ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

あずにゃんをめぐる冒険


 もし許されるならば、この文章を旧共通基盤チームに捧げる。

プロローグ

 会社の後輩が退職することになった。


 後輩(以下「K」と呼称)といってもオレより2つほど年上で、ただオレが先に入社していたにすぎない。数年前、Kとオレは同時期に小さなグルーブが与えられ、互いにグループの管理者として切磋琢磨する日々が始まった。しかしそれはあっという間に終焉を迎える。Kの部署は芳しい成果を上げることが出来ず、わずか二年で解体された。彼自身は管理者の任を解かれて一技術者の身に戻り、Kの部下の半分はオレのグループで引き受けることになった。
 そしてオレもそれからしばらくして同様の道を辿り、今は社の遊撃部隊に身を置いている。それ以前にKとオレは同じ先輩について仕事を教わってきた。言わば兄弟弟子だ。それだけに遣る瀬無さも淋しさもひとしおだ、たとえK自身から何の連絡も挨拶も無かったとしても。


 ところで、Kが持っていたチーム、社内では「共通基盤」と呼ばれていたが、当時採用担当だった元取締役の風変わりな嗜好のせいで、ただでさえ個性の強い面々が並ぶオレの会社でも、ひときわ輝く個性派揃いの集団だった。


 有り体に言えば「変態」しかいなかった。


 青姦マニア、露出狂、アニオタゲーオタ、アイマス狂い、離婚歴のある20台前半、元メジャーバンドのドラマー、ジゴロでヒモ。全員分をひとまとめにすれば存在だけで無期懲役判決が頂戴出来そうな輩の集まり、うっかり触れたら吐き気を催す様な臭気を漂わせた粘液がまとわりついて皮膚から入り込み異常性癖が感染してしまいそうだ。


 そんな集団の頭がまともであるはずも無い。元警察官というキャリアを持ちながらそれを悪い意味で一切感じさせない。悪態を日常的に吐いて周囲を凍りつかせ、かつては暴走族をも震え上がらせたであろう鋭い眼差しをアニメやゲームの話題で綻ばせる、でもそれらを自分では決して肯定しようとせず自らはまともだと言い張る、つかみどころのない強烈なキャラクターで社内で有名だった。ごくごく控え目に表現すると「生粋の変人」だ。
 かつての我々の師匠はこうKの事を表現した。


 「面白い生き物を見つけたと思って面白半分に育てたらとんでもないゲテモノになっちゃった


 社内では、たとえ姿は見えなくともKの話題は頻繁に上がった。それは辛辣で皮肉の多い物言いについてであったり、妙に気温や空調に気を削がれる様であったり、苦手な食べ物に接した時のしかめっ面についてであったり。


 それでも多分みんなKのことを好きだったのだろう。

 Kの話をする時、口では人類におけるアンチテーゼのように彼をあげつらっていても、皆一様に笑顔が絶えなかった。解散した今もKのチームは固い結束力を誇り、一声かければ全員が喜んで集まる。人を大事にしないで(売上では無く)離職率ばかり上げている他の中間管理職共とは異なり、強い信頼を周囲から得ていた。

 皮肉屋でシャイな彼を、みんな愛して止まなかったに違いない。そして今も。



 これは、そんなKを愛する周囲の人間に宿った、彼に感謝と慰労の意を表したいという熱い想いのために振り回されたオレの物語である。



序章:緊急会議


 忘れもしない、あれは今からちょうど一月前の話だ。ネットに掲載された焼肉の割引チケットに釣られて高田馬場集った我々は、印象の薄い肉でひとしきり腹を満たすと、飲み直しに繰り出した行きつけの居酒屋でくだらないよもやま話に花を咲かせていた。


 空けたジョッキも3つ目を数えた頃、年長ながら最も社歴の浅いUが、ろれつのやや回らなくなった口調で切り出した。


 「実はぁ〜、皆さんにぃ〜、ご相談があるんですがぁぁぁ〜!


 普段は控えめで大人しいUは、彼の傍らに無造作に置かれたガラスの器にあったはずの黄金の液体に既にすっかり魅了されており、明らかにオーバーボリュームで騒々しい店内の空気を更に震わしている。体も若干傾いているようだ。


 「Kさんがぁ〜、退職されるのぉぉ〜、ご存知ですかぁ〜?


 やっぱり声が大きい。全く、酒は人を変える。オレも管理職の端くれ、Kの退職についてはその時点で既に耳に届いていた。…とは言っても最近は社の中枢からとんと遠のき、Kの件も事情通からリークして貰ったに過ぎない。
 Uは現在、Kと同じ現場で働いていた。この不況下に、うちの会社では久しぶりの30人からの大規模案件、かつ、さして珍しくも無い大炎上プロジェクトだったそうだ。彼らはこの現場で初めて顔を合わせ、文字通り寝食を共にし、同じように精神と身体を摩耗していった。プロジェクトは多くの犠牲を払いながらも予定通り終局を迎えることになるだろう。そして、彼らにとってそのプロジェクトは、最初で最後の共に働く機会となった。


 Uの話によると、Kの送別会を現場で開こうと企画しているとのこと。既に日程も会場も決まり告知も始まっている。プロジェクトで関わった人間、ほぼ全員が出席予定なのだそうだ。大プロジェクトだったから、さぞかし盛大な送別会になるだろう。シャイな彼の口からは、きっとまたいつもの照れ隠しの皮肉が聞けるに違いない。想像すると華やかで嬉しくて楽しくて、そして少し寂しい。


 「それでぇ〜、Kさんにプレゼントを用意したいんですがぁぁ〜、Kさんが何に興味があるのか良く分からないんですよぉぉぉ〜。皆さんKさんと仲良いじゃないですかぁぁぁ〜。なにプレゼントしたらぁいいですかねぇぇぇ〜?


