ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

「人見知り」が「人見知り」のまま社交的にふるまう7つの方法


はじめに


 一ヶ月くらい前になるんですが、RSSかなにかで流れてきた上記二記事を拝見しました。新社会人が新しく入った会社で良好な人間関係を築くコツ、非コミュなりに上手くコミュニケーションを取ろうとする方法が分かり易く解説されている良記事だと思います。お二人のように飛び抜けた活躍をされている方々が、ひきこもりだ非コミュだと言われても、「いやいや何を仰るうさぎさんw」と訝しがってしまうものですが、オレはお二人とも面識が無いので勝手に決めつけるのもどうかと思いますし、まぁご当人がそう言われるのであればそうなんでしょう。



 これらの記事を読んでいて思ったのが「そういえばオレも極度の人見知りなんだよなぁ」ということ*1。オレは生来、人と会ったり話をしたりするのが物凄く苦手です。


 …というようなことを書くと、直接オレと面識のある方はおそらく真逆の印象を持たれるんじゃないかと思います。実際のところ、オレは120人以上が所属する今の会社の中でも最も顔が広い人間の1人に該当しますし、社外勉強会にも頻繁に顔を出席しており、懇親会なんかも極力出席するようにしています。誰とでも話をしますし、ある程度ユーモアを交えながら円滑に話せているという自負*2もあります。


 でも、それらは「表向きの姿」にすぎません。例えばオレは、休日は基本自宅でおとなしくしていますし、たまに出かけても街中で知り合いを見つけると極端に遠回りになっても全力でその人に逢わない道順を選択します。
 以前家族で「横断歩道で信号待ちをしていて、向こう側に知り合いが同じように信号待ちしている、でも向こうはまだこちらに気付いて無かったとしたら、声を掛けるか?」という話題になったところ、父母妹全員「ありえない!」と声を揃ったのには、血縁ながらさすがに呆れました。尤も、そう聞いたオレ自身の回答もやはり同じだったのは言うまでもありません。遺伝子レベルまで染み込んだ筋金入りの人見知りです。



 それを変革するには、それなりにきっかけがありました。オレは、小学生くらいの頃に、人前でボソボソ喋る学友の様子やなんかを見て、「人見知りかどうかはともかくとして、それを表に出すのはとんでもなく格好悪いな」と感じたんですね。特に尻切れトンボ的に語尾がだんだん小さくなっていって最後には聞き取れなくなるのが本当に気持ち悪かった。たしかに、先生に授業中に当てられるなど無理やり人前に立たされて強引に喋らされていたし、やむを得ない部分もあったにせよ、あんなに格好悪い姿を晒してしまうのはどうなんだろうと。ドラマやアニメで見る同年代の子供で、あんなボソボソ喋る子供なんていません。なにより、「恥ずかしくてボソボソ喋っていると余計に恥をかく」という悪循環が許せなかったのです。
 以来どうにか「他人の前で格好悪く思われない程度に人見知りを隠せないか、あわよくば社交的にみられるようにできないか?」とあれこれ考えて対策を続けてきました。結果として今オレの事を「人見知り」だと思う人は、おそらく殆どいないんじゃないかと自覚できるようにまでなってきました。でも実際その内側は前述の通り「人見知り」、例えるなら、ヒドイくせっ気を縮毛強制パーマかけて無理やりストレートに見せかけたような「エセ社交派」です。知ってる人が見ればなるほど分かる、みたいな。


 前置きが長くなりましたが、そんなこんなでオレが二十数年間培ってきた「人見知りに見せない方法」をいくつか披露したいと思います。万人に通ずるものではないかもしれませんが、ある程度テンプレート的に活用できるものだとは思いますので、自分流にアレンジして使ってみて下さい。以下目次。

  1. 社交的になることのメリット・デメリットをきちんと考える
  2. 自分を切り替えるスイッチを作る
  3. 相手の目を見ないで話す
  4. 全自動の「型」を作る
  5. 他人の口調をパクる
  6. 勉強会やサークルに積極的に参加する
  7. 「個性」なんてクソの役にも立たない

1.社交的になることのメリット・デメリットをきちんと考える

 自分の中で動機の弱いものに対して頑張るのは、どんな人間であっても無理です。一瞬頑張れたとしてもモチベーションが続きません。人格改造というのは、たとえメッキレベルであっても相当パワーを使うのですから、自分の中で明確に「頑張ることで得られるメリット」をハッキリさせておく必要があります。


