ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

会社を辞めたので自転車で四国八十八ヶ所参りをやってみた。其之二:徳島到着

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 7時起床。フェリーと言うのは思いの外揺れるということに気づいたのは、床に入った後だった。船自体の揺れもさることながら、エンジン音もかなりのもので、どうしても落ち着いて寝られない。おかげで浅い睡眠しか取れず、夜中ちょいちょい目を覚ますことになった。過去に深夜高速バスも体験したが、どうもオレはこの手の類を寝床にするのが苦手らしい。割とどこでも寝てしまう図々しさを持っていると自認していただけに、まさかの自らの繊細さに呆れている。これからの道中、果たして大丈夫なのだろうか?


 ロビーに出て窓の外を見ると、どちらを見ても大海原が広がっていた。携帯電話もPocket WiFi圏外。どうやらかなり沖合らしい。7時に起床したのは、日曜日の習慣にしている「がっちりマンデー」を見るためだったが、地デジの電波も入らないようでテレビを見ることが叶わなかった。展望デッキも8時まで開放されないらしく、全くやることが無い。仕方なく簡単に朝食を済ませ、さっさと朝風呂に入って身支度を整える。


 電波の入らない携帯電話を「文鎮」に例えた人がいたが、個人的には文鎮よりタチの悪い存在だと思う。携帯電話をちょいちょい見る癖がついてしまっているせいで、電波が入らない=全く使えないと分かっていてもついつい目をやってしまう。まるで呪いだ。ジョジョ4部に出てくるチープトリックのような鬱陶しさを感じた。旅に出る直前にジョジョ4部の録画をまとめて見たせいでそう感じたのかもしれない。


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 8時になると展望デッキが開放されていたので、早速カメラ片手に上がる。幸い天気は快晴。フェリーのスピードが速いので風は感じたが、波は穏やかで落ち着いている。やはり旅に出る直前に見た映画「この世界の片隅に」の序盤で、瀬戸内の海に立つ白波を「海の上を白ウサギが跳ねる」と表現していたのをふと思い出した。もしかしたら「因幡の素兎」の伝説も、そんな様子を見た誰かから始まったのかもしれない。幸か不幸か白波が立つほど海は荒れていないが、海の上を白ウサギが跳ねるその様を一度見てみたいものである。


 フェリーが徳島に着くのは13時過ぎの予定。相変わらず暇。しかしよくよく考えてみれば、本当に全くすることが無いほど暇、というのは、数年ぶりかもしれない。なにかしら暇があったとしても、自宅であれば本も漫画もあるし、テレビもある。インターネットにもつながるし、外をブラブラすることもできる。船上ではそれらが一切ない。「ハチミツとクローバー」という漫画に、期せずしてカシオペア寝台特急に乗った女性が「みんなこの時間をお金を出して買うのね」という台詞を言うシーンが思い出されたが、生来せわしないオレにはまだ退屈を金を出して買う気にはなれない。もう少し年を重ねれば、こういう時間が欲しいと思うようになるのだろうか。


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via. http://www.geocities.jp/ikura13tsubu/hatikuro51-60.html


 そういえば、仕事用のノートPCを持ち歩かない生活も実に4年ぶりだ。一昨日まで従事していた案件では、24h365日の運用保守を実質一人でやっていたから、基本的にも応用的にもノートPCとPocket WiFiが手放せなかった。駅のホームや路上、居酒屋で障害対応したことは数知れず、ライブで訪れた日本武道館の正門前でノートPCを開きながら関係各所に電話をかけまくっていたこともあった。
 1日でも早くそんな立場から脱出したかったし、辞めたらせいせいするだろうと思っていた。が、実際のところ、未だ席は案件にあることもあってか、手元に障害対応できる道具が無いことに若干の不安を覚えている自分がいる。引き継ぎをしてきた仲間たちを信じていないわけじゃもちろん無い。が、自分一人でなんとかしなくちゃいけない状況が長く続いてきただけに、慢性的な職業病に罹患してしまったのだろう。実に良くない。
 業務システムの開発者として、運用保守を経験していることがどれだけ大事かということを、この4年間で思い知った。それがなければオレは運用保守まで考えて開発をすることをないがしろにしていたかもしれない。貴重で得難い体験だったとは思うが、もうちょっとイージーモードでも良かったんじゃねーの?と思わなくも無い。