 なるほど、酔っぱらいが吐くにしては素晴らしいアイディアだ。同じ釜の飯を食った仲とはいえ、炎上プロジェクトの最中、二人は互いに大した会話も交わせなかったんじゃないだろうか。ましてや相手がKだ。簡単にはその心の内が見えてくるはずもない。リサーチ対象を我々にしたのも適切と言えよう。良くも悪くも我々はKを理解し過ぎている。


 とはいえ、一生の思い出になるプレゼントだ。即座には思いつかない。オレが意味の無いうめきとともにアルコールに気分の良くなった頭脳をフル回転させようとすると、センセーが間髪入れずに答えた。


 「そりゃもう“あずにゃん”やろ!!


 オレが「センセー」と呼ぶ関西弁の彼は前述のKの元部下、青姦マニアで共通基盤チームのサブリーダー的存在だ。最近彼は練馬区の再開発によってベストプレイスのひとつを失い、埋める事の出来ない喪失感に肩を落としていた。人は学ぶべき点があれば誰でも師になり得る。オレは彼のエロに対する求道的精神に心から尊敬の意を表し、エロ・下ネタ関連の師として彼を崇めている。「センセー」と呼称するのはその表れだ。

 彼はかつて開かれた社内の懇親会で、ビールたったジョッキ半杯で強面の社長と肩組んで歌って踊ってみせたという伝説を持つ。カクテル一杯で隣に座る女性社員に対して情事の際自らのパートナーをどのように絶頂に導くかエア指テクを披露してみせた事もあった。
 センセーがオーダーしたカシスオレンジはまだグラスの半分も減っていない。だが、彼の真理の扉を開くには十分な対価だ。禁断の扉を開いた時、得る物と引き換えに失う物はあまりにも大きい。そして人は学習しない生き物だ。


 「はぁ?」 やはり間髪入れず聞き返すオレ。


 「だから“あずにゃん”ですよ。“あずにゃん”のフィギュア。」 即答するセンセー。目は虚ろだ。焦点は定まっていない。


 「なんで“あずにゃん”!?」 再び訪ねるオレ。


 「Kさんちょいちょい“けいおん!!”についてTwitterでつぶやいてるじゃないですか。絶対好きですよ。ゲームも買ったっぽいし。しかも真性のロリコンだから絶対“あずにゃん”ですよ。それにちょっと前に初音ミクのゲームにもハマってたじゃないですか。髪型も似てるし、絶対“あずにゃん”ですよ!」 力強く答えるセンセー。どや顔がイラッ☆ とくる。


 「あのぉおお〜、“あずにゃん”っってぇ〜なんですかぁぁ?」ピザの斜塔並みに傾いた体で訪ねるU。


 あえて説明の必要は無いかもしれないが、一応解説しておく。

 「けいおん!」は芳文社から出版されている雑誌「まんがタイムきらら」で今夏まで連載していた四コマ漫画、もしくは今秋までTBS系列28局で放映されていた深夜アニメだ。女子高軽音部を舞台に、唯、律、澪、紬、梓の結成するガールズバンド「放課後ティータイム」とその周辺の“ゆるふわ”な日常を描いた学園コメディで、実在の場所をモチーフにする事でリアリティを出し、ハイクオリティな映像に仕上がっていたこと、作中の楽曲が多くの視聴者に受け入れらたこともあり、大人気となった作品だ。彼女たちが歌ったとされる楽曲の数々はこの不況下にありながら圧倒的なCDセールスをはじき出し、アニメ主題歌は週間CD売上ランキングの1位と2位を独占第24回日本ゴールドディスク大賞の特別賞まで受賞した。もちろんこれらはアニメ作品としては史上初の快挙であり、どれをとっても異例尽くめの作品と言えよう。


  

  


 “あずにゃん”こと「中野梓」はこの話のヒロインの1人だ。主要メンバー5人の中で唯一一学年下の女子高生。ツインテールに髪を束ね、ムスタングというギターを愛用する。いつも一生懸命でちょっと強がりで、がんばり屋さんな小さな可愛い女の子。
 オレもこのアニメはひととおり見ていたが、「この娘みたいなひたむきな女の子が部下もしくは後輩にいたらどんなにいいか」と感じた事を憶えている。もっともオレは現実が甘くない事も知ってるし、いいまともな大人なので現実とアニメを混同したりもしない。望んでも決して叶わない願いに執着し続けられるほど幸福な脳みそは持ち合わせていなかった。次元の狭間を妄想でさまよえる才能は、現実に日々苛まれる凡庸たるオレにとって、ある意味羨ましくもある。


 


 話が脱線したので元に戻そう。


 センセーはつまり、この中野梓のフィギュアをプレゼントにしたらどうだ、と言うのだ。Uに予算を確認すると\5,000-程度だという。なるほど、それだけあればなんとか買えなくはない。オレも最初はさすがに会社の送別の品にはいかがなものかと思ったが、よくよく考えれば悪く無いかもしれない。隠れオタクでありながらちっとも隠れていないKに自らの嗜好を突きつける。きっと彼は驚き戸惑うが、身の内にわき上がる喜びを抑え切れず、わずかな笑みを浮かべながらいつもの皮肉を口にするに違いない。サディスティックな趣味だとバカにされるかもしれないが、イベントの盛り上げ方としては悪く無い。個人的にはこのアイディアに大賛成したかった。


 ただ一抹の不安もあった。今回の送別会は彼を良く知る面々に囲まれて行われる訳ではない。彼の事をおそらくは「真面目でしっかりした先輩社員」と信じ、尊敬と羨望を向けているであろう職場仲間が今回の観衆だ。そんな群衆のど真ん中でイベントの盛り上がり最高潮の時に萌え系のフィギュアを渡す。もしKの顔が一瞬でもにやけてしまったら・・・。オレには現場が一瞬で凍り付く様子が見えた様な気がした。


 「でもプロジェクトの送別会でそんなモン渡して大丈夫かぁ?


 「大丈夫だ、問題無い。」真顔になるセンセー。どこのイーノックだ。


 「だってお前、相手は一般人だぞ。そんなもん渡したところを見たらドン引きするんじゃないの?


