ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

一休和尚は言うけれど。



 正月休みに帰省して久々に祖父母に会いに行った。父方の祖父は数年前に他界しているので、オレにとっての祖父母とは、母方の祖父1人と祖母2人がそれにあたる。オレが帰省したのは1年ぶりだから、一年ぶりの再開だ。だが、オレがショックだったのは、久々に会った彼らはオレの記憶にいる彼らとはまったく一致しなかったことだ。


 祖父は母の生家の居間でこたつにあたっていた。盆だろうが正月だろうが気忙しく動いてた祖父が、以前であればのんびりこたつに当たっている姿など一度も見たことが無い。ましてや直前にオレらが行くと連絡してあったのだから、いつもなら出迎えようとお茶を入れたり出前を取ったりと大抵においてバタバタしているのが常だ。ところが今回はそうでは無かった。背中は丸くなり、体は明らかに一回り小さくなっていた。玄関には杖が立てかけてあった。

 オレは祖父のグラスにビールを少なめに注いだが、返事は殆ど無かった。というより、せっかく会いに行ったのに殆ど会話らしい会話を交わさなかった*1。祖父の声は小さく、大概において彼の声は聞き取れなかった。お袋が大きな声でガミガミ言うのを一方的に受け入れる、そんな有様だった。祖父の顔には張りがあり、赤みがさしていて健康そうではあったが、一方で眼に光を見出すことはできなかった。祖父はオレらが買ってきた寿司や総菜をほんの少量しかつままず、オレの注いだわずかなビールが空になると、あとは淡々とテレビ画面を見つめながらお茶をすすっていた。最後に我々が帰る際、玄関まで出て「それじゃあ達者でな。」と見送ってくれたところは昔と変わらなかった。


 母方の祖母は病院付属の老人介護施設の四人相部屋の一隅にいた。以前こちらにも書いたことがあるが、祖母はオレが生まれる以前の事故で首から下が満足に動かない*2。以来祖父が自宅で面倒見ていた*3が、祖父が面倒見るには年を取り過ぎたこともあり、現在は施設にお願いしている。

 祖母の様子は一見昨年と変わらなかった。ただ、声は明らかに小さくなっていた。オレが殆ど聞き取れないほどだった。祖母は割とモノをはっきり言うタイプの人だったが、ろれつもあまり上手く回らなくなっている。加齢のせいかと思っていたら、どうもそうでは無いらしい。訪問して10分程度経っただろうか、お袋が身の回りの世話をしながら話をしていると、突然祖母が「目覚まし時計が気になる」と言い出した。故障しているんじゃないかと疑っているらしい。なんでも想定外の時間外に鳴り出して、相部屋の別の老人に怒られたらしいのだ。祖母は体が不自由だから自分で止められないので、なおさら神経質になっていた。おそらくそのせいで、もしくはそれ以前から、同じ部屋にいる赤の他人に気を遣い過ぎてしまい、声も満足に出せなくなってしまったのだろう。喋らなければ声も小さくなるし喋り方も退化する。そのせいで祖母の明朗快活な喋りは失われたのだ。


 最もショッキングだったのが父方の祖母だ。祖母は、前述の祖母とは異なる老人介護施設に入っていた。長年の祖父の介護の末、パーキンソン病を患った祖母は既に手足が満足に動かせなかった。両の拳は固く握られ、いびつに変形してしまっている。左手は絶えず震え続けている。ただ、ここまでは前回会った時と一緒だった。

 親父はオレを指差して「誰だか分かる?」と祖母に尋ねた。祖母はオレの顔を眺めてしばらくすると「陽一君だら?良く来たなぁ。」と答えた。こちらの祖母の声量は聞き取れないほどではない。滑舌もはっきりしている。「あれあれ立派な息子になっちゃって。」そう続ける。いつもの祖母とのやりとり。「もう『立派な息子』なんて歳じゃねーけどなw。もうオッサンなw。」オレは軽口を叩く。「それにしてもこないだは目出たかったな。良い人を見つけてきて。」なんのことだ?言ってる意味が分からない。どうやらオレはそれを顔に出してしまったらしく、親父がすかさずフォローを入れる。「誰か別の人と話を間違えとるんだら、しょうないな。」「こっちは分かるかな?」妹を指す。やっぱり祖母はしばらく妹の顔を眺めて「あらあら○○○ちゃん、良く来たなぁ。」「じゃあこっちは?」親父は続けて弟を指す。そこで祖母の様子が変わった。「おめぇ何しにきたのよ!!?」明らかに語気が強くなり、声量が一段増した。まるで悪質なセールスマンでも見かけたみたいだ。少なくとも肉親に対する口調ではない。弟は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦笑いを浮かべた。

