ミッションたぶんPossible

どこにでもいるシステムエンジニアのなんでもない日記です。たぶん。

背番号3を壁に掛ける時


写真は10/22(木)にクライマックスシリーズ 2nd Stage「巨人vs中日」第2戦を観戦した際に購入した、立浪選手引退記念復刻ユニフォームです。残念ながら今年、オレは再度このユニに袖を通すことはなさそうです。10/24(土)の敗戦を以って中日ドラゴンズは2009年シーズンの全ての戦いを終えました。


名古屋の友人に聞いた噂によると、落合監督は、自らの采配の不甲斐無さを恥じて試合終了後に選手全員の前で土下座して謝罪したそうです。落合監督は普段から「勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任」を旨としているそうですから、この敗戦という結果に対して非常に強い自責の念に駆られていたのでしょう。その姿を見て選手達が奮起しないはずがありません。眼前の地べたに頭を擦り付ける指揮官の姿と今回の敗戦を胸に焼付け、来シーズンは更なる飛躍を目指してくれると思います。







一方で他の選手とは異なる想いを胸に抱いた選手もいるはず。今季を最後にバットを置く事を決めた立浪和義選手がそうでしょう。同様に引退を表明した井上一樹選手は来年も二軍コーチとして球団に席を置くようですから、心情はさほど他の選手達と変わりないかもしれませんが、立浪選手は一旦は球団から離れて解説者として第二の人生を歩むそうです。立浪選手の目には、その時の光景がどのように映っていたのでしょうか?



小4〜6の間、オレが親に無理やり入れさせられていた少年野球団(当時は運動がキライだったんです、短距離走が遅いから)でプロ野球の試合を観戦しに行く、という夏休みのイベントがあり、南信から最も近かった名古屋球場で「中日vs阪神」戦を観戦したのがオレにとって最初の野球観戦になりました。その時の体験がきっかけとなり、以来22年間中日ドラゴンズを応援し続けています。
当時ルーキーながらスタメンの一角を担っていたのがPL学園を卒業したばかりの立浪選手でした。オレの記憶する「燃えよドラゴンズ」の歌詞は、未だに「一番彦野が塁に出て 二番立浪ヒットエンドラン…」です。そして当時の4番打者が今の落合監督でした。ナゴヤドームでの立浪選手の最後の挨拶を見ながら、そうかオレの中日との歴史は立浪の選手生活とちょうど同じだったのか、そんな風に思い、大事な何かが抜け落ちてしまったような感覚を覚えました。立浪選手の引退は、たかだか一ファンのオレにとっても、一つの節目になったような気がします。心にすきま風が吹いたような、空白ができたような、なんとも寂しいやるせない、でもどこか清々しい、そんな感じです。




いつの日か立浪選手が再びドラゴンズブルーのユニフォームに袖を通して、今度は采配を振るいにスタジアムに戻ってくる、その日が来る事をオレはドラゴンズを応援し続けてずっと待ちたいと思います。
立浪和義選手、一先ずは22年間、本当にお疲れ様でした。