 「だぁいじょうぶですって。そんなんKさんがなんとでもしますよ。むしろなんとでもならない方が面白い!」ダメだこいつ早くなんとかしないと。


 「こんな感じですよ。」颯爽とiPhoneに表示した“あずにゃん”のフィギュアを見せるF。顔にはアルカイックスマイルを浮かべている。


 真面目な公務員を想起させる実直な顔つきのFは、そのマスクからかけ離れたい風体だ。カミソリ負けで散々のスキンヘッドにがっしりとした体躯。グラビアアイドルも羨むB100cm超えは日々の筋トレの成果だ。11月も半ばというのに未だ半袖シャツで行動し、その鍛え抜かれた肉体美を惜しげも無く披露している。そして彼の手に握られたiPhone4。時と場所を選ばず自らの知的欲望を満たせるこのデバイスは、サイバースプーキーにとってもはや無くてはならないガジェットだ。


 iPhone4のディスプレイに映し出された“あずにゃん”のフィギュアは、彼女愛用のギターを大事そうに抱きかかえた姿を立体に起こした構図だった。素人のオレから見ても、その再現度のクオリティの高さには驚嘆するほか無い。


http://www.hobbystock.jp/goods_img/HBY-GCF-00003400.1.jpg
(参照元アルター けいおん! 1/8 中野 梓|ホビーの総合通販サイトならホビーストック)



 「いいじゃぁないですかあああ〜、オモシロそおっすねぇぇ〜!それで行きましょう!!!」身を乗り出すU。よく分かってんのか、お前が渡すんだぞ!?


 「じゃあ送りますね。」Fはさっそく今しがた開いてみせたサイトのURLをUに送信する。もう誰も止めない。加速するばかり。ほどなくしてUの携帯電話が電子音を響かせ、無事彼の手元に件の品のURLが届いた事を知らせた。


 本来ならオレはこの後もしつこく食い下がり、その公開処刑を阻止すべきだったのだろう。しかし、なによりオレ自身がそのオモシロをやりたいという欲望に押し負けてしまった。どうせ当日オレは送別会には参加しない。場が凍り付こうが後から聞いて面白ければ別に構わないじゃないか。


 「・・・ま、いいか。よしっ、それじゃ“あずにゃん”で決まりだな!」最も社歴の長いオレの鶴の一声で全ては決定した。そして話題は再びとりとめの無い混沌へと堕ちて行った。



第二章:計画の頓挫と陰謀の再誕


 週末明けて数日経った木曜日、開発も佳境のオレのプロジェクトはみな息つく暇も無い忙しさだ。オレ自身も新しく習得する技術に四苦八苦し、うなり声をあげてディスプレイを睨みつけている。


 昼も過ぎた頃、ふと社用のPHSが気になった。グループ長の任を解かれてからほとんど使わなくなったその折りたたみ式の機種は、大体において鞄の中に放り込みっぱなしになっていた。5年以上使い続けているせいで10分程度の通話だけで電池切れとなるが、それで特に支障もない。どうせ誰からも着信は無いのだ。だがその時は違った。珍しくメールが届いていたのだ。土曜に一緒に飲んだUからだった。


 「Kさんのプレゼントの件ですが、種類は中野梓でいいかわかりますか。」メールにはそう書いてある。どうやら本気らしい。酔っぱらった末の暴走では終らなそうだ。


 「それでバッチリです!」オレは力強く念を押す。


 しばらくして返事が来た。一転して内容は芳しく無い。


 「すみません。Kさんにそれとなく聞いてみたら、あまりフィギュアに興味なさそうだったので、別の普通の物にしようかと思います。


 やはり酒の入って無い時のUは慎重で堅実、近くに絶対一人はいて欲しい貴重な良識人だ、特に周囲に変人の多いオレのような人間にとっては。

 これはある程度予測できた。Kはあまり自分の趣味を表に出すのをよしとしていない。自らをオタクとは認めたくないのだろう。その心の機微を読み取るのは、付き合いの長いでもかなり困難だ。それに元々リスクのある企画だ。人として色んなものを失いかねない。ある程度の覚悟が無いと出来ないものを、ただKや他の人が気持ち良く仕事できて終われるようにと気を遣うUに、これ以上負担をかける訳には行かない。あの時決定権はオレにあった。オレが幕を引くべきだ。


 「Kはオタバレしてないと自分で思ってるからそう答えると思うよ(笑)。本心ではかなり興味あるはず。でもまぁ普通の方が無難かもね。」やんわりと通常の送別会をコーディネートすることを促す。


 「なるほど。そういうことですか。了解です。普通の物にします。」Uも即座に了承の旨をメールで伝えてくれた。これでおわり。


 これにて突如生まれたサプライズは静かに終焉を告げた。オレはKに送られるはずだった架空の“あずにゃん”のフィギュアを想った。彼女の笑顔は虚空をさまよい、霞のように消えた。街ですれ違っただけの女性に一目惚れして、振り返ると既に姿さえ見つけることができない、そんな気分だ。今はもう残り香さえたどることができない。ただ、やはりあの企画自体はどうしても惜しい。オレは諦め切れなかった。一度生まれたアイディアをこのまま死蔵させておくのは、どうしても耐えられなかった。こんな馬鹿ったくて面白いこと、やらないわけにはいかない。
 ・・・そういえばセンセーはあの飲み会の後、なにか言ってなかったか?


 「ボクらどうせその送別会には行けないんでぇ、別個でやろうかと思うんです、共通基盤のメンバーで。滝川さんも来てくれますか?


 これだ!毒を以て毒を制す。変態には変態だ。一般人に難しいチャレンジなら変態キワモの揃いの共通基盤チームにやらせよう!!


 オレは即座にDMを打つ。


 「Kへの贈り物、Uはさんざん悩んだ挙句、やっぱり普通のものを贈ることにしたそうです。つまりあずにゃんフィギュアは未達成。


  共通基盤グループの出番ですよ!!!


 しばらくして返事が届く。予想通りの力強い応答だ。


 共通基盤におまかせあれ!!