 オレや妹と違い、弟は地元に残っている。大学受験に失敗すると完全に実家に寄生状態になり、定職にも就かずパチンコやパチスロにばかり興じている。当然祖父母の見舞いなど行くはずもない。祖父母と顔を合わせた回数で言えば、東京に出て10年以上になるオレの方がはるかに多い。弟は、有り体に言えば「ニートのクソヤロウ」だ。そんなんだから祖母が存在を忘れ去りたいのも分かるが、それにしてもどうも様子がおかしい。

 その後も祖母はオレと妹に対しては「嫁は?」「子供は?」「こないだの××××が・・・」ととんちんかんなことを言い続け、弟にはやはり「おめぇはどうしようもねぇなぁ」と辛らつな言葉を投げかける。挙げ句の果てには「晩飯はまだかな?」とドリフのコントみたいなことまで言い出した。オレは弟に「日頃の行いが悪いからよ。猛省しろw。」と軽口を叩くのが精一杯だった。オレら兄妹3人、この時初めて気付いた。


 祖母は、ボケてしまったのだ。


 結局最後まで会話は噛み合ず、我々は祖母に別れを告げ、帰宅の路に着いた。



 オレが実家を離れてからもう14年が経った。祖父母が歳をとるには十分過ぎる時間だ。それは自覚しているつもりだったが、でもこうやって事実をまざまざと見せつけられると、さすがに時間の残酷さを思い知らされる。祖父母からは以前の面影が失われ、明らかに老いに浸食されていた。元気だった姿を知っているだけに、失望感で頭がいっぱいになる。

 あの姿は、今は祖父母だが、未来の自分だ。いやそれ以前に、オレの親父とお袋がそうなる日の方がずっと早い。今は年齢の割に若くてハツラツとしているが、祖父母がそうだったように親父達も足腰立たなくなってもうろくする日が確実に来る。オレだって親父がお袋がそんな風になるなって思いたくもない。でも必ずなる。嫌でも悔しくても悲しくても、避けられない。そういえば帰省して最初に親父の顔を見た時、以前より顔のしわが増えたな、と思った。普段顔を見ないだけでに、現実を突きつけられた時の動揺は大きい。


 今、祖父母の面倒は親父とお袋が見ている。家計の問題もあって共働きという形態をとっている都合、どうしても自分たちで面倒を全て見ることができず、施設に預けている。が、様子を見る限り祖母達が損なわれているのは、施設に入っているせいかも知れない。もちろん、家にいて面倒見てたら損なわれないとは言い切れない。結果論であって、正解は誰にも分からないのだ。


 祖父母に関して責任を持つのは親父とお袋だ。だからオレが口を出すことも無いし、実際のところ、側にもいない、さしたる経済力も無いオレに、祖父母に対して何かをしてあげることは出来ないのだ。だが、親父とお袋に対して責任を負うのはオレだ。オレがどこにいようと何をしていようと、金を持っていようと持っていなかろうと。親父とお袋がちゃんと望むよう余生を過ごさせてやりたかったら、オレがなんとかするしかないんだ。


 親父とお袋をどうやって死なせてやるか。


 それはオレのこれからの宿題なんだと初めて思い知った正月になった。

 

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

     一休宗純 (狂雲集)


 一休和尚はそう言うけれど、この現実はちょっと残酷過ぎやしないかい?帰宅後お袋が夕食を準備してくれるのを待ちながらつまらない正月特番が映ったテレビを眺め、親父の注いでくれた日本酒を一気に飲み干した。

*1:これはオレとお袋がテレビ画面の天皇杯決勝に夢中だったせいもあるw。

*2:オレが車椅子でドリフトかませるほどの腕前なのは、ガキの頃から彼女の車椅子をおもちゃにしていたせいだw。

*3:老老介護、というやつだ。