 同様に、「自分を社交的に改造する」ことのデメリット…「労力の大きさ」と言い換えてもいいかもしれませんが…も把握しておきましょう。メリットとデメリットを比較して、釣り合わなければ諦めるのも手段です。ただ、それが本当にデメリットなのかどうかは「なぜなぜ5回」などできちんと検証しておく必要があります。
 「なぜなぜ5回」というのは、アジャイル開発のふりかえりなどで用いられる手法なんですが、ひとつの疑問や設問に対し「なぜ」を5回繰り返して問いかけることでその問題の本質が見えてくる、というものです。例えば…

  1. なぜ人前でスピーチをしたくないのか → みんなの前で喋るのが恥ずかしいから
  2. なぜみんなの前で喋るのは恥ずかしいのか → 失敗するかもしれないから
  3. なぜ失敗すると恥ずかしいのか → みんなに笑われるかもしれないから
  4. なぜみんなに笑われるのか → 壇上の失敗した様子が面白いから
  5. なぜ失敗するのか → 練習不足だから

これですと「練習不足を克服してよどみなくスピーチできれば恥ずかしい目に遭わないのでスピーチに対する障害が無い」という事が判明します。また「なぜ」という設問ではないですが、5番目の問いを「本当にみんなは失敗すると笑うのか?自分が観客だったらどうするか?」と変えると、「自分はちょっと失敗したくらいじゃ笑わないから、みんなも笑ったりしないだろう」という別の結論が導き出せるかもしれません。そうやって物事の本質を導き出して「自分を社交的に改造するデメリット」が本当にデメリットなのか分析してみると、実は対してデメリットでもなんでもないということが分かったりもします。


 あ、あと、意外に心理的ハードルが高いのが「自分の喋り方」「クセ」です。例えば吃音が出る、どもってしまう、声が小さい、ゆっくりしか喋れない、etc…。でもこれらは、自分自身は結構気にするんですけど、他者は案外気にしません。小学生ならともかく、大の大人がそんなことでからかったりしませんから、安心していいと思います。逆にこれらをからかうような大人がいたら、そいつは真性のクズ野郎なんで人間関係を清算した方が後々有意義な人生が過ごせると思いますょ。




2.自分を切り替えるスイッチを作る

 社交的に振る舞うというのはけっこう疲れます。それが人見知りであればなおさら。何もそんな疲れるものに常時配慮し続ける必要はありません。気を遣うべき相手がいないのであれば社交的である必要もないんだし、そんなモードはOFFにしておきましょう。


 オレは社交的に振る舞うスイッチを2つ用意しています。「仕事」と「お酒」です。仕事には学生が先生に当てられて回答させられる場面や生徒会等で発表する際なんかも含みます。


 「仕事」は「人見知り」とかノンビリしたこと言ってるとお話にならないので、覚悟を決めてやります。プログラマならドキュメント書くのと同じです。それをやるからお金が貰える、やらないなら貰えない。お金が欲しかったらやることはやっとかにゃ。初対面の人と話したりするとき、SODECのようなEXPOで係の人と話をする時なんかには「これは仕事!」と頭の中で叫んで奥歯噛みしめて相手との会話に入ったりしてます。座談会形式の社外勉強会なんかでもこの「仕事」スイッチは有効です、「仕事っぽいもの」と自分の中で分類してあるんでしょうね。


 「お酒」の場合はもうちょっとラフです。いわゆる「お酒の力を借りる」という行為なんですが、さすがにお酒が喉を通った瞬間に酔いが回るということは、通常ありえませんので、自分で「お酒飲んだら行ける!」という暗示を多少かけていて、とりあえずビール一口分が喉を通れば「お酒の力を借りる」を強引に発動できるようにしています。ちなみにオレは一般的な人よりお酒がやや強い方だと思います。
 例えば、勉強会後の懇親会は「仕事」ではないので、「仕事」スイッチは使えません。だから、勉強会終了後から懇親会会場へ移動する際なんかは、どのスイッチも引っかからないんで、会話に交ざることができず非常に苦痛です。この苦痛は最初の生中が自分の目の前に届いて乾杯の音頭が取られるまで続きます。(この時間帯のオレを観察してると、おそらく挙動不審で目が泳いでいるはずw) が、一口飲んじゃえば「お酒」スイッチが入るので、後はなんでもどんと来い!ってなもんです。


 まぁ要するに、「自己暗示」の一種ですね。5円玉ぶら下げて「あなたはだんだん眠くなぁ〜る」とか子供の頃やらなかったですか? あれを自分で自分にやって、自分で引っかかってる感じです。「自己暗示なんて馬鹿げてる」なんて思うかもしれませんが、本気でやればそこそこかかります。信じる者は救われる。自分の言ってること・思ってることくらい信じてやらにゃあ。