 “あずにゃん”が我々の中で笑顔を取り戻した瞬間だった。



第三章:勝利の女神を捜せ


 かくして“あずにゃん”フィギュアはセンセー率いる共通基盤チームに委ねられた。センセーは多忙な身ながら陰で着々と準備を進める。表向きには「忘年会」ということにしてメンバーに招集をかけ、見事全員の参加を取り付けた。お酒や宴席が得意ではないKの了承を得るのが一番困難に見えたが、それもあっさりこなしてみせた。プレゼントの他にもサプライズをいくつか用意した。会場も彼らにふさわしい場所を見事探し出した。舌を巻く様なコーディネーターぶり、さすがとしか言い様が無い。あとはフィギュアを買ってくるだけ。とは言えただAmazonでギフトラッピングで注文するだけだ。大した手間は無い。Amazonにも「在庫あり」と出ている。入手は容易なはずだ。仕事が忙しく自宅受取が困難なセンセーだが、最近はコンビニ配送もあるしなんとでもなるだろう。その予想は、易々と覆された。


 サプライズ送別会を翌週末に控えた日曜、センセーから再び連絡があった。


 「あずにゃんの購入で行き詰まりますた。コンビニ発送:サイズが大きすぎてNG。支払い:カードしかNG。申し訳無いですが、amazon初心者なもんで何か良い方法あったら教えてください。


 打ち間違いが見られるあたり、相当な動揺が見られる。それはそうだ。彼自身の手で“あずにゃん”のフィギュアを購入するチャンスが完全に失われたのだ。変態だが金遣いは堅実なセンセーは現代人には珍しくクレジットカードを保有していなかった。それが安月給でも生き残ってきた秘訣の一つでもあったが、今回はそれがアダになった。


 しかしこれは困った。もしこの事実が発覚したのが金曜の夜だったら全然間に合ったのに。オレが代わりに注文して日曜に受け取ることも出来たはずだ。だがこの時既に日曜の午後。いくらAmazonや日本のインフラが優秀でも、残りわずか半日で商品を家庭に届けることはできない。しかし過ぎたことは仕方ない。代案を練らねば。


 「オレ、職場から秋葉原近いから、行って買っといてあげようか?ラボに置いておくからAのと一緒に持ってってくれれば。


 オレの今の現場は飯田橋だ。JR総武線でわずか3駅のところに趣都:秋葉原がある。アキバは夜の店仕舞いが早く、20時には大抵の店が閉まってしまうが、定時に仕事が上がれればなんとかなるはずだ。ちなみに余談だが、Aは夏に社を退社したアイマス狂で、やはり元共通基盤チームだ。詳しくはこちらこちらで以前書いているのでここでは省略する。今回の送別会はAの送別会も兼ねていた。なぜこんなにAの送別会が遅くなったかは省くが、ヤツへのプレゼントにもフィギュアをチョイス、その際フィギュアの売っている店をアキバ中捜索した経緯があったので、購入できそうな店には既にあたりが付いていた。おそらくアキバに行けば簡単に手に入るだろう。どうでもいいが共通基盤チームにはフィギュアで喜ぶヤツが多過ぎだ。人として軸がブレている。


 「それはめちゃめちゃ助かります。大変恐縮ですが、お願いできますでしょうか。


 「了解さん。


 「ありがとうございます。


 「アキバに行けば簡単に手に入るだろう」? オレは自分の甘さを呪った。なぜ何度も同じ失敗を繰り返す。



 月曜は早々に仕事を上がるつもりだった。しかし今は開発も佳境。そんな忙しい最中に定時退社できるなんて都合の良い話は無い。なんとか仕事に目処を付けて現場を退出できた時には時計は19:30を回っていた。前述の通りアキバは20時を過ぎると殆どの店が閉まってしまう。一番品揃えの豊富だった店が駅前にあったから、そこで閉店前に飛び込めばギリギリ買えるはず。一縷の望みをその店に託した。電車の中は帰宅ラッシュで混雑し、開閉の度に時間を食う。こんなに3駅が長かったのは久々だ。


 秋葉原駅に着くと人の波をかき分けて全力で走る。時間は19:50を僅かに回っていた。なんとか間に合いそうだ。電気街口真正面に位置するラジオ会館は、既にビル自体の入口を閉めようとしていた。が、まだ人の出入りは可能。エスカレーターを駆け上がって2階に目当ての店はある。蛍の光が流れる店内に飛び込むと目当ての品を急いで探す。まだ画面でしか見たことの無い“あずにゃん”のフィギュア。だが店内にもフィギュアにも疎いオレにはこの膨大な品の中から彼女を見つけ出すのはとても難しそうだ。時間が惜しい。店仕舞いの準備に忙しい店員を無理矢理つかまえた。


 「けいおん!中野梓というキャラクターのフィギュアを探しているんですが?


 忙しい最中呼び止められた店員は、自らの仕事を邪魔された不快感を隠そうともしなかったが、オレの質問を聞くとその表情はいらだちから嘲笑へと変わった。


 「いやぁ、ありませんね梓は。売り切れてしまいました。


 えっ、無い?Amazonに在庫があるのにメッカ:アキバになんで?オレは自分の耳を疑った。絶対にあると信じて疑わなかったからだ。


 「人気がありますからねぇ。もっと早くじゃないと。


 買いにくるのが遅いお前が悪いんだよバカが、とでも言いたそうだ。店員はけいおん!フィギュアの積まれた場所を指差す。天井まで積み上げられたフィギュアの中をオレは高速で目を走らすが、確かに店員の言う通り、“あずにゃん”を見つけることは出来なかった。


 そうですかありがとうございます、とだけ言うと、オレは足早にその店を去った。まだ閉まってない店はいくつかあるはず。ここは専門店だから真っ先に売り切れただけのはずだ。
 それからオレはいくつも店を回った。アニメイトとらのあなゲーマーズ、リバティ、名前も知らないたまたま通りかかっただけのフィギュア専門店・・・、ヨドバシアキバの玩具売場にまで行った。どの店でも蛍の光が鳴り響く。だがどこにも“あずにゃん”はいなかった。同じけいおん!の唯や澪のフィギュアは山ほどあるの(下の品は特に沢山見かけた)に。梓だけがどこにも無い。

  