 雲行きが怪しくなってきたので天気予報を見る。どうやら九州と四国は昼過ぎから雨になるらしい。なるほど最悪の出だしになりそうだ。徳島港到着まで2時間ほどあるが、急ぎ雨天用の準備をし始める。この旅は基本野宿のつもりだったが、今日だけは宿を取らないといけないかもな。

徳島港

 フェリー着港&下船。案の定徳島は雨。想定以上に降っており、降りてすぐに合羽を着込む。ここから一時間ひたすら土砂降りの中、第一番札所を目指す。写真?撮ってる余裕なんてなかったっつーの。

第一番札所:霊山寺

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 やっと四国八十八ヶ所参りの入り口に立つ。寺の境内はオレと同じお遍路さんと思しき人たちで溢れかえっていた。ツアー客が観光バスで参拝していたのが原因らしい。お遍路って、そういうもんなのか?


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 霊山寺の目の前にある売店で、お遍路に必要なものを一通り揃える。御朱印をいただくための納経帳、数珠、般若心経が書かれたミニ教本、袈裟と同じ意味を持ち首からぶら下げる輪袈裟。輪袈裟は紺地に金色の文字で般若心経が刺繍されたものを選んだ。なんだか年甲斐もなく中二病を発症しそうだ。
 本当は白衣や金剛杖、納め札など、他にも必要なものがいくつかある。が、荷物が満載だったこともあり、最小限に留めた。他はともかく納め札を買わない=納めないのはマナー違反なんだろうが、短期間に自転車で巡る都合、弘法大師様にはどうか勘弁していただきたいところ。


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 お参りは、大師堂と本堂でそれぞれ般若心経を一度ずつ読経。本当は他にもいろいry。


 お参りを済ませ、納経所で御朱印を頂こうとすると、所内が人で溢れかえっていた。御朱印待ちの列に並びながら観察していたところ、この第一番札所には「満願証」という、お遍路を全て回りきった証がもらえるらしい(たぶん1枚1,000円)。その人たちと御朱印をもらう人がそれぞれ並んでいたために、列が伸びてしまっていたようだった。お遍路20回目、なんて人も中にはいたから驚いてしまう。よくそんなに回れたもんだ。……たぶん車で回ったんだろうがな。

第二番札所:極楽寺

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 第一番札所から5分ほど自転車を漕ぐとあっという間に到着する。霊山寺と比べると参拝客はとても少ない。やっぱり第一番札所だけが混む傾向にあるのだろう。

第三番札所:金泉寺

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 こちらもやはり自転車で5分ほどでたどり着くことができた。参拝して自転車に戻ると、ご老人が近づいてきて「自転車でお遍路をやっているのか?」「泊まるところはどうするんだ?」と聞いてきた。いや、正確には、聞いてきたようだった、というべきだろうか、歯がないのかもごもごと発音がはっきりせず、はっきりと聞き取れないのだ。オレはなんとなく察して「その通り、自転車でやっている」「宿はまだ決めてない」という旨を答えると、老人は指で6を示した。どうやら第六番札所に行けという意味らしい。その意味がオレに理解できるのはもう少しだけ先の話だが、ここでは老人に礼だけ言って次の寺へ出発した。

第四札所:地蔵寺

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 地蔵寺は第三番札所からやや離れた場所にあり、かつアップダウンの激しい道を走ることになる。今回は野宿も想定してかなり重装備で来たため、なにせ荷物、特にリアのキャリアが重い。たぶん合計で20kgくらいにはなるかもしれない。この状態で走ると、なんでもない緩やかな坂が突然心臓破りの坂に化ける。とにかくちょっとした坂でも全く進まなくなる。仕方なく降りて手で押して進むことになるのだが、降りても荷物の重さは変わらないので、以前息がきれる道程が続く。さらには足への負担も大きく、一度は両足のももの筋肉が攣ってしまい、しばらく一歩も動けなくなってしまった。地蔵寺の手前1kmは上り坂で、攣った両足でこの坂を自転車を押していくのは本当に辛かった。
 なんとか地蔵寺にたどり着いた時には閉門間際の16:45。先に御朱印をいただき、急ぎ納経を済ませた。