 上記はあくまでオレの話です。当たり前ですが、未成年が「お酒」をスイッチに使うのは止めましょう、もっと別のスイッチを用意してみて下さい。

 TDDやきのこ本で有名な@t_wadaさんは、プレゼンの前に必ずRedBullを飲んでるそうです。氏曰く「プレゼン前日は徹夜で準備することが多かったから、気力を振り絞るために飲んでたけど、いつしかそれが儀式のようになった」とのこと。これもある種のスイッチだと思います。要は「条件付け」が出来ればいいので、コーラでも薄荷キャンディでも何でもいいので、普段食べない・飲まないけどそれなりに味にインパクトがあるものを、毎回初対面の人と会う時や人前で喋る時に摂取して、徐々に「スイッチ」を作っていければよいと思います。ちなみに、この条件付けアイテムに「にんにく」とか「かつ丼」とかを用いるのは止めましょう。前者は人前に立つのに口臭が激しいのは社交的うんぬん以前の話ですし、後者は人と会う度にそんなボリュームとカロリーの高いものを食ってたら、別の意味で存在感が増すことになりますよ。




3.相手の目を見ないで話す

 「目は口ほどに物を言う」なんてことわざもありますけど、口以上にその人の思惑を語る「目」は、人見知りにとって相手の目とは恐怖の対象でしかありません。ならばいっそ見ないで話しましょう。


 オレは人と正対して話すとき、相手の「鼻」もしくは「口」を見て話します。「目」は極力見ません。だって怖いもの。目を見ないだけで、相手から受ける威圧感はだいぶ和らぎます。オレの実感だと80%くらいは緩和できるはず。
 一方で、相手に与える印象もぐっと和らぎます。向こう側もやっぱり自分の「目」から受ける威圧は相当なもの。人見知り度に関係なく、相手も自分も同じ人間なのだから、受ける影響も同じだということです。かといって明後日の方向を見ていたらやっぱり印象は悪くなります。なんとなく目を見ているようで、目を見ているほど影響を与えない部位を見るくらいが、コミュニケーションにはちょうどいいと思います。


 だから逆にいうと、キャバクラとかでは「目」を見た方がアフターに連れ出せる可能性が高くなるんじゃないですかね。アフターやったことないからわかんないけど。




4.全自動の「型」を作る

 初対面の人と話をする時にオドオドしたりするのは、会話の糸口が見つけられないことが原因のひとつです。上手く会話できなくて「なんか話さなくっちゃ」と焦って挙動不審になったり、目が泳いじゃったりするわけですね。では、なぜ上手く会話できないか、それは何を話すかで迷ったり話題を探したりするからです。相手の前でいちいちシークしてりゃ挙動不審にも見えますわな。仲の良い人と話すときなんかは、いちいち考えて喋ったりはしないでしょ? もし初対面の会話に決まったシナリオがあれば、いちいち悩んだり迷ったりしなくて済むのに…。


 だったらシナリオ作っとけばいいんじゃないですかね。初対面の相手との会話を、予め考えておいて臨むんです。大抵初対面同士は共通項が少ないので、天気が時事ネタか出会ったシチュエーションに応じた内容(ex:勉強会だったら勉強会のテーマ)で想定しておけばOKです。完璧に一字一句考えてなくても、大体の内容を考えておいて実際に話した際相手と食い違ってなければ話はそこそこ盛り上がります。
 「シナリオ作るっていったって、そんなの何度も通用しないだろ?」って思うかもしれませんが、どうせ初対面なのは最初の一回だけ、あと何回か話してればだんだん互いの事が知れてきて、自然に話せるようになりますよ。そしたらいちいちシナリオを前もって作る必要もありませんし。


 そういえば、プレゼンの達人は、いくつか使えるテンプレの「アドリブ」を用意しているんだそうです。で、それをことあるごとに引っ張り出してきて「あ、このネタには反応しなかった」「このネタは受けた」とリトマス試験紙的にテンプレアドリブを利用して、会場がどんな人たちで、どの程度リアクションを返してくれるかを試すんだそうです*3。これも一種の「型」なんじゃないでしょうか。




5.他人の口調をパクる

 自分が他人と話していて、相手の喋り方や喋った内容で「上手いな」と思ったものがあれば、遠慮なくパクリましょう。自分が面白いと思ったものは、よっぽど他人と外れたセンスをしてない限り、他の人も面白いと感じるものが多いです。活用しないテは無いです。ただ、口調をパクっていることを指摘されたらアッサリ認めましょう。