 とある店員は言った。「元々かなり人気があって、仕入れてもすぐ売り切れちゃうんですよ。本当にすみません・・・。」その顔は商機を逸して本当に悔しそうだ。
 アキバはダメだ、じゃあ何処ならある?アキバの次にオタクの街と化しているのは池袋だ。が、有名なところではかえってマニアに集られてダメかもしれない。むしろちょっとイメージに無い街の方が良いのでは?藁をも掴む想いで新宿を目指す。ヨドバシカメラビックカメラの玩具コーナーならあるかもしれない。しかしこれも徒労に終わった。こちらでも蛍の光が店内に流れていた。店を出ると、忘年会が終わったばかりのサラリーマンが肩を組んで大声で笑い合いながら次の店を探していた。



 疲れた。本当に疲れた・・・。かなりの距離を早足で歩いたのだ、無理もない。かなりの寒さのはずなのに汗さえかいていた。見つけられなかった失望感で足は重かった。気力を振り絞ってiPhoneのソフトウェアキーボードを叩く。報告だけはしておかないと。


 「ヤバい、全然無い!どの店も売り切ればっかだ!


 「まじですか!今からでも誰かにAmazon代理お願いしたほうがいいですかね。


 「Aが仕事忙しくなきゃ受け取れるはず。クッソー、澪だったらいっぱいあったんだよ、しかも結構可愛いの!Kがロリコンじゃなかったら!!


 「支払いがカードのみだったんですが、プロデューサー(Aのこと)ってカード作ったんでしたっけ?とりあえず聞いてみようかな。まぁロリコンはKさんの数少ない性癖ですしねぇ。


 「駄目だ、Aもカード持ってないはず。


 店頭で買うことは不可能だ。もうAmazonに頼るほか無い。在庫を確認すると間違いなくあるようだ。購入自体は即日可能。しかしオレもセンセーも仕事が忙しく、宅配便が配達してくれる時間には家には帰れない。いっそ送り先を自社にしようかと思ったが、さすがにフィギュアを受け取って欲しいと社に頼むことは出来なかった。


 オレは一計を案じた。火曜の昼までに注文すれば、早ければ水曜には配送されるはず。当然受け取れないので不在届が入っているだろう。それを持って宅配便の営業所に直接取りに行けばいいのでは。Amazonクロネコヤマトを利用して品物を配送している。クロネコヤマトの営業所ならオレの自宅と目と鼻の先だ。金曜の出社前に受け取ってそのまま会社に持ってけば、昼休みにラボに預けておける。夕方になってセンセーにラボで回収してもらえばそのまま送別会の会場に持って行って貰えるはずだ。最大の不確定要素は、いつ発送されるかと、配送にどのくらいかかるか、だ。これはもう運を天に任せるしかない。


 そうと決まれば善は急げ。その日(月曜)のうちにAmazonで件の品を注文した。ここで早速誤算が一つ。フィギュアはAmazonではなく、Amazonのシステムを借りている別業者によって直接発送がされるそうだ。つまり、Amazonのシステムの一つであるギフトラッピングが使えない。ラッピングは自分たちでやらなくてはならない。自慢じゃないがオレはそういったセンスはまるでない。だが、他にやれる人がいない以上、オレがなんとかするしか無かった。


 「注文したけど、Amazonからの発送じゃなくて業者から別発送らしい。到着がギリギリくさいから、かなり危ういかも・・・。


 「ありがとうございます。どこから発送されるかにもよりますが、3日あるので何とかなる・・・と信じたい!


 「今回特殊な受取り方をしようとしてるから、そこもネックだねい。ま、業者と日本のインフラを信じましょう。・・・あ、ラッピングされてこないから、そこはなんとかしないとね。


 「すぐに開けてもらう予定なので、最悪ラッピングは妥協しても良いかなぁと。ただ、街中を持ち歩けるよう紙袋とかは要りそうですねw


 いっそむき身で“あずにゃん”を持ち歩いて欲しい気もしたが、さすがに通報されかねない。身内(しかも元警官)から逮捕者を出すのは避けたいところだ。



 明けて翌日の夕方、あみあみ(大網株式会社)と名乗る業者から品物が発送された旨を告げるメールが届いた。


 「Amazonから連絡来たぞ!発送されたそうだ!!うまく行けば明日には着くから、明後日の朝には受け取れるかも。


 「Amazon△!これでKさんの幼女性愛を満たせますね!


 「そういや今更気付いたけど、KのTwitterアイコン、ムスタング(あずにゃんのギター)なんじゃねw?


 「なんというガチっぷり!!やっぱりあずにゃんしかない!!


 オレらはこの時、たぶん浮かれていた。今度こそ“あずにゃん”がやってくる。ただ、まだ落とし穴はあった。


 業者からのメールには「Amazonのアカウントサービスから配送状況を確認できる」とある。あと2日もあるから間に合うとは思うが、それでも確認はしておきたい。Amazonにログインして注文履歴の最上位に“あずにゃん”のフィギュアの画像がデカデカと表示されているのを見て一瞬目眩がした。ああ、オレの購入履歴にオタクグッズが・・・。なんでこんなことに・・・。気を持ち直して更に奥に進める。「配送状況の確認をする」ボタンをクリック。しばらく待ってエラーが表示される。「この発送に関する情報の取得中にエラーが発生しました。やり直してください。」何度やってもエラー。エラー。エラー。
 メールをもう一度確認すると荷物番号が書いてある。配達業者のサイトで確認できるだろう。業者は佐川急便か・・・。


 えっ、佐川急便!!?


