ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

日常に+1して深堀りする

 どーも、一度は物語をちゃんと書いてみたいと思ってるワナビーなタキガワです。一度も書くのにチャレンジできてないから、ワナビーにさえなれてない、が表現として正しいのか。


 オレは周囲の人間にはアニメオタクっぽく思われてるようですが、実際には殆どアニメを観てないです。1クールに1作品見ていれば多い方でしょうか。昔はもうちょい見てた気もしますが、最近深夜アニメも観なくなったのは……飲んで帰ってくることが多すぎてテレビ観ずに寝落ちしちゃうからでしょうな。良い子と良い大人はお酒の飲み過ぎには注意しましょう。

 そんなオレが今クールは珍しく2作品を追っかけてました。1つは今話題の「けものフレンズ」、もう1つが「亜人ちゃんは語りたい」です。前者は話題だからというのが見始めた理由ですが、後者は妹が録画してたのに付き合って観てた感じです。とはいえ、オレが苦手な作品は、妹はオレが不在の時に観てくれるので、付き合って観てるうちにオレもハマった、が表現として適切かもしれません。

kemono-friends.jp
demichan.com


 そしてもう1作品。先ほどニコニコ生放送タイムシフト視聴で一挙全話放送で「ふらいんぐうぃっち」を一気に観ました。いやぁ、面白かった。
 横浜で生まれ育った新米魔女の女の子が、高校進学を機に青森の親戚の家に居候しながら修行をする、というのが主なあらすじ。魔女や魔法使いというとハリーポッターさながらの非日常なファンタジーの世界を思い浮かべるかもしれませんが、この作品ではそういった派手な演出は抑えられており、魔女が自然との親和性を大切にする、という設定のもと、自然の多い青森での生活を丁寧に描いた、いわゆる日常系な内容になっています。


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 「亜人ちゃんは語りたい」と「ふらいんぐうぃっち」はとてもよく似ていると、作品を視聴していて感じました。どちらも日常系だからであり、どちらも既存の架空のものをちょっとだけ足している。「ふらいんぐうぃっち」は「魔女」で、「亜人ちゃんは語りたい」は亜人(吸血鬼、デュラハン、雪女、サキュパス)。足した要素を丁寧に丁寧に掘り下げ、同じように日常(≒現実)を丁寧に描写することで、日常を破綻させないようにしています。
 その辺の最たるが「シン・ゴジラ」なんですが、こちらは追加した要素が苛烈すぎて、日常が破綻しちゃうというか破綻せざるをえないのが、前述の2作品と異なるところかもしれません。(数話しか見たことないんで自信ないけど、東京喰種も同系統かも)


 オレは週刊少年ジャンプを読み、スタジオジブリ映画を観て育ったせいか、どうも物語を作る、というと、とんでもない大スペクタクルな話を作らなくてはいけない、他人が絶対に思いつかないような話にしないといけない、と物凄く大仰に構えていたような気がします。

 でもそうではなく、既存のファンタジー要素をちょっとだけ目の前の現実に足して、それを丁寧に深堀りしていくことで、今までにない新しい作品を作ることができるんだなぁ、と、これらの作品に教えられた気がします。まぁその「丁寧に深堀り」が大変な作業でセンスを伴うものなのは、言うまでもありませんが。


 明日からはもうちょっとだけ日常と丁寧に向き合ってみようと思います。その中で「+1」できる何かを見つけることができたら、オレもワナビー未満から卒業できるのかもしれませんね。