  • そうそう、上手いこと言ってたから使わせてもらった
  • 面白かったから頂いちゃいました。(テヘペロ

とか言っておくと、パクられた相手もそんなに悪い気はしないはずです。

 他人のモノマネであることに心理的抵抗があるかもしれませんが、それは割と簡単に払拭できます。しつこく使い続けているとパクリ元がだんだん使わなくなってくるんです。誰だってワンパターンな発言しかしないと思われるのはイヤでしょ?だから自分発信のオリジナルであってもそのうち使わなくなったり言い方を変えたくなったりするんですよ。そしたらパクったこっちがオリジナルです。同じようにこちらもちょっとずつ自然にアレンジが加わるので、だんだん違和感なく自分の言葉として使えるようになってくるわけです。


 ただ、芸能人の持ちネタ*4は有名過ぎて「劇薬」なので、扱いに注意しましょう。あんまり使いすぎると鬱陶しいと思われますよ。




6.勉強会やサークルに積極的に参加する

 「なんで人見知りが積極的に他人に絡まにゃならんのだ!自殺行為か!?」と思うかもしれませんが、まぁ話は最後まで聞け。


 これが有効なのはコミュニティに参加したての頃です。例えば「新しい会社に入社・転社したばかり」「引っ越したばかり」などなど。この状態では周りは360°知らない人です。会う人会う人みんな初対面。気疲れどころの話じゃないくらいシンドイですが、そこで生きていくと決めた以上、避けても通れない。最初にコミュニケーションを交わせるようにしておかないと、妙なレッテルが貼られたり欲しい情報が来なかったりと不利益ばかりが生じます。その割に向こうからは来てくれない。転校生がチヤホヤされるのはアニメや漫画だけです。何もしないでいるとほむほむみたいに近寄りがたい謎の人になってしまうのが現代社会の世知辛いところです。


 だからこそあえて逆を行く! 自分からその最たるところに身を投じるようにしましょう。

 大体それなりに歴史のあるコミュニティだと、勉強会なりクラブ活動なりが存在します。そこに自分から参加させて欲しいと申し出ます。最初だけは勇気が要りますが、「あらあらこの人初めての人なんだから優しくしてあげないとね」とばかりに向こうから色々世話してくれるので、後は他の人の後を着いていけば良いし、分からない事は分からないとちゃんと聞くようにしとけば大体なんとかなります。返答に困ったときは愛想笑いでもしておきましょう。そのうちだんだん慣れて、仲の良い人も1人2人出来てくるでしょうから、そこから先は上手くその人に協力して貰いながら範囲を広げていけばいいんです。


 新米お母さんの公園デビューなんてのは、これの代表的な例じゃないですかね。馴れ合いみたいに見えて気持ち悪いと感じる人もいるかもしれませんが、オレは非常によくできた仕組みだと思いますね。上手に利用しないテは無いでしょう。




7.「個性」なんてクソの役にも立たない

 突然ですが「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」というライトノベルを読んだことはありますか? アニメ化もした作品なので、小説は読んだこと無いけど深夜テレビで見たことがある、という人もいるかもしれません。この作品にはライトノベルよろしく、可愛いが個性が極端に強い女性キャラクターが数多く登場します*5。そしてそのどれもが自身の個性を重んじる。「これを辞めたらあたしがあたしじゃ無くなる!それだけは許せない!」みたいな台詞をキメ顔で言うわけですよ、小説だからキメ顔かどうか知らんけど。オレはこれを見るといっつも思うんですよね。





 個性ってそんなに大事か?





 オレが今まで紹介した方法は、その殆どすべてが「個性を消すための手法」に他なりません。他人の口調パクって真似ろ、なんてその最たる例です。オレはそれを二十数年間やり続けてきて、その全てがコピーとパクリとテンプレで成り立っています。自分オリジナルのものなんて何一つありません。仕事だってたまたま学校の友達の家で遊んだファミコンがきっかけでIT業界目指したに過ぎないし、今死ぬほど好きなサッカーだって会社の先輩の影響です。他人より早く泳げるのだってライフガード経験があるのだって母親に無理やりスイミングスクールに通わされたからだし、漫画やアニメに詳しいのだって叔母が元漫画家で妹がアニメ制作業だからだし、酒が好きなのだってバイト先で強制的に飲まされ否が応でも酒に強くなったからこそです。オレのオリジナルなんて腰痛くらいなもんでしょう。