 今回はAmazonではなく外部業者から発送された。もちろん、その業者が普段使っている配達業者で。だからAmazonが利用するクロネコヤマトではなく、佐川急便になってしまったのだ。クロネコヤマトだったら営業所はすぐそこだったのに。


 佐川急便の営業所はどこだ?サイトから配送状況を確認する。最終的に配達が行われるのは武蔵村山営業所、オレの家から10km以上離れた、そして自宅最寄りの駅から更に下り電車で10駅程度。つまり会社とは逆方向だ。しかも最寄りの武蔵砂川駅からはかなりの距離がある。とても歩いて行ける距離ではない。タクシーを使うか、それが嫌なら最初から自転車で行くしか無い。とんでもないタイムロス。大誤算だ。


 しかし、今更後には引けない。もう前へ進むしかないのだ。水曜深夜に帰宅すると、ドアポストに佐川急便の不在通知が入っていた。翌朝、営業所受取にする旨を電話で伝える。金曜の朝、早く出て受け取って会社に向かう。チャンスはこの一度だけ。一発勝負だ。


第四章:迷走、暴走、逆走

 木曜の日中、気がかりはラッピングの手配だった。サプライズを完璧にするには細部まで徹底しなくては行けない。ディティールにこだわりが無いとインパクトが減ってしまう。


 定時を少し回った頃、社の先輩が予想以上に早く仕事が上がれそうとツイートしているのを見かけた。その人はオレと頻繁に飲みに行く仲で、Kの事もよく知っていた。今回の忘年会にも参加予定だ。オレはもう調達できる見込みは無い。この人に賭けてみよう。


 「仕事もう上がりですか?この後時間あります?


 「なに?飲み行くw?


 「まぁそれも無くは無いんですが、ちょっとお願いがありまして。実はKのプレゼントのラッピングを買ってきて欲しいんです。オレ、店開いてる時間に仕事終われなくて…。


 「俺もギリギリだけど、やってみるよ。



 待つこと数時間、結局先輩はその後色々あったらしく、職場を出たのが20時を少し回った頃。その一時間後に再び連絡が来た。


 「なんとか調達できた。馬場に新しくできたワインバー教えて貰ったから、そこで待ち合わせにしよう!


 「了解。有難うございます!


 さらに1時間ほどしてオレは仕事に目処を…いや正確には諦めをつけ、先輩の待つ高田馬場のワインバーに向かう。待ち合わせのワインバーはJR高田馬場駅から早稲田方面に歩いて5分程度、カウンターしか無いこじんまりとした店だった。オレが着いた時、先輩はちょうど一杯目のビールジョッキを空にしたところで、オレの一杯目の注文に合わせて追加を頼んだ。乾杯をしてまず喉を潤し、それから依頼の品を受け取った。先輩にしてはずいぶんと可愛い系のラッピング、期待以上だ。これで明日は何とかなる。
 時間も遅い。せっかくワインバーに来たんだし、この後ワインを一杯くらい飲んで、早めに切り上げよう。その時はそんな事を考えていたのを憶えている。


 人は大体において自分の事を思っているほど理解できていない。この時のオレも全くその通りだった。疲れもあったが、それ以上に公私ともに結構フラストレーションが溜まっていたらしい。オレはストレスをアルコールで発散する傾向があるらしく、そんな時に酒を飲むと深酒してしまう悪癖がある。一杯で済ますはずが、いつの間にかデキャンタは空になり、終電はいつの間にかなくなり、それに気付いて開き直り更に注文する・・・。普通なら一緒に飲んでくれる人が歯止めをかけてくれるが、先輩は高田馬場在住で電車の心配は元より無く、酒癖はオレ以上に酷い。アクセルは踏んでもブレーキは踏んでくれない、というより、元々壊れてる。

 その夜、最後の方は良く憶えていない。



 気づいたら朝、いつもの通りだった。いつもの時間、いつもの部屋、いつもの自分の布団、携帯電話の目覚ましアラームが鳴り響く。喉が渇いて顔が熱っぽかった。ワインを飲み過ぎた時になる二日酔いの症状、まぁこれもいつものこと。天気は清々しいほど晴れて本調子に程遠い体に苦痛をもたらす。全く以っていつも通りだった。





 いつもの時間じゃまずいだろうが!!!



 今朝は荷物を行かなくちゃいけないんだった!急いで飛び起きシャワーを浴びる。呼気はバッチリ酒臭い。水道からタンブラーいっぱいに水を汲み、一気に胃に流し込む。反動で吐き気を催すが、二杯目の水と一緒に一気に飲み込む。取るものもとりあえず家を飛び出す。とはいえ体がだるくてとてもじゃないが走れない。出来る限り急いで最寄り駅に向かう最中に先輩からDMが。


 「ちゃんと取りにいけた?こちとら、朝からぐったり…歳には勝てん(汗)


 いやいや歳とか関係ないっすから。今思い出せばデキャンタは赤・白合わせて4杯は頼んだ。ボトル3本強に相当する量を2人で飲んで水も飲まずに寝れば二日酔いになって当然だろうて。


 「寝坊して今まさに向かってます。


 最寄り駅に着く。いつもの電車がちょうど入ってきたところだ。これに乗れば普段通りに仕事が始められる。だがこの日乗るのは逆向きの電車だ。最寄り駅の花小金井から武蔵砂川に行くためには拝島行に乗らなくてはいけない。15分ほど待って玉川上水行の下り電車に乗る。平日の朝からこんなガラガラな電車に乗ったのは初めてかもしれない。シートに座ってスポーツドリンクを縦に流し込む。30分ほど電車に揺られて終電の玉川上水、目的の武蔵砂川を目前にして途中下車し、次の電車を待つ。スポーツドリンクの入っていたペットボトルをくずかごに入れ、新たにミネラルウォーターを購入する。15分して拝島行の電車がホームにやってくる。5分ほど待って発車。ゆるやかなスピードで電車は進む。窓の外には里山と干上がった田んぼばかりの牧歌的な光景が広がる。二日酔いの苦痛もあいまって、一分一秒をとてもとても長く感じた。


 武蔵砂川駅に着くとさっそくタクシー乗り場を探す。とてもロータリーとは呼べない狭いスペースに、一台だけタクシーが止まっていた。


 「えっと、佐川急便の営業所まで向かって欲しいんですが。住所は…


 「ああ大丈夫、分かるよ。××××にあるやつでしょ。


 「ちょっとその地名は分からないんですが…。


 「おっとすみません、この辺の人はあのあたりをそう呼ぶんですよ。


 「なるほど、宜しくお願いします。」別に何も納得してないが、どうやら道順は信頼して良さそうだ。


 車が行き違うのも苦労するほど駅からの道は狭い。前を走る車がいやに遅く感じた。もっと速く走れよ法廷速度でタラタラ走ってんじゃねぇ。15分ほどして佐川営業所に着くとタクシーを待たせ、来客入口に飛び入る。
 受付の若い女性に荷物に営業所受取に来たと口早に告げると、渡した不在届を確認して1分もしないで戻ってきた。手にはラグビーボールがすっぽり入る程度の簡素で飾り気のないダンボールの箱がある。それを受け取る。まず第一段階クリア。


