愛好されている必要が、「教養」にはあると思います。
オタク臭く無い
そこにマニア的要素が含まれると、一転して蔑みや哀れみの対象になりかねません。あくまでどこかで高尚なイメージか、そこまで行かなくても世間一般的にステータスが確立されているものが「教養」としてはふさわしいと思います。
ビートルズや野球の他に「教養」になり得るもの
この条件が満たせればとりあえず「教養」と呼べるかもしれません。ではビートルズや野球以外にこの条件を満たすものはどのくらいあるでしょうか?
結構あります。
例えば「新世紀エヴァンゲリオン」、最初の放映は1995年で社会現象にまでなり、現在も映画が公開されています。アニメ見た事無くてもパチンコ・パチスロをやる人なら知ってる存在。詳しく知りたければ情報はいくらでもあります。過去にブレイクしたおかげで他のアニメコンテンツになら存在するオタク臭もかなり薄いです。十分「教養」になり得るでしょう。
ガンダムもそうかな。最新のガンダムOOの事は知らなくても、ファーストガンダムを知らない人は数少ないでしょう。お台場や静岡に記念撮影に行った人も多いはず。名台詞を会議で使ってみたい衝動に駆られた人もいるんじゃないですかね*4。そういえばほぼ日で「野球とガンダム」なんて連載が過去にやってたこともありました。
そしてスーパーマリオ、やったことのない人がいないくらい有名なゲームです。やった事無くてもBGMくらいは耳にした事があるはず。今年スーパーマリオは25周年だそうですが、歴史も十分、人気は言わずもがな、知ってるのと知らないのとでは人生の豊かさが段違いです。似た様なところでは、ドラクエも頻繁にテレビでBGMに用いられている点を考えれば、教養音楽と言えると思います。
スーパーマリオを「教養」と考えるなら、選択肢はもっと広がる
話は冒頭に戻ります。人生を豊かなものにする為に教養を学ぶと言う時、もしスーパーマリオが教養であるならば「自宅や友人宅で有名なレトロゲームをやる」ことが、教養を学ぶことにつながります。iPodでゲーム音楽を電車の中で聴くのだって立派な教養学習です。神宮球場に野球を見に行くのだって教養学習でしょう*5。
よくよく考えれば、スーパーマリオをはじめとしたゲームは、日本人が地道に育て世界中から愛されるようになった貴重で偉大な産業です。ゲームにはどちらかというと不真面目な、暗い、だらしない、マニアックな、というネガティブなイメージが付きまといます。
でも、「教養」という言葉の本質を考えたら、ゲームは立派な文化で教養足り得る存在です。あとはその「教養の本質」をみんながしっかり認知して、それにつながるものに寛容な理解をして受け入れる土壌が出来てくるのが理想的なんじゃないかと。
...そんなことを昨日東京ゲームショウ2010に行ってきて、いろんなものを見てきて思った次第です。
*1:TGSについては明日までになんとか記事書いてみようかなと思ってます。調子に乗って写真撮り過ぎて収集つかなくなりましたw。
*2:ちなみにオレの同学年で大学に進学しなかったのはオレを含めて2人だけ、しかももう一人の彼も同じ会社(東京都新宿区)で働いてたりします。これ、結構凄い事だと思いません?
*3:同様に「水難事故にあったとき泳げないというのはダメ」「水が嫌いになると人生がつまらない」という理由でスイミングスクールにも通わされました。おかげで高校は水泳部、今もライフワークの一つですし、フリーター時代には市民プールで責任者代理にまでなりました。母は偉大だ!
*4:そこまで行くと若干イタい人ですが。
*5:ビール飲み過ぎたり試合展開に熱くなり過ぎてるのはもちろん×ですがw。