果たせなかった祖母との約束
およそ一週間前の3/7、母方の祖母が他界しました。享年79歳。数え年で80だったそうです。
これだけ聞くと大往生のようにも感じるかもしれませんが、決してそんなことはなく、むしろ祖母の人生は波乱に満ちたものだったと言えると思います。
43歳の時に養蚕の作業中に階段から転落し、首から下がほとんど動かせない半身不随状態に。以来亡くなるまでの37年間を車椅子とベッドで過ごしました。母の他には息子*1がいましたが、30年前に若い命を自ら絶ちました。その時オレはまだ4歳、葬式に出席した記憶はありますが、白い布を被った叔父とその枕元に置かれたセブンスター以外は思い出せません。祖母や、母がどんな顔をしていたのかも。オレが叔父が自殺だったことを聞いたのは小学校に上がってしばらく経ってからでした。
言い換えれば、オレが物心つくまえに母の生家の物語は全て終わっていたのです。オレが知っているのは、その残り火のような人生でした。
既に母が嫁いだ後だった母の生家は、跡取りを失い、大きな屋敷と広い農地を抱えたまま、動けない祖母を祖父が看病するという老老介護のひっそりとした生活が続きました。祖父が老いて祖母の世話が出来なくなってからは、祖母は老人介護施設に居を移し、風邪をこじらせて他界するまで、その大きな屋敷に戻る事はありませんでした。
祖母については、以前こんなことを書いた事があります。
それでも、オレは祖父や祖母や母から愚痴らしい愚痴をこれまでただの一度も聞いた事がありません。特に祖母は、明るく社交的で、むしろ口うるさいくらいで、いつも明るく元気だった姿が思い出されます。半身不随でろくに動かない手を器用に使い、立派な刺繍や折り紙細工をいくつも作り、水彩画を描いては周囲の人間に配っていました。今でも母の生家には祖母の作品が沢山飾られています。オレや妹は母の生家に遊びに行く度に祖母の車椅子をオモチャ代わりにして家中乗り回していたので、よく祖母に怒られました。
残り火ではありましたが、それでも周囲を照らすには十分過ぎるほど明るい火だったと思います。
母からメールで祖母の他界の知ったのは3/7の朝10時をわずかに回った頃。他界からまだ10分も経っていない時間でした。オレは簡単に母に連絡をくれたことに礼だけ書いてメールを送り、その他の帰省の段取りや葬式の詳細については親父と連絡をとりました。母親を亡くしたばかりの母と話をするのが怖かったのです。母にどんな言葉をかけて良いか、オレには全く分かりませんでした。
葬儀の際、一番胸がつまったのは、祖母を納棺するその間際に、母が祖母に声を掛けた姿を見た時でした。長年母が祖母を世話して来た様子とまるで変わらず、いつものようにそっけなく、祖母の額に軽く手を当て、短く声を掛けていました。とても短い言葉だった事は、母の唇の動きで分かりましたが、それが「またね。」なのか「おつかれさま。」なのか「ありがとう。」なのか、もっと別の言葉なのかは分かりません。オレはその二人の様子を、納棺の儀の取り巻きからやや外れたところから眺めていました。喪主の長男がみっともない姿を親戚に晒してはならないと、表情を変えずに頬の内側を噛み抜くのが精一杯でした。
祖母を空に送ったのは、母の生家から車で15分ほどの山中の火葬場でした。冬の終わりの暗い山間にあるその施設は、まるでこの世の終わりのような風景でした。せめて夏だったら鬱陶しくも溢れる緑が慰みになる場所だったろうに。こんな所から祖母を送ってもいいものなんだろうか。そんなことを考えたりもしました。
それでも、死んだ後は選べないのが土地に縛られた人間の最期です。オレもそうやって、地元の曹洞宗の坊主に経を上げてもらい、山の麓にある指定の火葬場で焼かれ、生家から歩いて10分の自分の家の墓に入ることになります。自分が望む望まざるに関わらず、です。金が勿体ないから葬式なんてしなくていい、なんて遺言を遺すことさえ許されない。そういうものだと自覚しているし、それをだいぶ前から受け入れています。身内の誰かを送る度に、その確認作業をしているような気持ちにもなります。
盆や正月に故郷に帰る際には欠かさず祖父母に会いに行くようにしていました。最期に会ったのは今年の正月です。だからというわけでもないけれど、今でも祖母の顔は鮮明に思い出すことができます。
死んだ人との思い出は美しい、なんてよく言いますが、確かにオレの思い出す祖母も、やっぱり笑顔です。ただ、どちらかというと、いたずらを働いたばかりの悪童のような、悪辣とした笑顔です。祖母はオレが帰省する度にこう言いました。
「嫁さんはまだかな?」
「ヨウイチはいつになったら結婚するのよ?」
「ひ孫の顔はいつになったら見れるんな?」
「いつになったら飯田*2に帰ってくるのよ?」
オレの結婚と地元に帰ってくるタイミングを必ず聞いてきました。それを問われるとオレはいつもバツが悪そうに「頑張ってるんだけどなかなか難しくて」「できるだけ早く実現出来るようにするから、もうちょっと待っとってよ。」と返すのが精一杯でした。それが分かっているから、その時の祖母の顔はいつも悪辣とした笑顔でした。オレの困った顔を見るのが面白かったのでしょう。
祖母が悪辣とした笑顔で問い、オレが戸惑いながらも返したそれは、確かに祖母とオレとの約束でした。祖母に対して明確に意思表示をしていたわけではないけれども、オレ自身にその意思があった以上、守らなければいけない約束だった。オレはその約束を守れませんでした。
墓前に誓いを立てる、なんて話をテレビや漫画ではよく見ます。
でも実際には、死んだ人と約束をするなんてのは無意味な行為でしかありません。人は死んだら無くなる。どこまで行っても死んだままです。生き返ったりはしないし、誰かの心の中に生きたりもしない。天国も無いしあの世で見守っているなんてこともない。
もし誓いを立てるんだとしたら、それはやっぱり自分に対してなんだと思います。
だからオレは改めて祖母の亡骸を前に約束をしました。今度は祖母との約束じゃない、オレ自身の、オレの為の決意です。もう祖母のようにわざわざ聞いてくる人はいません。でも自分がこの約束を振り返った時、きっと一緒に思い出すであろう祖母の悪辣とした笑顔が、オレの背中をきっと押してくれるでしょう。生前の祖母がオレにとってずっとそういう存在だったように。