 と再びタクシーに飛び乗り、駅まで戻って欲しいと告げた。やはり15分程で武蔵砂川駅に到着。時間は10時ちょい前、メーターは\2,000-を少し回ったところだった。駅に入るとすぐ上り電車がホームに入ってきた。謎の箱を抱えたオレは周囲から見れば不審人物に見られているのかも。なんとなく周囲が遠巻きな気がする。危険物を持ってるとか勘違いされないだろうか。途中の小平の乗換えで再びペットボトルを追加購入。考えうる最速の方法で会社に向かった。


 会社に着いたのは11時少し前、コアタイムギリギリだ。職場がフレックスタイム制であることに心から感謝したかった。

終章:ドレスアップタイム、そして鼠のいないオレの行き先


 仕事を開始して1時間強、昼休みを告げるチャイムがオフィスに響いた。二日酔いで体調が悪い割には仕事ははかどった。色々とプレッシャーがある方が物事はスムーズに進むのかもしれない。仕事が順調だったので中断したくは無かったが、件の箱を持ってオフィスを飛び出す。


 幸いにして電車にはスムーズに乗ることができた。5分もしないうちにラボのある駅にたどり着く。
 責任者である講師役の社員はオレと仲の良い先輩だ。一言声を掛けて作業をさせてもらおうとしたが、残念ながら食事で外に出ていた。他は入ったばかりの研修生やパートナーの人達ばかり。さすがにこの状況でフィギュアの入っている箱を開いてラッピングするのは気が引ける。本当はそんな余裕は無かったが、仕方なく昼食を取ってくる事にした。


 20分ほどで食事から戻ると先輩は自席で午後の余暇をノンビリ過ごしていた。一言断って早速作業に入る。先輩はいいよ〜と一言だけ言葉をくれる。なに、箱を開けラッピングに包むだけ。10分もあれば十分だ。せっかくなので先輩に経緯を説明しつつ箱を開封する。運命の女神との初の対面だ。



 写真で見たとおりのハイクオリティだ。運送中の破損防止用かしっかりとしたプラスチックケースを通して見るせいか、写真で見たよりもやや無機質な印象もあるが、ディスプレイで動く彼女の愛らしさ二次元の平坦なイラストのイメージを破綻させず、三次元でここまで再現し、かつ大量生産できる日本工業の技術力の高さに感嘆せざるを得ない。


 「これタッキー(オレの事)の?


 先輩は真っ当な神経の持ち主だ。凄いなとは言いつつも“あずにゃん”のフィギュアを見て若干引いている。正常で普通の神経の持ち主の正しい反応。もしこれがオレのだったら二度と一緒にサッカーを観に行ってくれないに違いない。


 「違いますわw。Kが辞めるでしょ?彼にあげるんですよ、共通基盤の連中が。面白そうでしょ、アイツのリアクションが?


 「あ〜〜〜、そういうの好きだねぇ。


 明らかに呆れてる。一般的な感性を持つ人として当然の反応だ。だからこそこのサプライズに意味がある、インパクトがある。オレは逆にこの一連の企画の成功を確信した。



 オレはおもむろにラッピングを取り出す。昨晩一緒に呑んだ先輩から受け取った品、冬を想起させる深い青の下地、上に白いレースに雪の結晶ををあしらった綺麗な袋状の包装だ。あの呑んだくれの先輩にしてはセンスが良い。さっそくフィギュアをケースごと入れようとする。が…。



 「無理じゃね。さすがに


 「・・・そっすね。


 ラッピングのサイズが小さ過ぎた。入り口からしてキュウキュウ、中程は箱をギュッと締め付けて動かず、底に行くほど布地は悲鳴を上げる。しかし、先輩がわざわざ買ってきてくれた品、無下には出来ない。それに時間もない。買い直してくる時間が惜しい。


 「あのさ、後ろの商店街に行けばたぶんそれっぽいものあると思うよ。


 「・・・いや、もうちょっと頑張らせて下さい。


 たぶん、いや、間違いなく先輩が正しい。冷や汗をかきつつ無駄な抵抗を続ける。明らかにラッピングが小さ過ぎた。箱は一向に隠れようとしない。時間が無駄に過ぎて行くのを感じた。そして更に時間を費やして、箱は袋状のラッピングの底に辿り着いた。




 子供用の靴下を間違えて履いたようになってしまった。・・・いかん。これじゃ何も包んでない方がマシだ。


 「っすんません。今から買ってきます!!


 「はいよ〜。」先輩は既に平常モードだ。


 ラボの裏手は下町ならではの雑多で親近感のわく商店街だ。なんでも揃うデパートや百貨店のような存在はないが、小さな商店が仲良く軒を並べる。ただ、ラボの直下にコンビニがある都合、そちらまで足を伸ばすのは昼飯時くらいだ。オレもラボで過ごすことは多いが、商店街にどんな店があるかは殆ど知らない。小走りで店と店とを巡る。いつも食事をとる喫茶店の前で3人の幼い子供達がカメラや照明を持った大人達に囲まれていた。どうやらNHKかなにかの撮影らしい。そんな非日常を尻目に急ぎ足で店と店とを覗き込む。数件目に入った百円均一ショップでたまたまやっていたクリスマスフェアのラッピングを偶然見つけることができた。前回の轍は踏まない。念のためその店にあるラッピングを一種類ずつ全て買ってきた。・・・といっても2種類しかなかった訳だが。


 もう殆ど時間は無かった。限界まで詰め込まれた状態で、取り出すのも難儀な状態。オレは先輩に頼んではさみを借りる。大変申し訳ないとは思いつつも、綺麗なその布地を鋏で裁った。せっかくの艶やかな包装も使い方を誤れば残念な結果に。色々悔やまれるが、うじうじするのは全て終わってからで良い。