 でも、コピーとパクリだけで成り立ってるはずなのに、それでもオレは周囲から「変人」「個性が強い人」と呼ばれます。だったら、なんとなく前に立って目立った人がアクが強く個性が際立って見えるだけで、それ以上でもそれ以下でも無い、というのがオレの認識です。「個性」になんて、その程度の意味しかない。


 先ほども述べたように、ここで紹介した方法は「個性を消して社交的な人物像を一時的に上塗りする」ためのものです。こういうのを紹介すると、自分の個性を変える・消すことに嫌悪感を感じ、拒否反応を示す人がいるかもしれません。それはそれで正常なことなんだと思います。人は変わることを恐れる生き物なのですから。

 ただ、自分を変えようとして努力して、変わった自分もやっぱり「自分」ですし、そこにはちゃんと「個性」が存在します。前とは違う形かもしれないけど、それは新しい「個性」で、元々持っていた個性を含む、一回り大きくなった「個性」なんだと思います。もし今の自分の「人見知りという個性」で不利益が生じていて、それでも「個性」にこだわるのであれば、本当にそれはしがみつくべき「個性」なのか、もう一度ちゃんと考えてみましょう。


 オレの好きな、タレントで落語家の笑福亭鶴瓶さんの逸話があります。少し引用します。

(― 前略 ―)

「俺に話しかけるとき、みんなちょっと笑てはるやろ。山田洋次さんが『いいよなあ、鶴瓶さんは。寄ってきたら、みんな笑ってる』って言ってた。俺、それ、望んでたんやもん。若いときから。自然にしてるというよりも、目指さないとできない。子供が『ツルベ!』って言ってくれるのは、『ツルベ!』って言ってもらおうと思ってやってることなの。だから自然じゃないよね。だけど、そうやってることが三十八年続くと、もう自然なの。だからよう言うの。俺、ホンマにどんな性格かもわからんようになってもうたって」
 彼は笑った。
「つまり、嘘か本当かわからん。嘘も本当になってるということやろうね。でもそれが正解なんよ。人間って、もうね、五十過ぎたらどれが実体かわからんことで出来上がっている。人に対してイヤな人やなって思われてさえなければ、すべてそれが正解なんよ。その人は頑張ってるの」

(― 中略 ―)

 タモリさんが「いい人」じゃなくて、「いい人だと思われたい人」と言ったのは、鶴瓶さんが裏表のある人間だと言っているのではなくて、「いい人じゃないといけない、と努力し続けている人だということなのだろうなあ、と、このインタビューを読んでわかったような気がします。

(― 後略 ―)

引用元:タモリに「アイツは、『いい人』じゃなくて、『いい人だと思われたい人』なんだよ」と言われた男 - 活字中毒R。


 大丈夫、変わってもなにがあっても、やっぱり「自分」はどこまで行っても「自分」ですよ。だから「個性」なんてものに縛られないで、嫌がらずに怖がらずにチャレンジしていって下さい。




最後に

 ここまで二十数年間かけてオレが確立した方法をご紹介してきました。参考になるかどうか分かりませんが、もし良かったら使えそうなところだけでも活用してみて下さい。


 最後に。

 ここで紹介した内容は、それなりにいきなり完璧にこなそうとすると相当シンドイです。だから必要な時…初対面の人に会う時などに限定して使うのが良いと思います。所詮付け焼刃のメッキですが、メッキで十分、その瞬間だけそこそこ良く見えればいいんです。そのうち親しくなるし、メッキの発動にもだんだん慣れてくるでしょうから。

 それに、たかがメッキといっても、貼り続ければ相当な分厚さになります。二十数年間貼り続けたオレのメッキは、貼りムラもあるしやっぱりただのメッキにすぎなくて、性根は何も変わってないけれど、それでも「こいつがひきこもりな訳がない!」と断言される程度には効力を発することが出来ています。継続は力なり、なんていうほど格好良いもんじゃないですけどね。
 メッキだって分厚く分厚く貼ってけば比率で純金に迫るかもしれない。開き直って続けてれば、それなりに本物に見間違えることだって、あるかもしれませんよ。



*1:「人見知り」であって、「ひきこもり」ではないと思う。「味スタは我が家!」と見るのであればひきこもりかもしれないが。

*2:自分じゃ正直よく分かんないですけどね

*3:だからその人の同じプレゼンを何度も見てる人には「あー、またこのネタやってるよw」と思われるそうなw。

*4:例:「フォー!」「そんなの関係ねぇ!」「ワイルドだろう?」 etc...

*5:相反して男性キャラクターの個性が薄いのもライトノベルならでは