第五番札所:大日寺

 地蔵寺を出発すると、今まで必死で自転車を押してきた坂を、今度は一気に下っていく。自転車乗りというのは上り坂が好きな生き物らしい。下り坂を一瞬で駆け下りる快感は必死で登りきった自転車乗りへのご褒美なのかもしれない。もっとも、オレは「なんであんな必死に登ってきたのに、下る時は一瞬なんだろう」と諸行無常を感じるタイプである。坂なんて大嫌いだ。


 そんなわけで大日寺には、1km以上離れているにも関わらず、地蔵寺を出発してわずか5分弱でたどり着いた。納経所では御朱印をくれた係りのご老人がやはりオレの今晩の宿を心配してくださった。雨が降っているのでさすがにオレも野宿をする気はなかったが、まぁなんとかなるだろうとタカをくくっていたのは間違いない。そのせいでこの後とんでもなくひどい目にあう。


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第六番札所:安楽寺

 まずは第六番札所まで移動。距離はそれなりにあるが、道は平坦なので20分ほどでたどり着くことができた。この時点で時刻は18時ちょい前、当然お寺は閉門している。日中は雨降りとてそれほど寒くはなかったが、日が落ちた瞬間から一気に気温が下がった。顔や手に当たる大粒の雨がまるで氷のようだ。
 ここから宿を探そうと、工場の軒先でiPhoneを取り出すが、宿が全くない。そもそも近くに宿がないし、半径20kmまで範囲を広げても空いている宿がひとつもない。自分の無計画さに途方に暮れていると、たまたま先ほどの第六番札所に宿坊があり、有料で泊めてもらえるとのこと。ダメ元で電話をするとご婦人の声で「食事は無理だが素泊まりであれば」と承諾してくれた。急ぎ道を戻りコンビニで食料を調達して第六番札所に向かう。


 到着すると、ちょうどこれから夜のお勤めを行うという。宿坊に泊まるお遍路さんたちに、ありがたいお経や説法が聞けたり、本来は入れない本堂などの中をお参りさせてくれるらしい。「会計は後回しでもいいから」と受付のご婦人に促され、飛び込みで参加させてもらう。


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※写真は翌朝撮影したもの


 ここで改めて和尚に合わせて般若心経を読経したが、どうにもオレのは我流だったらしく、これまでは色々と読み間違えをしていることに気づかされた。他、オレがお参りする際には省略しているご真言の詠唱をここで初めて行ったが、天空戦記シュラトを思い出してまた年甲斐もなく中二病を発症しそうになる。他、なぜか本堂内に川が流れていたりとビックリすることがあったが、個人的には参加できて良かったと思う。できれば雨でずぶ濡れの服装を着替えてからにしたかったが、まぁしょうがない。


 お勤め終了後に改めて受付を済ませ、部屋に通してもらう。タコ部屋のようなところを想像していたが、なんと10畳一間を好きに使って良いとのこと。風呂トイレは共同だが、風呂は温泉で、備え付けのコインランドリーもあった。雨に降られた後には大変ありがたいことばかり。
 電波はここでも携帯電話・Pocket WiFiともにほとんど入らない。暇なので仕方なくブログ用にこの文章をダラダラと書いているが、アップロードできるのはおそらく明日以降だろう。(※実際翌日晩の公開となった)


 テレビでNHKをつけると第二次大戦にシブヤン沖で沈み、最近になって海底で発見された戦艦武蔵の特集をやっていた。第二次大戦終盤の当時、戦艦大和とその姉妹艦である武蔵は日本の技術の粋とも言える超弩級戦艦として開発されたが、当時すでに航空戦に以降していたために、完成した段階でとっくに時代遅れだったのだそうだ。しかも航空戦の重要さに米国が気づいたのは、日本が仕掛けた真珠湾攻撃がきっかけだというのだから皮肉なものである。不沈艦と呼ばれながら時代遅れの遺物として爆弾・魚雷の袋叩きにあい、最後は使うことができなかった主砲の火薬が原因で内部から大爆発を起こして沈んでいったそうだ。乗組員の1/3近くがこの時戦死し、生き残った人の大半はその後陸戦に投入され玉砕していったそうだ。地獄から九死に一生、生還し、また地獄に送られる。悲劇の一言で済ませるにはあまりに惨すぎる出来事だが、現代の人はあまりそこから多くを学んでないのかもしれない。少なくともオレ自身はこの番組を見るまで知らなかったのだから。

この日の走行距離

  • 42.6km