 案の定、片方は大きそうに見えてフィギュアの入った箱を入れることは出来なかった。ラッピングを選ぶ作業はかなり難しいのだと改めて気付く。もう一つは問題無く入れることができた。メッシュ状なので軽く中が透けて見えるが、まぁ市街をうろつく際には更に紙袋に入れてもらえれば良い。



 なんとか準備ができた。オレは今仕度が整ったばかりの“あずにゃん”をロッカーに仕舞う。夕刻になればセンセーが取りにきてくれるはずだ。急いで後片付けをすると先輩に礼を言った。どう急いでも昼休みの時間は過ぎてしまう。先輩は「またね〜。」という声を背中に受けて、後ろ手にラボの扉を閉めた。



 これでオレの役目は全て終わりだ。主に自分の思慮不足ではあったが、本当に想定外のことが起こり過ぎた。現場に戻る電車で、昔読んだ小説の一節を思い出した。羊男のあの言葉。

音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。
おいらの言っていることはわかるかい?
踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。
意味なんてことは考えちゃいけない。
意味なんてもともとないんだ。

              村上 春樹(ダンス・ダンス・ダンス)

 


 オレは踊り切れただろうか?ステップなんて知らなかった。リズムなんて無かった。カーペットのわずかなしわに足を取られたし、自分で喜んで着た服に動きを縛られた。それでも踊り切った。他人から見ればさぞかし滑稽に見えただろう、なにせオレ自身哀れ過ぎて自分を慰める言葉さえ見つからない。羊男はなんていうだろうか。でもオレの探していたのは鼠じゃない。爆発もしない。ジェイズバーでビールを飲んだことも無い。殻を剥いたピスタチオの数を数えることも無い。オレの必死に探したのは小さな小さな姫君で、今はオレの用意した拙いドレスを纏って王子との対面を備えている。あとは夕闇とともにグランドフィナーレを告げるファンファーレが鳴るのを待つだけだ。でももうそのエンディングを夢想する気力さえ残ってなかった。まだアルコールの抜け切ってない体を引きずって、オレはオレのぬかるみに戻った。


 オレの“あずにゃん”を巡る冒険は、特に感動もなく静かに終わった。どこかで静かに雪が降った気がした。


エピローグ


 事前に病院を予約していたオレは、その忘年会の皮を被った送別会に参加することは無かった。彼らは全員ツイートする暇もないほどはしゃいだようで、オレがいくらTLを覗いてもその様子を伺い知ることはできなかった。日付も変わった頃、センセーからメールが届いた。ややファイルサイズの大きい写真が貼付されている。

 せっかくなので以下に添付したが、彼らはいちいち「プライバシーがどうのこうの」と変態のくせに図々しくもやかましい。仕方ないから顔が分からないように加工することにしたが、時間もあまりなかったしそもそも奴らの為に多大な労力をかけるのも面倒だ。適切な画像編集ソフトも無かったので、前に面白がって買ったiPhoneアプリ「パンティノン神殿」で代用した。縞パンにしたのは今回のヒロインが「けいおん!」出身だからだ。



 上と下の写真が今回の主役、K。相変わらず固く口を絞って笑みを噛み殺している。この写真を見るだけでもどうやら我々のサプライズは大成功だったことがわかる。



 後からセンセーに話を聞いたが、「こんなものどうしろっていうんですかぁ?」「全部揃えろっていうんですかぁ?」「こんなもん何処に飾れっていうんですかぁ?」としきりに口にしていたらしい。どうやら相当気に入ってもらえたらしい。我々が苦労した甲斐があったってもんだ。



 ついでにA君こと、ぷろでゅーさーさん。ヤツの退職は8月半ばだったが、色々あって延び延びになっていたのを、面倒なので彼の送別会もやってしまえ、とオレがセンセーに言っておいてあり、かれこれ4ヶ月近くラボのロッカーで眠っていた品(アイマス四条貴音のフィギュア)が同じタイミングで贈呈された。こんなものが新しい門出の祝いになるかどうか知らんが、本人はいたくご満悦だったらしい。今も下斜め45度からこのフィギュアを眺めるのを日課としているらしい。どうにもオレには変態の考えることは良く分からん。




 そしてなぜかこの送別会に参加していたうちのチームのエース。それはお前にやった品じゃねーぞ!主役より喜んでるってどういうことだ!? どうやらオレらは彼の送別の品もフィギュアにしなくてはいけないらしい。・・・もっとも、オレよりアイツが先に辞めることがあれば、の話だが。


 残念ながらこの会の集合写真みたいなものは存在しない。もしあればきっと良い記念になっただろう。朝まで大騒ぎして、最後まで馬鹿なことを言い合って、最後までにぎやかに楽しく、まさに彼ららしく「共通基盤チーム」は解散した。


 後日、Kはこんなツイートをしていた。



 はいはいツンデレ乙。でもこれが彼の喜びの表現なのだ。あの共通基盤チームが、会社のみんなが愛した彼なのだ。斜に立つのが彼のスタンスで辛辣な物言いに隠された彼の本音を見るのがみんな好きなのだ。そしてそれをオレらはもう近くで味わうことは出来ない。人が会社を辞める、袂を分かつってのは、そういうことだ。


 共通基盤チームは最後まで賑やかに幕を下ろした。きっと彼らにとって大きな財産になっただろう。この数年間で育んだ絆は、きっと色褪せること無く残るに違いない。



 最後に、新たな門出に立つKに大いなる幸があらんことを。もしいつかつまずいた時には、共に過ごした仲間が背中を押していることを忘れないで欲しい。あと、キミの部屋でにこやかに笑うキミの嫁のこともね。なぜなら“あずにゃん”はキミの嫁というだけじゃなく、キミと共通基盤チームが確かにここにあった証なのだから。彼女の可愛い笑顔を見た時、もしその裏にあいつらのキモイ笑い顔が浮かんだら、やっぱりそれもきっとキミなんだ。オレはそう思うぜ、もちろん若干気の毒だとは思うけどねw。