会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之十:真夜中ダウンヒル
四十一番札所:龍光寺
6時起床。東京でのオレの生活を振り返ると、信じられないほど早起きだが、早起きというよりは、早寝なのだ。疲れ切っているからあまり遅くまで起きていることができない。昨晩も早々に意識を失っていた。早く寝るから早く起きる。睡眠時間は旅の最中、5〜6時間くらいとあまり変動は無かった。ちょっと足らないくらいだと思うが、日中眠気が襲ってこないのは、退屈している暇が無いからだろう。
この日最初の目的地:龍光寺までは宿泊したホテルから10km程度。まだ暗いうちから自転車を走らせると、ちょうと日の出頃に龍光寺を打つことができた。
四十二番札所:佛木寺
次の仏木寺までは5km程度。特にアップダウンもなく、平坦な道なので、30分程度でたどり着いた。境内ではお遍路ツアーの老人たちが般若心経をコーラスしていた。
お遍路で各札所を打つ時にはマナー、というか手順がある。
- 山門(仁王門)で合掌・一礼
- 手水場で手を洗い、口をすすぐ
- 鐘楼堂で鐘をつく(寺によっては鐘がつけないので、その場合は省略可)
- 本堂でお詣り
- 大師堂でお詣り
- 納経所で御朱印をいただく
- 山門(仁王門)で合掌・一礼
これだけの手順が本当はある。あるのだが、時間的制約もあるのでそんなのやってられないし、納め札はともかくとして、ろうそくや線香のような壊れやすいものを自転車で積んで回るのはそもそも難しい。なので、最低限のマナーとして、本堂と大師堂で般若心経だけは唱えて、御朱印を頂くようにしている。本当はキチッとやった方がいいだろうが、本堂で手しか合わせない人もいるので、それに比べれば納経もしているわけだし、ナンボかマシだろう。
打ち終えて自転車まで戻ると、ちょうど仏木寺に着いたばかりの歩きお遍路の女性(40代後半?)に声をかけられる。「自転車で回るのは大変でしょう?」いやいや、歩き遍路の方に比べれば全然ですよ、と思ったとおりのことを返したら、思い切り笑っていた。なんとなく思うところがあったのだろうが、オレにはよくわからない。
四十三番札所:明石寺
距離は15km程度と短いが、またもや峠越え。しかも車なら通れる無料の高速道路が、自転車は通れない。大きく迂回し、2つほど峠を超える羽目になった。これから超える峠を見上げたとき、「本当にこれを登るのか?」「他に迂回路はないのか?」散々迷ったし、回避策を散々探したが、無かった。結局のところ、前に進みたければ困難からは逃げられないらしい。
かなり必死に登らればならなかったことと、木々が鬱蒼としていて景色があまり良く無かったこともあり、この道では写真をあまり撮っていない。上の写真は峠に差し掛かる前のものだ。
明石寺に着くと団体客が境内に溢れかえっていた。彼らはバスで、オレの行けなかったあの高速道路を通ってきたのだろう。心底羨ましい。お遍路をやれば精神修行になるというが、本当のところはどうなんだろうか? オレは訳のわからないところで勝手に理不尽な目にあい、訳のわからないことで勝手に他人を恨んでいる気がする。解脱には程遠い。
四十四番札所:大寶寺
次の大寶寺(大宝寺とも)までは約80kmのロングライド。またもや峠越え。愛媛県はオレに優しくない。
途中の道の駅で食べた芋煮うどん。気温はかなり低いが、汗対策のため薄着をしているオレにとって、こういう温かい料理はありがたい。
これを食べ終わって駐車場に出ると、若い女性が自転車のところで待っていた。彼女は愛媛新聞の記者で、県外の人から「愛媛の魅力」についてインタビューをしているらしい。オレの自転車の荷物に目をつけ、旅行者だとあたりをつけて声をかけたそうだ。さすが新聞記者、良い読みをしている。
とはいえ、オレも愛媛入りしたのは前日だ。愛媛のことなんて、正直何もわからない。飯だってコンビニでしか食ってない。今食べたばかりのうどんの感想でも言えばいいのだろうか。すると彼女がオレのカメラに注目して「写真を撮られるんですか?」と聞いてきた。そうだ、確かに愛媛県に入ってからはよく写真を撮っている。高知同様に海と山が近く、天候に恵まれたこともあって、休憩がてら何度か足を止めてシャッターを切っていた。そのことを伝えると、「ではそれで!写真も撮らせてください。」と頼まれ、フリップを渡された。オレはそれにデカデカと「絶景」と書き、自転車と一緒に彼女の向けるNikonに笑顔を向けた。
写真と記事は1/02の愛媛新聞の特集として掲載されるらしい。オレがこれを見ることはおそらくあるまい。が、良い記事になることは願っている。
四十五番札所:岩屋寺
次の岩屋寺もやはり峠越え。しかも、岩屋寺を打ったあとは松山市に移動しなくてはならず、そのためには同じ峠を越えて戻らなくてはならない。こういうのが精神的に一番堪える。必死の思いで登って下りて、もう二度とあんな思いをしたくないと思った矢先に、もう一度その登って下りてを反対からやらなくてはならない。自分で掘った穴をまた埋め戻す作業をさせられているようだ。
とはいえ、峠自体はなんとか1時間弱で超えることができた。できたが、岩屋寺に着いてからさらに難関が。岩屋寺はその名の通り岩崖に建っており、本堂にたどり着くのに20分以上、急な階段を登らなくてはならないのだ。なんたる罠、なんたる拷問。
岩屋寺を打って下りてくる頃には、17時にさしかかろうとしていた。本日のタイムリミット。
岩屋寺の帰り道でみつけた看板。売り文句にインパクトがありすぎる。時間が遅く既に閉店した後だったが、もし購入可能だったら試してみたいところだった。
この後が大変だった。
前述の通り、まずは岩屋寺に向かうために超えてきた峠を超えた。この時点で18時。
そこでまずは松山市内のホテルを予約し、確保できたところで国道33号線を通り松山市を目指す。この松山市への道が困難を極めた。
基本的に宇和島から松山に抜けるには、高速道路を使うしかない。が、自転車は当然通れない。自転車が松山市に行くためには、国道33号線を通り峠越えをする必要がある。しかしこの峠道がきつい。最初10kmぐらいはひたすら上り坂。しかも、街灯が全く無い。車通りも全く無い。闇夜の山奥で、オレはたった一人。自分の荒い息遣いだけが周囲に響く。真っ暗な中、自分の自転車のライトが照らす灯りだけを頼りに必死で登る。
と、今度は突然の下り坂。それも登ってきたよりはるかに長い。感覚的には20kmくらいはあったと思うが、実際にはわからない。日が暮れて急激に下がった気温、汗でびしょ濡れの体、時速50kmはあろうスピードで下る自転車。大声で「寒い!」を連呼しながら、真っ暗闇を独り自転車でダウンヒル。
頭によぎったのは「頭文字D」だ。あいつら車でこんな急勾配を猛スピードで下ってくなんて、頭がどうかしてる。そういえば最後まで読んでない。東京に戻ったら漫画喫茶で一気読みでもしてみるか。猛スピードへの恐怖に打ち勝つために、そんな下らないことを考えていた。
坂を下りきったらもうそこは松山市。そこから10kmほどさらに走って、松山駅近くのホテルにチェックインできたのは21時頃だった。
この日の走行距離
- 157.7km(+徒歩:5.8km)